広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

コラム― COLUMN ―

広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。

  • 2022年10月27日号
    西国街道の夢

    西国(さいごく)街道。古代から中世まで京都と太宰府をつなぐ山陽道(約650キロ)として宿場町や一里塚などが整備されていた。江戸時代は参勤交代をはじめ、万人が往来したという。広島市の資料に逸話がある。将軍徳川秀忠は福島正則を転封した後、和歌山藩主の浅野長晟(ながあきら)を広島藩42万石へ転封。奥座敷に長晟を呼び、
    「広島は中国の要ともいうべき重要な地だけに、めったな者に与えるわけにはいかないが、その点お前ならば安心して任せることができる」
     九州へつなぐ重要な幹線だったことをうかがわせる。広島では現在の猿猴橋から京橋を抜け、仏壇通り、本通、元安橋を通り、城下町を東西に貫く。
     広島城絵屏風(びょうぶ)に当時の風景を描く。沿道に商家が建ち並び、刀を差した武士、荷物を馬に乗せて運ぶ商人、立ち話をする町人、職人らの生き生きとした暮らし、往時のにぎわいを伝える。
     同エリアと重なり、市は広島駅周辺地区と紙屋町・八丁堀地区を東西の核とし、相互に刺激し合う「楕円形の都市づくり」構想を打ち出す。これに呼応し、都心の商店街や町内会、学識者らでつくる市民団体「まちなか西国街道推進協議会」(山本一隆会長=広島市文化協会会長)が2018年3月に発足。高層ビルが建ち並ぶ面的な都市開発に加え、歴史といま、将来をつなぐ時間軸の発想を入れる。文化や産業などの地域資源を掘り起こして人と人を結ぶにぎわいと回遊を目指し、特産品開発や、まちづくり提案などに取り組んできた。
     まちなか西国街道の共通ロゴマーク、マップを作成し、デザイン化したマンホールや標識設置につなげた。19年秋には浅野藩入城400年事業として、華やかな時代絵巻を再現する広島江戸時代行列を開催。徳川家康の50回忌から50年ごと、神輿(みこし)行列が東照宮から猿猴橋を経て西国街道を通り廣瀬神社まで巡行された「通りご祭礼」に倣って、広島城入城行列も併せて実施。このほか沿道にある小学校を中心に郷土の歴史を学ぶ「出前授業」を重ねた。国交省の夢街道ルネサンス認定を受け、昨年はまちづくり功労者の大臣表彰を受ける。
     さらに活動を広げ、深化させていく計画だ。街道沿いで活動する各団体が集まる第9回交流会を12月12日、中区で初めて開く。第1回竹原市から始まり東広島市、海田町、市内各区を巡回して年1回、今回は5年ぶり。
     これに先立ち、5月に推進協議会ネットワーク部会を設置。城下町時代から明治、大正、昭和初期までの歴史、文化などを町内ごとに紹介する「まちなか西国諸町案内記(仮称)」作成に着手する。城下町として栄え、明治維新後の近代化、被爆による惨劇から復興までの街道を縦軸に各町の歴史をたどる試み。推進協議会が協力し、帝京大学の吉岡孝昭教授の研究室は11月12日まで、同大キャンパスで「せとうち西国街道を歩く」展を開く。産学官連携プロジエクトでゼミ生が西国街道をイメージしたウェブ、VR空間を発表、展示。デジタル技術を駆使して世界をつなぐ。
     来年5月にG7広島サミットがある。広島の歴史と諸町案内記を国内外へ発信する価値は大きく、サミット後の取り組みにも期待したい。

  • 2022年10月20日号
    柔しく剛く

    長引くコロナ禍が経営を直撃し、どう対応したのか、多くの教訓を残す。商いの在り方を見直して転機とした会社もある。宝飾・時計販売の新川(安佐南区相田)はグループ6店で独自のブランディングを展開し、これまでの殻を破る作戦に乗り出した。
     むろん顧客目線の原点は変わらない。どうすれば一番喜んでもらえるのか。顧客の憧れをカスタマイズできるセミオーダー式を採り入れた。工藤清恵社長は、
    「ブランディングからデザイン、製品化を任せることで接客の最前線にいるスタッフのやる気が高まり、顧客層を広げていく」
     宝飾品のリフォームやリメイクの需要が増え始めていることに着眼し、その専門店も構想中だ。コロナ禍によって経営の視野を広げ、新たな発想へつなげたのだろう。
     時代の流れをつかむ感性に磨きをかけた。インスタなどSNSで海外も含め、さまざまなデザインのジュエリーを目の当たりにする若い人向けに、その憧れに限りなく近づくカスタマイズの技術、発想に目線を転じ、若いスタッフのモチベーションを大いに刺激した。みんなで店舗運営を盛り上げていく自信と勇気をつかんだ姿が何よりうれしいと言う。
     SPA(製造小売り)に力を入れている。水晶産地で宝石加工を地場産業とし国内唯一の公立ジュエリー専門学校のある山梨県甲府市の一流職人との出会いがあり、新たな挑戦を後押しする。
     工藤社長の実父、新川清次会長が創業し、業歴50年を超える間にグループ6店舗に成長。メーカー商品のほか、製造直販ブランド「NR」を看板商品に、催事や招待旅行などを通じて固定客を増やしてきた。
     主に60代以上の女性を顧客とし、地域に根付く宝飾店の地歩を築いたが、コロナ禍に危機感が募った。いま何をすべきか。社員に不安を与えてはいけない。現状を変えなければいけない。日夜考え続け新たな挑戦を決意した。 
     昨年夏、東広島市の西条本店の店長が40代へと若返ったのを機に、思い切って各店オリジナルのブランドをスタート。比較的に手薄だった20〜50代に照準を合わせたことが呼び水になり、次々グループ店へ波及した。
    「ティファニーやブルガリといった揺るぎないブランドにかなうわけがない。当社のブランドづくりは顧客の要望をすくうことから始める。大手メーカーからの受注が減り苦境に立つ甲府市の宝石加工産業を維持し、職人さんの技術を守り育てる。そうして当社のブランドを育てる相乗効果に期待している」
     工藤社長もジュエリーデザイナーでオリジナルブランドを持つ。デザイン性の高い〝蒔絵(まきえ)ジュエリー〟を新たな市場に投入する構想も描く。
    「加工技術が進歩し、蒔絵や螺鈿(らでん)をガラスの洋食器にも施すこともできる。コラボすることで日本の伝統技術が新たな魅力を放つジュエリーの市場を広めたい」
     海外市場も視野に入れる。各店では順次、オンラインショップとインスタにアップする態勢を敷く。
     「柔(やさ)しく剛(つよ)く」スピリッツを貫く。柔軟な心とやり抜く意志。出身校の安田女子大学建学の精神をうちに秘める。

  • 2022年10月13日号
    新聞人の気骨

    ひょっとしたら、の願いも砕け散った。マツダスタジアムの今季最終戦は晴天に恵まれたが、さっぱり打てない。試合後、佐々岡監督はファンにわびた。戦いに敗れた責任を負って辞任する。
     テレビや球場でカープ観戦にわくわくする。負けると不機嫌になる。少しは余裕を持って応援したいが、つい気がはやる。中国新聞のカープ欄も勝負どころでこけてしまう、ふがいない戦いに鬱憤(うっぷん)があるのか、次第に記事もきつくなった。心底カープを愛してやまない記者の熱い思いがあるのだろう。
     5月で創刊130周年の中国新聞社。同社OBの松田治三さんが思い立ち、佐々木博光さんが協力して動画「輪転機が語る〜16日の苦闘」(約17分)を制作した。経済部長などを歴任した佐々木さんは、
    「被爆後どのようにして再起したのか、その歴史の一端を動画に残したいと思った。先輩や関係者らの証言によって燃えるような使命感で新聞発行に奮起し、凄(すさ)まじい苦境をしのいだ人たちの気迫が伝わってきた」
     同社百年史で、被爆の直前に「輪転機1台を疎開」させた経緯をつづる。
    『最大の難関は輪転機であった。東京から専門技師を招くことができない状況だったため、やむなく本社社員三人の手で進められた。疎開先は五カ所のなかから市郊外温品村(現東区)の牧場地が選ばれ、基礎工事、輪転機解体、馬車運搬、現地据え付けが行われた。輪転機のほか活字、円板鋳造機、活字鋳造機も運ばれた。作業は八月二日に完了。原爆投下四日前だった』
     被爆で流川にあった本社は人員、施設に甚大な被害を受け、新聞発行不能に陥った。急きょ他紙に代行制作を依頼し、休刊したのは2日だけ。8月9日から復刊した。保有していた輪転機3台のうち、生き残った輪転機1台を軸にして、生き残った人たちが中国新聞を生き返らせようと心血を注いだ一カ月余り。
     温品村の工場から再建の一歩を踏み出した。
    『工場長のもと、生き残った社員たちは手分けして電線をひき、輪転機を調整し、車を確保し巻き取り紙や活字、インク、原稿を運び、テントや工場に泊まり込みで作業する人の食事や寝具をかり集めた。その間にも「突然死」する人が少なくなかったと記録にある』
    『暗室は防空壕(ごう)の横穴が使われた。製版は天日、紙型は水でぬらして竹でたたいた。乾燥は炭火だった。輪転機から決まった数の新聞が出てこないので、みんなで数えた。発送が終わると解版にとりかかった。鋳造機が用をなさなかったのである。解版が終わると文選にとりかかった』
     テント生活でとぐろを巻く毒ヘビ、ムカデにぎょっとしながら不屈の日々が続く。動画はこの記録をなぞるように当時記者だった山田さん、元専務の尾形さん、輪転機疎開先の川手牧場主の孫、牧場で遊んだ当時小学生だった数人にインタビュー。現地で撮影した風景も織り込む。ユーチューブにアップ。広島の歴史を語り継ぐ人や、さまざまな方面から意外な反響があったという。新聞人の気骨がいまも人の心を打つのだろう。
     その動画などの上映会が11月2日午後1時から西区民文化センターである。

  • 2022年10月6日号
    動機善なりや

    考え方がしっかりしていなければ何事も成就することはない。京セラ創業者の稲盛和夫さんの経営十二カ条に、
     強烈な願望を心に抱く
     経営は強い意志で決まる
     勇気を持って事に当たる
     思いやりの心で誠実に
     などの心構えを示す。しっかりした考え方とは何か。誰しも自問自答を繰り返すが、稲盛さんは「動機善なりや、私心なかりしか」と自らに問う。そして「人生・仕事の結果=考え方×熱意×能力」という方程式に落とし込んだ。
     利己の心は消し難いが、私心なかりしかと問いながら必死の覚悟で利己を捨てようとした、その真空のような空間に、多くの人がすっと引き込まれたのだろう。
     そうした考え方に影響を受けた経営者は多い。1983年に京都の若手経営者らが勉強会「盛友塾」を立ち上げ、89年に大阪に広がり「盛和塾」に名称変更。91年に広島支部が発足した。創設の準備段階から閉塾まで携わった竹鶴酒造(竹原)元社長の竹鶴壽夫さん(81)は、
    「稲盛さんが人としての生き方や経営者としての心の持ち方を熱心に説いたのは、88年のリクルート事件をはじめとする汚職を目の当たりにし、心のある企業経営者こそが明日の日本を支えるとの思いからではないでしょうか」
     広島支部は当初、東西二つの支部が作られる構想だったが、西はすでに多くの学びの機会があったため、福山・尾道・三原・竹原を中心とする東が先行して発足。その後、西からも参加者が増え、福留ハムの中島修治会長、マリモホールディングスの深川真社長らが支部を盛り上げ、2010年代半ばには150人余りが参加した。
     支部の発足前、竹鶴さんは経営者6人と京都の第1回全国大会に参加。その時のことが印象深いと言う。
    「会場に400人余りの経営者が全国から集まり、稲盛さんは一人一人相談に応じた。まずは一杯うどんを食べて腹ごしらえし、よしっと掛け声を合図に杯をもって各グループを回る。しっかりと座って酒を酌み交わしながら話さないとダメだと、床に10畳ほどの畳を40数セット敷き詰めて会場を設えていた」
     このエネルギーはどこから来るのか不思議でたまらなかった。私は創業250年を超える酒屋の出身ですが、売り上げはまだ2億円にもなりませんと話しかけると、
    「規模の大小ではなく、長く続けることも大切。その分、従業員さんの生活を支えてきたのでこれからも頑張らないといけないよ」
     盛和塾の第1回中国地区大会前日に稲盛さんから連絡が入り、広島カンツリー倶楽部でゴルフを共にする機会があった。前半はスコア41。後半は最終ホールの2打目が伸びず60ヤードほど残ったが3打目を寄せてパー。トータル78だった。
    「こんなに気持ちの良いゴルフは久しくない。調子が良いから明日の中国地区大会は欠席して京都のゴルフ例会に出ようかな」
     冗談を飛ばす、気さくな人柄だったよう。享年90歳。
     知と情。二つがないと組織は崩れる。十二カ条に「常に明るく前向きに、夢と希望を抱いて素直な心で」とある。人として正しい心のありようが全ての源なのだろう。

  • 2022年9月29日号
    未完成のコーヒー

    日本のコーヒー文化は世界的にもユニークという。1960年代から薄めのアメリカンが普及した。96年以降はスターバックスコーヒー(米国)が上陸し、深いり方式が広がる。第三の波として、2015年に上陸したブルーボトルコーヒー(同)は種子の段階から生産管理を明確にした単一種の豆(スペシャルティーコーヒー)の風味を引き出す方式で、いま若者を中心に人気という。
     コーヒー豆販売で1947年に創業した寿屋珈琲飲料社(中区東白島町)の割方(わりかた)光也社長(68)は、
    「ブルーボトル社は、サイフォンやネルドリップ式などで職人のような技術が必要な日本の純喫茶文化から影響を受けており、いわば逆輸入。日本のコーヒーは焙煎(ばいせん)方法やいれ方が多様で、香りと味が全く異なる。約50年前に他界した父、海草(かいそう)は創業からしばらくして、コーヒーは未完成飲料と断じたそうだが、まさにその通りだと実感する」
     さっそく香りをかぎつけたのか、8月2日にリニューアルした幟町店には、店頭販売用に地元最多級にそろえた30種類超のスペシャルティーコーヒーを求めて、次々に若者が訪れる。木目基調の内装にダウンライトや中庭などを配し、しゃれた雰囲気を演出。新たにカフェを併設し、ハンドドリップで丁寧にコーヒーをいれる。とはいえ一番人気はブレンド。常連客がくつろげるように店頭販売とレジを分けた。食事は女性向けにパニーニなどを用意。本場イタリアのモッツァレラチーズなどを挟んで専用調理器で香ばしく焼き上げる。
     創業の地は的場町。現在は東白島町に移り、本社兼工場を構える。52年から72年まで本社を置いた幟町店は豆のひき売りを50年間続け、特に思い入れが深いという。
    「全国チェーンがどんどん進出する中、個人経営の喫茶店は30年間で半減するほど厳しい。当社も約60年前に出店した旧宮島タワー内や百貨店内の直営喫茶を順々に閉めてきた。天満屋八丁堀店には全館開業時から入居していたため、施設の閉鎖時は寂しさがこみ上げた。一方、コンビニやファストフードチェーンが力を入れたこともあり、コーヒーの消費量は上がっている。店づくりの工夫次第でファンを取り込めると思う。幟町店のカフェに先立ち、約50年ぶり、2015年に開業した廿日市市の宮内店はくつろげる空間として近隣の常連が多い。近年、コメダ珈琲のように家族で食事しやすい店が繁盛している。子どもが大人になり、なつかしく足を運んでくれる。そして子どもを連れてきてくれる。この流れを手放してはいけない」
     小学生の頃、父から「いつか朝食がコーヒーとパンに変わる」と聞いた。世の浮き沈みに惑わず、くじけることなく、ひたすら焙煎技術を磨いてきた。創業以来、焙煎職人に任命されたのは7人だけ。決して妥協を許さない、頑固なほど一徹である。
     14年には国内の専門企業で初めて、プレミアムブレンドが国際カフェテイスティング競技会で金賞を受けた。その後に他部門でも受賞。有名バリスタからの缶コーヒー開発の依頼などにつながった。コクもあり、香りもある。コーヒー一筋に歩んだ人生に後悔はない。

  • 2022年9月22日号
    感性で切り開く

    創業440年。その歳月をたどると人知の及ばない出会いの不思議や困難、転機の繰り返しではなかったか。
     堺で酢造りをしていた職人を尾道に招き、醸造酢造りを始めたと伝わる。以来、造酢に欠かせない蔵付きの酢酸菌を守り続ける尾道造酢(尾道市)は、県東部を中心に根付く調味酢「そのまんま酢のもの」を主力商品として家業の伝統を引き継ぐ。いま転機が訪れた。廃棄処分していたぽん酢原料の橙(ダイダイ)果皮を活用して飲料酢「KAHISU」を商品化。9月から本格販売に乗り出した。発端は思いもしなかった〝感性〟との出会い。新商品開発に臨んで感性という新たな切り口に正直、面食らったという。
     県食品工業技術センターの発酵技術に、県が事務局を務める「ひろしま感性イノベーション推進協議会」がKAHISU開発の受け皿となり、爽やか、上質感といった感性に訴える味わい、ボトルやラベルのデザイン、ネーミングまでを仕上げた。同社取締役の田中丸善要(ぜんよう)さんは、
    「果皮酢は飲料酢に商品化する前、つくだ煮の風味付けに採用されて好評だったが、何とか自社製品として一般市場へも売り込みたいと考えていた。営業マンもいない中で調味酢は地元の味として長年ご愛顧を頂いており、ボトルも30年以上ほぼ同じ。パッケージの重要性など特に意識することはなかった。協議会で感性という言葉に出会ってその価値を知り、わが社にとって新鮮な発見になった」
     商品の背景にある物語など感性に響くアプローチから新たな商品を生み出す、感性に訴えるものづくり。県主導で2014年に設立した同協議会が徐々に産官学の連携体制を整え、今回のプロジェクトをスタート。KAHISUのブランド名を冠し、第一矢を放った。県の担当者は、
    「ものづくりで必要な品質や性能、機能だけでなく、選ばれる、支持される付加価値を高めようとした時、何となくいいとか、手にした人の心を動かす〝何か〟が存在する。この何かを、選ぶ人に意味的価値として見えるようにしていく。感性の光を当て、製品設計に落とし込むひと手間が差別化につながるのではないでしょうか」
     協議会会員は218社46機関に上る。感性工学や人間工学を取り入れたものづくりを推進。理解や実践を促し人材育成を担う「感性実装カフェ in Zoom」や会員企業の相互協力による商品モニター調査、感性工学などの専門家派遣事業に取り組む。人の心を動かし、新たなマーケット創出につなげる狙い。中国経済産業局、広島市工業技術センター、県立総合技術研究所、(公財)ひろしま産業振興機構、(公財)中国地域創造研究センター、広島大学と同協議会(県)が連携し、昨年設立した(社)感性実装センター(柏尾浩一郎センター長)がプロデューサー役に加わり、連携の要としてコーディネートする。田中丸さんは、
    「ものづくりの理想と生産現場との調整が一つの課題として見えてきたが、今回支援を受け、売れているからと固定概念に執着せず、ものの考え方をゼロベースから進める。情報の大切さに改めて気付かされた。地元の農作物の出番も増やし、伝統を守りながら感性を磨いていきます」

  • 2022年9月15日号
    高野町のチャレンジ

    約4000平方メートルを造成して伐採したスギとヒノキで五角形の組み立て式ログハウス4棟を設置。県最北の庄原市高野町で、よろずやとスキー場「りんご今日話国」を営むNOSONの瀬尾二六会長(70)が9月、造成地にグランピング施設を開業した。
     島根県までひと足。力足らずとも高野町の過疎化に歯止めをかけようと、ブームのグランピングに着目した。まずは県内外から人を呼び込む作戦だ。地域の特産品、近隣の「道の駅たかの」などとスクラムを組み、高野の魅力を知ってもらう。そして交流人口を増やす遠望がある。
     グランピング施設はキッチンやシャワー、トイレなどを備え、屋外で地元食材のバーベキューも楽しめる。都会では望めない空気や景色、ゆっくりと流れる時間に身を置くと細胞までが蘇生。何より貴重な自然の力が大きい。
     10年ほど前。県産材を使う五角形の家「ペンタ御殿」の開発に乗り出し、被災地の避難用を想定したほか、イベント用など、使う人の発想と工夫で多様な用途を目論み、大人の隠れ家のような遊びの要素も盛り込んで市販も視野に入れていた。だが、コロナ禍に遭遇し、グランピングの事業化に踏み切った。
     瀬尾さんに夢がある。近隣の「道の駅たかの」開業から運営を軌道に載せるまで裏方で支えてきた。地域の産品を扱う拠点として機能させ、鮮度抜群の農作物が継続出荷できる体制を整え、売り場の活性化と地元の生産者が〝稼げる〟仕組みづくりに奔走。現在は生産者ら450人が会員登録し、旬を届ける。一方で特産リンゴを使ったスイーツを自社ブランドで商品化し、着々販路を広げる。
    「庄原市に合併する前の高野町人口は約3000人だったが、今はその半分。高校はなくなり、小中校も統合されて各1校。高齢化が進む。店がなくなればさらに寂れる。何としても踏ん張り、生産者が元気になる田舎を存続させるために、人が来てくれるようみんなの知恵を絞り、力を合わせる最後のチャンスだと腹をくくっている」
     農林業が基幹産業の庄原市は面積の83%を山林が覆う。人口は1市6町合併後の2006年から1万人以上も減り、今年7月末で3万人超。過疎地が消滅しないよう、見落としてきた地域資源、人の力を総動員して立ち向かう心意気が試されていると言う。
     大きな希望を抱かせるきっかけになった道の駅は来年4月で10周年。人出の多い日に300〜400万円を売り上げるが、コロナ禍の影響は大きい。道の駅を運営する「緑の村」の根波裕治社長は、
    「生産者が元気でないと道の駅は元気にならない。出荷者は65歳以上が多く、特産のリンゴやトマトの後継者が育ってきた。生産者がしっかり稼ぐ。それが若者を引き付ける一番の魅力だと思う」
     JR西日本広島支社と庄原DMOと連携した、毎月第三火曜に広島駅北口1階で里山マルシェと称す産品販売や観光PRが2年目になる一方、季節野菜発送のECサイトも本格化し、打って出る。
     9月7日に中区本通にある県産品アンテナショップ「ひろしま夢ぷらざ」が開業来初の大規模改装オープン。都会と過疎地をつなぐ、その架け橋を生かしたい。

  • 2022年9月8日号
    嘆くな、団塊世代

    戦後の、昭和の空気をたっぷり吸い込んでいる。1947〜49年(昭和22〜23)生まれを総じて「団塊世代」と呼ぶ。この3年の合計出生数は約806万人に上り、人口ピラミッドで他の年齢層を圧倒(厚生労働省資料)する。戦後の復興、高度成長経済とバブル景気を満喫し、その後バブル崩壊による失われた時代に悲哀を味わった人も多かったのではないか。
     小中学時代には一つの教室に50〜60人がひしめく。そのせいか競争意識が強い。時代の移り変わりとその人口のボリュームが相まって旺盛な消費意欲が企業を刺激し、産業の急成長を支えてきた。長時間働くことに何の疑問も持たない。その反動か、働き方改革や年金制度も含めて社会システムの変革を促してきた。振り返ると、時代から受けた影響が色濃く、前後の世代と比べて少し特殊な集団だったかも知れないと気づく。時に眉をひそめた人もいたかも知れない。団塊世代のみんなが後期高齢者(75歳以上)になる「2025年問題」がささやかれている。
     何が問題かと言いたくなるが、生まれながらに背負ってきた極端な人口の多さによって医療費などの社会保障費が膨れ上がり、何と「火葬場が足りなくなる」という。かたくなに自分で自分を守るという気概はあるだろうが、そろそろ人の世話になるという覚悟もいるのだろう。
     さて団塊世代の経営者はいまをどう見ているか、後輩へ何か伝えたいことはないだろうか。団塊世代の経営者を対象に今秋からインタビュー企画を始める。当社の22年版広島企業年鑑・人名編データベース(21年11月発行)から検索。紙幅の関係で、できる限りを紹介すると、
    石井英邦・増成織ネーム社長、今井誠則・東洋観光社長、内海良夫・データホライゾン社長、川口覚・デイ・リンク副社長、喜瀬清・ユニバーサルポスト社長、下花健男・シモハナ物流会長、長崎和孝・長崎塗装店会長、野口恒裕・ノサックス社長、細川匡・デリカウイング会長、本田昭憲・本田春荘商店副社長、山本静司・創建ホーム社長、大下俊明・フマキラー会長、大中恒男・オオケン会長、苅田知英・中国電力相談役、下岸俊夫・下岸建設会長、中島和雄・広島駅弁当社長、中島修治・福留ハム会長、中村哲朗・カクサン食品社長、西川正洋・西川ゴム工業会長、林春樹・アンデルセン・パン生活研究所会長、福永栄一・白菱会長、三村邦雄・三村松社主、山本一・ゼネラル興産社長、渡辺憲二・かめや釣具社長、渡邊健三・大興顧問、磯部茂見・やま磯会長、伊藤学人・イトー会長、大上正治・ロジコムホールディングス会長、岡本正勝・八光建設工業社長、鬼木春夫・賃金システム総合研究所会長、岸昭文・岸工業会長、蔵田至・西條商事会長、田中隆行・ザイエンス会長、田中秀和・田中電機工業会長、濱野憲生・木住販売会長、堀岡洋行・冒険王会長ら。
     そうそうたる顔ぶれがそろう。創業者や2代目、サラリーマンからトップに就いた方々。取材を通じて経営観や信条、印象深い出来事などを軸に伝えていきたい。

  • 2022年9月1日号
    志をつなぐ

    もとは海だった。広島の復興を引っ張った初代の公選広島市長、浜井信三さんが伊藤学さんの家を訪れて二人で高須の裏の山頂に登り、そこから井口と草津の沖を指し、
    「あの向こうの津久根島を含めて埋め立てしたい。いま、榎町や十日市方面にある中小企業は道路ぎりぎりまで使って社屋を建てている。荷物の荷さばきは全部道路でやるので、大変危険な状態にある。そうした中小企業は、広い場所に移転させたらどうかと思う。飛行場もつくりたいし、大学も移転統合する必要がある。そうしたことで土地がいくらでもいる」
     西区商工センターの広島総合卸センター初代理事長を務めた伊藤さんが回想録でこう述べている。もう七十数年前の話だが、これが西部開発構想の始まり。総事業費1000億円を投入し、328ヘクタールを造成。市で戦後最大級のプロジェクトだった西部開発事業は1982年に完成し、今年で40年になる。いま団地再開発構想が動きだした。7月29日、その計画書を松井市長に手渡した卸センターの伊藤学人理事長は中小企業会館の更新と流市法緩和地区の街づくり構想の巻末で、
    「われわれが持っているものは提案書であって施工書ではない。これを市長に投げかけるということはこれを参考にしながらこの地域をどう活性化してもらえるのかというボールを投げることになると思っている。これが100%実現するとは思っていないが、これに近いものを考えてもらうべく、市には要望していこうと考えている」
     親子で志をつなぐ、壮大なライフワークになった。
     大きく二つのテーマがありその一つ。広島サンプラザとその周辺を建設候補地とする「MICE(マイス)関連施設」はメイン展示場約6000平方メートル、ホテルなど。延べ床約3万4500平方メートル。隣接のメインアリーナ約2500平方メートル、観客席は8000人に対応。建築面積約1万2000平方メートル。新たなBリーグのアリーナ(ドラゴンフライズ本拠地)と展示場、ホテルなどを整備することでスポーツのほか、学会などの大会やコンサート、展示イベントが開催できるようにする。
     中小企業会館・展示場を建て替える「アクティビティセンター(イノベーションハブとしての活動センター)」の共創事業プラットホーム=ワーククラブシェアオフィス、ギャラリーホール、コラボスタジオ、カフェ、コワーキングスペース、研究開発工房など延べ床約4900平方メートル。新たなループ型事業ハブ=200万人広島都市圏自治体のサテライトオフィス、西の玄関口の街づくり会社、地域医療センター、ローカルアンテナショップ・市場、クリエーターズハウス、コワーキングスペース、シェアオフィス、卸センター事務局など延べ床約6200平方メートル。
     Aゾーン(2〜3丁目の約10万平方メートル)=通称「アジト通り」を対象に街づくりイメージを描く。建て替えによる商業化と高度利用を目指して主に来訪者らの歩行に配慮した道路に再整備するA案。物流等の業務に配慮した道路と建て替えの高度利用による再整備のB案を検討。
     世の動きが早く、数年先さえ容易に見通せないが、志がなければ取り残される。

  • 2022年8月25日号
    チャンスを逃すな

    2025年に大阪万博が開かれる。その場所は後にカジノやホテル、劇場や国際会議場、展示場やショッピングモールなどを備えたIR(統合型リゾート)になる。このため、多島美とともに多くの都が点在する西瀬戸は世界につながる、と切り出す。
     広島総合卸センターは「組合街づくり事業」として、
    「広島湾に位置する商工センター地区は、周辺の市町に短時間でつながる交通網や西瀬戸の島々につながる草津港があり、その港には周辺の産品が集まる広島中央卸売市場がある。今後MICE関連施設や中小企業会館の建て替えなどの新たな機能とともに、広島の西の玄関口として再生することができれば、西瀬戸共生圏の生業や産品が集まり循環する新たな広島のSDGs(持続可能な開発目標)の拠点になる」
     日本有数の流通団地を擁する西区の商工センター地区を西の玄関口として、大胆な構想を描く。
     団地中心部にある「広島市中小企業会館・総合展示館」と「広島サンプラザ」の両施設は老朽化が進み、にぎわい施設を備えた中央市場の建て替え計画も控える。団地をリノベーションする絶好のチャンスを逃す手はない。
     中央部には東西方向に広島南道路が走り、その道路は海沿いの広島高速3号線や広島呉道路とつながる。中山間の北方向はバイパスを介して山陽自動車道、中国縦貫自動車道につながる。JRと路面電車の乗降場となっている新井口駅(将来はコンコースを共有する橋上駅とする)から約15分で広島駅に着く。草津港は今後、漁港+観光港として一般の海上交通が入港できるようになれば、おだやかな瀬戸の海を楽しみながら都心や宮島などの島々に行くことができる。
     タイミングも周辺環境も申し分なく、何より地元が前向きで、ここは行政の出番。大規模な展示場や国際会議場の建設などは市に要望するほかないが、本来の目的である卸機能の拡充をはじめ、ユニークな提案も盛り込む。
     その一つ。「アクティビティセンター」では広域都市圏の行政関係、民間事業者、まちづくり団体などが西の玄関口街づくりや新たな連携事業を考え、流通・消費拠点としてヒト、モノ、カネ、情報が循環するローカル経済の醸成を目指す。このほか、MICE関連施設に隣接する第5公園とアクティビティセンターに隣接する第6公園、新井口駅と草津港をつなぐ歩行者専用ルート(ペデストリアンデッキ)や西部周遊緑地をファーマーズマーケットなどのローカルイベントに活用できる公共空間とするなど。
     来訪者の動線と物流などの業務動線を階層分けする歩行者専用ルート(ペデ)を新井口駅から草津港の間に設け、そのルートにつながる西部周遊緑地などに来訪者が街を回遊するパーソナルモビリティルート(自転車やキックボードなどのルート)を設ける。
     MICE施設のバスターミナルやアルパーク、レクトなど集客拠点施設をつなぐ循環型交通(バス)を設けて新井口駅と草津港の間の歩行者の移動を容易にし、将来は自動運転する循環型バス、鉄道、船、地区内情報がシームレスにつながるスマートモビリティの実現を目指す。次号へ。

  • 2022年8月11日号
    都市の構え

    ロシアのウクライナ侵攻、国の安全保障や新型コロナ感染拡大、物価高騰、エネルギー資源などをめぐり、混沌とする世界情勢。そんな折、来年5月19〜21日の日程で「G7広島サミット」の開催が決まった。
     大国の米中対立を軸に、果たして世界情勢はどう動いていくだろうか。広島サミットはその時、世界から大きな関心を集めるだろうが、広島にとって、その後のことも大いに気になる。観光客誘致の起爆剤になり、市民レベルで都市の在り方などが問われることになりはしないか。
     歴史は繰り返すという。20年近く前。広島市公共事業見直し委員会(地井昭夫座長=広島大学大学院教授)は、南区出島地区に建設を計画する国際会議場・見本市(メッセ・コンベンション)施設整備など5件を「中止」とする中間報告をまとめた。メセコン基地について「経済社会情勢などから緊急性が低い。料金収入の考察が不十分で、将来の維持管理費等の負担が大きく経営見通しが不十分」との理由を示した。散々である。当初での計画があまかったのか、計画後に情勢が変わったのだろうか。
     いま出島地区から西区商工センター地区に建設候補地を移し、国際会議などの開催施設「MICE(マイス)」整備の構想が動きだした。広島総合卸センターなど20団体・413社でつくる広島商工センター地域経済サミット(伊藤学人会長)は、MICE施設誘致を核にした「西の玄関口」街づくり構想をつくり、7月29日、広島市の松井一実市長にその提案書を手渡した。
     これを受けて、松井市長は「官民連携で商工センターの街づくりビジョン策定作業に入り、2024年度に完成させたい」と応じ、一歩踏み込んだ。どうやら実現へ向けた道筋がつきそうである。
     街は古くなった建物を建て替え、新しい街へと変貌を遂げてきた。広島の玄関口、広島駅周辺では長い歳月を要して再開発計画が進展し、いまや高層ビルが建ち並ぶ。経済サミットはこれから先を見据え、広島の「西の玄関口」として名乗りを上げた。やはり卸団地の組合施設や組合員所有施設の老朽化などが発端になった。2年をかけ、このほどまとめた「組合街づくり事業」のはじめ(要約)に、
    「高度成長期に誕生した卸団地組合は、約半世紀の歳月を経て、新たな転換期を迎えている。卸業界は中抜き現象、通販の台頭、大手スーパーの寡占化などにより経営環境は大きく変化し、年間販売額・業者数は大きく減少。構造不況業種の倒産や業種転換による組合からの転出から、組合員は減少の一途をたどる。さらに組合施設や組合員所有施設は耐用年数が到来し老朽化が進んでいることや、現状の経営形態に合った施設の在り方が求められている」
     16年に設立40周年を迎えると同時に活性化策を発表。六つの取り組むべき施策を決定し、このうち「組合員施設の更新」「人作り〜ビジネススクール」「防災・防犯対策」「景観事業」の四つは既に事業化し、それぞれ成果を挙げている。残る二つの「流市法の緩和・廃止」と「中小企業会館・展示場の更新」は、街づくり議論の中で解決に向けた方向性を見いだすことにより、全て出そろう。次号へ。

  • 2022年8月4日号
    時代の潮流捉える

    世界的な脱炭素の潮流を受け、2050年までに温室効果ガスをゼロにするカーボンニュートラルへ向けた取り組みが広がり、自動車業界はEVシフトを加速。給油所の経営環境が厳しさを増す中、綜合エナジー(安芸郡府中町茂陰)は昨年2月、全国初のエネルギー自立型給油所として八本松SSを開業した。
     環境省のレジリエンス強化型ZEB支援事業の補助金を活用して同SSを改修。関連メーカーと共同で電源切り替え自動制御システムの開発も進め、太陽光発電の電気を蓄電池に充電しながら利用し、不足分は中国電力から再生可能エネルギーで発電した電気で賄う。停電時などこれらの電源が確保できない際は非常用発電機が自動で稼働する。貯水槽も備え、災害時も通常営業が可能で、燃料の安定供給ができる防災型給油所の機能を備える。次いで同年12月に沼田SSも改修し、自立型2号店をオープン。
     いち早く環境や災害対策を講じた給油所に着眼し、独自のアイデアを取り入れた給油所を運営する同社は13年3月開業したペガサス新大州橋SSを皮切りに、セブン-イレブンと複合型の災害対応型給油所を実現し、多店化に乗り出す。今年3月リニューアルした矢野ニュータウンSSなど市内中心に5店を展開。直営全9店は自家発電設備を備え、資源エネルギー庁の住民拠点SS認定を受ける。狩野一郎社長は、
    「月1回、各店代表が集まって防災ミーティングを実施する一方、定期的に防災訓練も行う。近年、給油所はサービスステーション(SS)と呼ばれるようになったが、当社は数年前から〝強靭(きょうじん)なインフラステーション〟を合言葉に地域になくてはならない拠点づくりにまい進。車の動力源がどのように変わろうとも、地域のライフラインとして存在価値を高めていきたい」
     目標は明確だ。ガソリン販売量よりも来店客数に主眼を置く経営も珍しい。一人でも多く〝入りやすいSS〟がインフラステーションへの入口という。24時間営業のコンビニや洗車サービスなどもその一環。新大州橋SSは1日当たりの洗車台数が全国のエネオス系列店で1位になったこともある。顧客志向をとことん考え、求められているものは何かと追求し続けた。全9店の平均顧客数は全国でもトップクラス。見事に時代の潮流を捉えた。
     原油高騰などで石油元売り大手3社の22年3月期決算は過去最高益となったが、エネオスHDは6月、NECのEV用充電サービス事業を譲受。出光興産は給油所の「スマートよろずや」構想を打ち出し、脳ドックなどの拠点転換を試みる。コスモエネルギーHDも系列SSでEV充電サービスを始めた。
     綜合エナジーの22年2月期売り上げは過去最高を更新し95億円超。同社の坂油槽所は年中無休で陸海輸送体制を敷く。一方で、LED照明導入の省エネ化支援でビジネスの輪を広げるなど地域に役立つ運営に徹する。
    「東日本大震災や西日本土砂災害を経験した。いつでも誰でも入りやすいSS、インフラステーションであり続けるためにも全店エネルギー自立型にしていきたい」
     リスクを革新の原動力とした辺りが勘所なのだろう。