広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。
自動車のエンジン周辺やパネル、外装、サスペンション部品を主力に、プラスチック射出成形を手掛ける澤井製作所(三原市)は4月1日、県境を越えて山口県の田布施町にある同業の中神自動車工業の全株式を取得した。このM&Aにより、来年1月期決算売上高は現在の約20億円から倍の約40億円に拡大する見込みだ。従業員数も倍の200人(パート・派遣社員除く)に増える。
経営を引き継いでくれる後継者不在に悩んでいた中神自動車工業から話が持ち込まれた。以来、5、6年の歳月をかけ、互いの経営姿勢を確認の上、得心のいくまで条件や計画を詰めた。今年1月、中神自動車からプラスチック射出成形の黒瀬工場(敷地3300平方メートル)を先行取得。続いてプラスチック塗装の田布施工場(同9700平方メートル)を取得。同工場はフロント塗装などを手掛けており、マツダやトヨタ関係の取引先をそのまま引き継ぐ。
これで同社は三原市〜東広島市黒瀬町〜山口県田布施町に3つの生産拠点を構え、納入先に近い立地を確保。プラスチックの射出成形と塗装の両方を受注できることになった価値は大きい。
むろん双方にメリットがありM&Aが成立。その交渉に入る前に「澤井さんなら大丈夫」という中神自動車の中神六也社長の判断が、何より大きかったようだ。
澤井製作所は経営理念に、
「社員の物心両面における幸福を追求します(物=給与が高い会社にする、心=お金だけでなく心の豊かさを追求する)」と掲げる。
澤井雄一専務(38)は9年をかけ、経営の基本的な考え方や価値観を自分自身に問い掛けながら心に深く刻む言葉をこつこつとメモにしたためてきた。これらを胸ポケットサイズ全43ページの社員手帳に納め、2019年から発行。一文ごとに思いを込め、専務個人の実印を一冊ずつに押印。毎年内容を更新し、全員に配布している。
一部を抜粋すると「第一に当社に来てくださる社員、支えてくださるご家族の方へ感謝をします。互いに仕事を助け合う同僚、仕事を頂けるお客さま、社内でできない生産をお願いする協力会社それぞれに感謝することを最も大切な考え方としています」
平凡なようだが、これを身に付けるのは並大抵でなく、一人一人が日々の仕事を通じて言行一致を実践していくほかない。毎週月曜の朝礼で一つ一つの文章の意味や思いを加えながら、読み合わせを実施しているという。
澤井専務はJR西日本に10年勤め、新幹線の運転士も経験。11年に家業を継ぐために帰広し、すぐさま生きた経営学を学ぶことに没頭した。
「現場改善や財務、経営幹部とのコミュニケーションなどで気付いたことをメモに書きためてきた。16年に約4カ月をかけ、3年分の中期経営計画書を作成。企業理念や経営理念、今後のビジョン、社内や社外の環境分析から戦略目標を引き出すSWOT分析を行った。不良品率0.0001%以下など目標となる数字を設定し、1年ごとに何をすべきか指針を示した。役職は評価の見える化であるが、人間関係の優劣ではない」
皆が助け合う、有言実行の組織づくりにまい進する。
おかげさまで、週刊「広島経済レポート」は創刊70周年を迎えることができた。
1951年5月20日付で月2回刊の「広島経済情報」を創刊。53年1月から現在の題号に改称。54年から週刊に移行し、本号で3251号を重ねた。ひとえに読者、そして多くの企業、多くの方々に支えられて70年。ご愛読とご支援に対し、心から御礼を申し上げたい。
弊社の本棚から引っ張り出した、いささか古ぼけた創刊号の記事に、
5月1日で中国配電、日本発送電(中国地域)は電気事業再編成令によって、新たに資本金5億4000万円の中国電力を設立。多年の懸案であった発電、送電、配電の一貫経営ができることになった経緯などを伝え、初代の島田平蔵社長ら各取締役の略歴を紹介。続いて同社の取締役に名を連ねた山陽木材防腐(現ザイエンス)の田中好一社長へのインタビュー記事などを載せている。
週刊誌の歴史は、1895年に「旬刊東洋経済新報」(現在の週刊東洋経済)、新聞社が1922年に「旬刊朝日」と「サンデー毎日」、52年に「週刊サンケイ」を創刊。55年「週刊ダイヤモンド」、56年「週刊新潮」、59年「週刊現代」「週刊文春」、69年「週刊ポスト」などが次々創刊。弊誌の創刊も活字が愛された時代の空気を反映していたのだろう。やがて80年代に入り政治、経済・ビジネス、スポーツ、芸能関係や女性向けなど週刊誌の発行部数は最盛期を迎えた。しかしこの十数年、インターネットやスマホの急速な普及に押されて苦戦。2020年に廃刊した雑誌は100誌を超えるという。
今日まで曲がりなりにも発行し続けることができたのは広島の地域性とも関わっているのではないかと思う。95年4月15日号の通巻2000号で、県の竹下虎之助前知事、中国新聞社の山本朗社長、賀茂鶴の石井泰行社長らから寄せてもらった言葉を掲載。むろん社交辞令もあろうが、一部を抜粋すると、
「経済界の皆さんは平素忙しく、お互いの消息にも疎くなる。レポート誌はそこをうまく埋めていただいている。誌面を通じて情報を得ている。それで安心したり、心配したりして、つい声をかけ合うようになる」(竹下虎之助)
「初めて広島経済レポートを読んだ時、これぞ真のローカルと感じました。東京にはこうした読物がなく、まさに日々の身の回りの動きが活字になっていて面白く拝見。記事はいずれも興味深く読んでいるが、その中で特にスポット、巻末のこぼれ話を読んでいる」(石井泰行)
地域の身近な話題をできるだけ取り上げてきたとの自負とも重なり、あらためて気の引き締まる思いがした。
戦後の復興期から高度成長期を経て、ものづくり産業を中心とした広島経済の盛衰とともに3251号を歩み、さらに「地域に役立つ」情報発信にまい進したい。
70周年企画として「10年後の広島の自動車産業のあるべき姿」をテーマに、近く懸賞論文を募る。ひろしま自動車産学官連携推進会議の協力を得て、最優秀作を本誌やウェブサイト「ひろしま企業図鑑」で紹介する予定。次代が求める、元気な広島のビジョンを期待したい。
創業家で代々つなぐオーナー経営企業が7割を占める。中小企業庁が従業員21人以上の企業2144社を対象にしたアンケート調査(2017年度)によると、オーナー経営以外の企業は3割。社員から研さんを積み、上り詰めたサラリーマン社長は、いわば経営のプロ。社長になったらこうしたいとの思いは強いのではなかろうか。
1月に創業70周年を迎えたテンパール工業(南区)の伊藤豪朗社長は、2019年6月に中国電力常務執行役員から転じ同社社長に就いた。
「私の社会人生活の集大成として会社や社員に何を残せるのか。慣れて見過ごし、既に陳腐化している制度などはないか。全ては何のためか、このままでよいのかと問うてみる。固定概念を捨て去り、社内改革を断行する」
と言い切る。よほどの覚悟なのだろう。
同社は中電子会社で、分電盤や計測器などを製造。20年3月期決算で売り上げ113億円を計上。従業員331人。社長に就くやいなや全国に26ある拠点を回った。そうすると、残業削減に対する従業員の意識が低く、一部の拠点では管理職からの残業指示が明確になっていないことが判明した。全従業員の過去2年分の残業実態を洗い出し、過去のサービス残業の疑いがあるものを一括精算するとともに、サービス残業を防ぐための制度や仕組みを設け、残業に対する意識改革を徹底的に実施した。
時間に関する取り組みとして、19年10月に所定労働時間を5分ほど短縮。わずか5分だが、当初は業務にさまざまな支障が出た。しかし支払いの電子化や社内データのクラウド化、時差出勤制度など、限られた時間の中で生産性を上げるためのさまざまなアイデアが生まれ、次第に定着してきたという。
併せて始業前のラジオ体操や時間外の電話の取り次ぎ、無駄な会議も全て廃止した。さらに社長決裁だった案件なども部下に権限移譲し、社内の意思決定にスピード感を持たせた。物事の根本から洗い出し、構想を練り、その着手にためらいはなかった。
周年事業の一環として3月末に全国26拠点の社員用の机や椅子、冷蔵庫、電子レンジなどのオフィス家具・家電を一新。7月にはホームページを全面リニューアルする。
「家具の更新は働く環境への投資。古い金属製の机が並んだオフィスから改めた。現状追認型の組織になると、新しい発想が出なくなり、誰も意見を言わなくなってしまう」
4月1日にはDX(デジタル変革)推進室を新設。学生時代にシステム関連の学部に在籍していた20代の若手社員を中心に外部専門家の力も借り、ものづくり現場のデジタル化に取り組む。
「最終目標は生産ラインの自動化。ロボットや制御システムを駆使して実現させたい。併せてペーパーレスなど各種業務の効率化も進める。推進室の設置によって、デジタル化に取り組む決意を示した。まだまだ道半ば。今後は従業員の一人一人に改善、改革への思いが伝わり、情報共有できる環境整備や仕組みを充実し、みんなが元気になる組織を目指す」
人が変われば、見方も変わり、組織も変わる。トップ人事の妙といえよう。
いつ、誰に経営を任せるのか。既に後継者がいる同族企業などはともかく、経営の第一線から退こうとしても、周りに経営を引き受けてくれる人が見当たらない。生涯を懸けた会社を残したいが、自分自身の年齢や健康状態などを考え、やむなく廃業に追い込まれるケースが多いという。そうした廃業を未然に防ぐ手はないだろうか。
人材教育や企業内研修などのウーブル・ロールモデル研究所(中区大手町)は県の事業承継ネットワーク事務局(当時。4月1日付で組織統合)の委託を受け、経済産業省のプッシュ型事業承継事業としてユニークな二つの事業承継モデル講座を計画する。
その一つ。経営者のための「セカンドステージモデル」講座は、第2の人生を謳歌(おうか)している事業主の事業承継プロセスを紹介する動画をウェブで公開。事業承継支援ネットワーク拠点で、自由にその動画を視聴できるようにする。経営者に豊かなセカンドライフを促し、健全に事業を引き継いでもらうために、まずは経営者が適切なタイミングを計り、現役を退くことが大前提という。
もう一つ。後継者予備軍向け「後継者マインド育成」講座は、起業や経営に関わりたいという意思のある人を対象に、承継可能な事業主の商品やサービスの紹介ほか、経営者としての心構え、スキルを習得する狙いがある。同研究所社長の十倉純子さんは、
「経営を誰かに譲りたいと考えている人、一方で経営に意欲のある人や起業を考えている人の双方が、その第一歩を踏み出すためのきっかけをつくり、経営の譲渡受の間をつなぐ仕組みが必要。そのときに手遅れにならぬよう、できるだけ早く事業承継の準備に取り掛かることが大事」
十倉さんは20歳代で人材派遣会社の広島営業所長を務め、通算200人以上の採用や人事、営業、教育を担当。その経験を生かして独立し、1993年に人材派遣事業や社員教育の(有)フュージョンを設立した。97年に株式会社化後は 十数億円を売り上げていたが、思うところあってM&Aにより会社を売却。後に人材教育事業だけを買い戻し、2007年に同研究所を立ち上げた。人材教育に長年携わる中で、企業の事業承継の実態に触れる機会も多く、さまざまな事例を見てきた。
「一代で事業を築いた創業者の中には自らの成功体験に固執し、なかなか新しい分野、経営革新に踏み出せないケースもあります。いま一度、自社の事業内容を仕分けし、将来を期待できる分野か、あるいは新たな方法で再生できる事業なのかを見極めながら、後継者へ引き渡す経営環境を整えておく。そして自分自身は第二のステージへ進む決断も必要ではないでしょうか。経営者の一番大きな仕事と言えると思います」
広島県内の企業の後継者不在率は70%を越える。その大きな仕事を成すタイミングこそ重要。経営者のセカンドステージに着眼し、例えば「会長の会(仮称)」を立ち上げ、共通の経験やノウハウなどを生かして社会との有効なつながりを生み出していく事業プランなどを提案する。人生100年時代へ向け、将来性の高い事業を継続、発展させていく新しい発想の知恵が求められているのだろう。
総事業費1000億円を投入し、328ヘクタールを造成。西日本最大規模の西部流通団地が1982年に完成し、来年で40年になる。施設老朽化に伴って団地リニューアル構想を進める西区商工センターの広島総合卸センターは3次元(3D)画像技術により、「AIを活用した団地内の効率的な物流や自動運転技術の地区内導入」などをテーマに、新しい街のイメージをビジュアルに描く「まちづくり提案」事業を進めている。
卸センターは、団地中心部にある「広島サンプラザ」と「広島市中小企業会館・総合展示場」両施設と機能を一カ所に統合する、メッセコンベンション施設誘致・整備を中心とした再開発構想を提言。これをきっかけに人、物、情報が世界から集まる国際会議や見本市といった「MICE(マイス)」都市構想が持ち上がり、広島市関係部局のほか、卸センターなどの団地組合や広島市中央卸売市場、地元町内会などで検討会をつくる。
3Dを活用する「まちづくり提案」は、昨年6月に全国卸商業団地協同組合が実施する団地機能向上支援事業(2カ年)に採択され、4分3程度の助成を含む4000万円近くの予算を組む。これを受け、同年7月に市関係部局、県中小企業団体中央会、アール・アイ・エーら専門家と組合理事らで「機能向上支援事業委員会」を設け、本年度中にビジュアル提案をまとめることにしている。
パンデミックでやや水を差された格好だが、MICE施設誘致が具体化すると、さらに大勢の人が団地へ押し寄せる。これを受け入れる最寄りのJR新井口駅・広電商工センター入り口駅の拡張建て替え、駅前ロータリー整備、ペデストリアンデッキ延伸などのほか、団地内の交通混雑を解消し、物流と人の流れをどのようにさばくのか。委員会はこうした新たな課題の解決策を探る。
例えば、自動運転技術を導入したバスを運行し、新井口駅から商業施設アルパークを経て団地東側ブロックの周回道路に入り、商業施設レクト〜にぎわい施設を併設した全面建て替えを計画する市中央卸売市場〜構想中のMICE施設などを巡回するコースを想定。併せて自動運転で走行する小型の乗り物をスマホで呼び出し、団地内を移動できる案などを検討する。団地内企業の物流、業務に支障が出ないよう、自動運転の走行エリアを限定。またAI技術を活用し、効率的な物流の可能性などを模索する。
激動する流通界を反映し、団地とその周辺部にある大型商業施設も大きく変貌しつつある。2017年にレクトが開店。2年後に大和ハウス工業がアルパーク東・西棟を三井不動産グループから取得。翌年、西棟の天満屋が閉店。今年は9月にスーパーのハローズ草津新町店、10月にダイレックス広島商工センター店がオープン予定。さらに来年春にアルパーク西棟がリニューアルオープン、23年春には東棟が全面リューアルオープンする予定。
新しい街の姿を3Dで描く「まちづくり提案」は、長期的な課題の「流市法の規制緩和」と「地域の核となる新しい施設整備(中小企業会館建て替え)」なども検討する。いつ完成するのか、AIで一発回答できないのだろうか。
そのとき「買いたい」という情報があったのに、その技術を「売りたい」という企業に気付かず、絶好のビジネスチャンスを逃す。必要なときに必要な情報をキャッチボールできないか。建設機械やプラント用配管部品を専門に扱う菱光産業(西区)は、外注先検索サイト「ニッポン&アジアものづくり企業ポータル」を開設し、登録企業間の取引拡大によって互いの活路開拓や事業発展につなげる新たな取り組みを始めた。
こんなモノやあんなモノが欲しいという会社をウェブサイトに集め、こんなモノやあんなモノを作れるという会社とマッチングする仕組みを構築。サイト登録100社を目標に、もっか中国地区65社の製品や加工技術、得意分野などを集める。最適な製品・加工技術や納期などの情報を収集〜発信し、登録企業間の取引を広げる狙いだ。吉田大蔵社長は、
「高度な技術があっても発信力が弱いため、その技術を必要としている企業に届かず、みすみすチャンスを逃してはいないか。多くの取引先には忙と閑がある。そうした情報を分析し、調整して効率よく受注を振り分けることができれば、納期や単価などを含め発注、受注の双方にメリットが生まれると考えた。これまで接点がなかった企業の技術やサービスを複合することによって新しいものづくりを創り出す可能性も期待できる。規模は小さくとも技術力に優れた企業連携グループのサイトからビジネスの宝を発掘できる仕組みを確立したい」
と構想を練る。
同社は三菱重工業を退職した祖父の鉄市さんと実父の愷忠さんが1959年に創業。造船の配管部品を皮切りに扱い品目を増やし、建築関連など幅広い業種の配管を扱っていたが、20年前に受注先を大竹や岩国のプラント工場向けに特化した。現在はコベルコ建機や三菱重工業をはじめ、コンビナートや発電所関連の120社強に及ぶ。ネットで入手できる部品の扱いは極力避けるようにしている。特殊で打ち合せが必要、一点もの、調達が難しい、海外規格などのニッチな要望に応える。
取引先も含め配管業界向けの教材提供や、仕入先企業の生産効率化などに役立つことを目的とした取り組みも始めた。配管知識とフランジ(つば状配管継手)締付実技を体系的に学ぶ講座や、製造履歴追跡システム、無人搬送車、パイプ・継手の亜鉛除去・開先加工の完全自動化マシン、設備・工場内老朽化対策などの改善を図る一連のメニューをそろえる。
「既製品を大量に扱う卸は当社の規模では難しい。特殊品に特化すると同時に、生産設備を持たないファブレス経営で課題を解決し、取引先の成長にかかわることができる事業領域を広げたい」
昨年12月、RYOKOホールディングス(中区)を設立。傘下の菱光産業と縦軸で結ぶタイ現地法人は、ASEANの日系企業向けに建機、自動車向け部品などを現地調達する。今後はIT会社などとのM&Aも視野に、多様な事業会社を横並びにするプランを描く。
「ソリューション事業を1つ1つ整備することにより、微力ながら地域、企業に貢献できるRYOKOグループの態勢を整えていきたい」
繊細な技法を駆使し、餅やあんで四季の移ろいを彩り、風流で味わい深い上生菓子。桜をめでる茶会への対応などで春先の和菓子店は繁忙を極めるが、昨春から一変。コロナ禍で宴席や祝い事などがことごとく中止になり、観光客向け土産も振るわない。
何とかならないか。窮地に立たされた呉市の老舗・蜜屋本舗常務の明神宜之さん(38)は全国の同業者を巻き込み、昨年4月から「旅する和菓子」のネーミングで共同販促の取り組みを始めた。これが全国で評判になり、百貨店の新宿高島屋は今年2月15日から「旅する和菓子」イベントを開き、全国から和菓子の7店が参加。明神さんら4人の職人が店頭で和菓子作りを実演した。
「感染症対策で試食や呼び込みが禁止されるなど厳しい状況だったが、日に日に客が増え、中には何度も来店してくださる方も。最終日は朝から夕方まで客が途切れることがなかった」
最終的に9日間で当初目標の3倍を売り上げ、関係者を驚かせた。旅行にブレーキがかかり、自粛ムードの中、地域の文化を伝える銘菓が旅情を誘ったのだろうか。
さらに百貨店バイヤーからのアドバイスが響いた。どんなに忙しくても実演は見やすいよう、興味を引くよう、ときに言葉を添え、プロとして楽しませなければならない。目の前のスペースは菓子作りの作業台ではなく、君たちのステージ。自信を持って振る舞ってほしいと言う。良い物を作るだけではなく、魅力を伝える努力が欠かせないと改めて気付かされる。
ひらめきから旅する和菓子企画が始まり、この一年で着々と実績を重ねた。
「昨年3月、店を構える広島駅の土産物売り場が休館となり、多くの在庫が行き先を失った。このまま経営を続けられるのか、不安だった。そうした渦中で、東京の製菓学校で共に学び、全国で活動する同年代の和菓子職人たちと情報交換するうち、ひらめきがあった。当社の蜜饅頭もそうだが、各地にその土地で長く愛され、その場でしか食べられない銘菓がある。それを統一の企画で相互にネット販売すれば、多くの人に届けられると考えた」
初回は、明神さんが職人として上生菓子などを実演販売する旬月神楽(中区白島中町と西区庚午北)のどら焼きをはじめ、石川県の干し菓子、栃木県の煎餅、埼玉県のコーヒーをセットにした。複数メディアに取り上げられ、300セットを数日で売り切った。
「業界全体を盛り上げなければと考え、わずかなルールだけを決め、あとは全国の店が自由にやっても良いことにした。販促物などを共有し、皆が取り組みやすくした」
地域に根差した職人が県境を越え協力することで、新たな価値を生む。これまでの6回に岩手、石川、岐阜、三重、岡山、香川などから計17店が参加。毎回、なかなか手に入らない個性豊かな和菓子が味わえると評判を呼び、計2400セットを売った。
県内に2人しかいない全国和菓子協会の「優秀和菓子職」の1人で、政府の文化事業で欧州やアジア各国に派遣された経験も。日本の誇る伝統技術を携え、世界的に珍しい油を使わないスイーツを切り札に海外へ旅する夢を描く。
人間五十年 下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり
信長が好んで演じたと伝わる幸若舞「敦盛」の一節である。当時の平均寿命のことではなく、人の世の50年は下天に比べると、たったの一日に過ぎないという。いまの時代も過ぎ去ってしまえば50年はあっという間。しかし人生100年時代を迎えると、働き方や定年後の暮らし方なども一変するのではなかろうか。中国新聞社グループで人材総合サービスのメイツ中国(中区胡町)は、管理職経験のある60代を対象に「顧問倶楽部」という新たな人材紹介事業に乗り出す。
人口減に突入し、さまざまな職場で働き手の不足が深刻化。それでも慣習なのか、定年を迎え、優れた人材もまた職場から去っていく世代交代を繰り返す。企業は技術の伝承、後継者の育成などに四苦八苦。一方で定年後に週に数日程度、やりがいのある、社会に役立つ仕事に就きたいと考えている人は案外、多いのではなかろうか。同社は、フル勤務では考えられない広範囲での可能性を探り、無理なく働ける方法を提案する。経営企画や財務、人事、営業、生産管理などに高度な専門スキルや豊富な管理職経験、人脈を持つ人らを顧問として登録。的確に助言、指導してくれる人材を求めている企業との間を「顧問契約」でつなぐ仕組みをつくる。働き方は多種多様。こうした事業は首都圏で先行しているが、中国地方ではまだ珍しいという。
3月26日に専用サイトを開設し、これから幅広く登録者を募る。既に成約した事例もある。自動車メーカーの営業管理職経験者は、新たな販路開拓を考えている物流会社との間で条件が一致し、顧問契約。埼玉県内の製造業の工場長経験者は、広島本社の埼玉工場と顧問契約。遠隔地のため管理が行き届かず、現場の改善が急務となっていた。現工場長を育成し、生産能力を向上させる役割を担う。広島県内の基盤装置メーカー管理職経験者は、管理部門全体の最適化を目論む建設コンサルタント企業と顧問契約。原則1年更新で、出勤は週1、2日程度、報酬月額は30〜40万円程度を予定。
経営者はいつも有能な人材を求めており、事業発展のチャンスをうかがう。新事業を立ち上げたいが、しかし任せられる人材は社内にいない。「経営者の右腕としてマネジメントに携わる人材を探している」、「海外展開などによる新たな販路拡大を考えている」、「ECサイトを立ち上げ顧客開拓したい」、「生産・開発現場で新たな手法や価値を生み出したい」などのさまざまな経営課題の解決に“伴走支援”し、顧問として力を発揮。求人と求職の双方のさまざまな希望や条件をできるだけ多くプールして出会いの場を提供する新たな仕組みにより、まだまだ元気で意欲のあるシニアに活躍の場を提供する価値は大きい。
本当かと思うが、海外の研究報告で、2007年に日本で生まれた子どもの半数が107歳より長く生きるという推計もある。国は人生100年時代に向け、介護人材の処遇改善やリカレント教育、そして高齢者雇用の促進などの政策目標を掲げる。次の時代が何を求めているのか、いま一度、働き方や人生設計を見直してみるときか。
車産業は100年に一度の変革期という。電動化や自動運転などの技術革新はどこまで進むだろうか。
「われわれは常にユーザーの心に視点を合わせている」
とは、軽自動車の販売と車検・修理で業績を伸ばすサコダ車輌(佐伯区)の迫田宏治社長。販売価格は商圏内最安値で値引きしない。独自の営業戦略を展開し、着々と階段を上ってきた。
「どんなに車の機能や性能が進化しようと、商いの原点は変わらない。わが社にとって一番大事なことはユーザーから『ありがとう』と言ってもらえるか、どうか。ここが勝負どころ」
と言い切る。今9月期決算は車販売6000台、車検1万6000台の目標を掲げ、1983年に創業以来、初の売上高100億円突破に挑戦する。
前期も売り上げ100億円達成の目標を立てたが、14期連続増収をもってマイナスに転じ、売上高約89億円にとどまった。消費増税前の駆け込み需要の反動に加え、コロナ禍が響いた。だが、臆するところはない。新車状態に近い高年式・低走行の未使用軽自動車販売を主力に、FC車検最大手コバック加盟店では中四国九州初となる車検年間1万台以上を4年連続でクリア。さらに顧客層を広げ、徹底してユーザーから支持されるサービスを見極めてきたという自負があるのだろう。大台を視野に入れ、決して手を緩めない。リーズナブルな価格で車を販売し、車検を提供する。その代わり納車引き取りを極力避け、過剰なサービスは一切なし。この大本を押し通してきた。
1月に安佐南区に4カ所目の指定車検工場「コバック広島祇園店」を開設。既存の石内、舟入、東広島と合わせて4工場体制を敷く。いかに規模が大きくなろうと慢心はかけらもない。社員教育には格別に力を入れる。接客を一つ間違うと、客は去る。普段から人間力を磨く努力が欠かせないと話す。
「営業にノルマはない。しかし頑張った社員を正当に評価する制度を設け、ふさわしい待遇を用意。縁あって入社した以上、みんな家族同然。人生はいつも順風満帆というわけにはいかない。行き詰まり苦しい時、どうやって乗り切るのか。難所を越えて初めて成長した自分を確認することができる。『仕事を通して自分の人生を幸せにする』という決意こそ何より大事。気持を新たに向学心、向上心、そして油断なく仕事、人生に向かってほしい」
熱血漢だが、人情家。一からたたき上げてきた特有の経営観がある。少子高齢化が進み、車を求める世代も減ってきた。こうして真価が試されるときに差し掛かり、中小企業の強みを発揮するチャンスと言う。企業規模が大きくなるにつれて、自分の仕事だけやっていればいいという感覚が忍び寄ってくる。
「当社のモットーは、1人1人が責任感を持って頑張る。その結果、会社がもうかる。社員が潤う。そのサイクルが循環して雇用を守ることができ、社会貢献もできる。三方よしで成り立つ構造をつくる使命がある」
社員の平均年齢は27歳。今春は新人16人が仲間に加わり、さらに若返る。2年後に40周年。ますます意気軒昂。
企業の合併や買収は、専門コンサルタントの提案から交渉が始まる。企業の存廃を懸け、互いが条件を主張。ビジネスの厳しさがあらわになり、すんなりまとまる例はほとんどない。希望する相手に巡り会うか、巡り会ったとして、取引を円滑に進めることができるかはコンサルの腕の見せどころ。M&A専門のクレジオ・パートナーズ(中区紙屋町)は2018年4月に設立以来、3年間にM&Aや事業継承などで100件ほどのコンサルティング契約を受託。かつて広島に例のない、目覚ましい成果を挙げている。
これまで例えば、東広島記念病院などを運営する医療法人社団ヤマナ会(東広島市)はサービス付き高齢者住宅(サ高住)を取得、総合不動産管理業のみどりホールデングス(中区大手町)は山口県の厨房機械・器具販売会社を取得、総合建設業のティーエス・ハマモト(安佐南区)は内装用建材の企画製造販売会社と住宅建築の申請代行会社を取得など。名前は伏すが、中堅から大手まで業種、業態も幅広い。経営危機を乗り切り、飛躍的な発展につながった成功例などが興味深い。
会社を売却したいという事情の多くは後継者の不在。社長の一番の仕事は後継者を育て、なお会社を存続させる使命があると言われるが、中小企業ではなかなかスムーズに運ばない。高齢化や健康問題などで経営から退きたいが、取引先や雇用を守るために、やすやすと会社を閉じることはできない。そうした経営者の切実な思いを受け、事業承継の実現に成功したときの安堵感は計り知れない。同社にとって大きなやりがいなのだろう。
会社を買いたいという理由はさまざま。既存事業の強化や新規市場への参入などが主体で顧客やエリアの拡大、サプライチェーンの効率化によるコスト削減などのシナジー効果を見込むものや、自社の経営資源を補って新分野進出を加速させるケースなど枚挙にいとまがない。
同社の強みは財務。資本を活用したエクイティ・ファイナンス、融資・借入を活用したデット・ファイナンスの両方に専門性を持つ。こうした専門知識はむろんのこと、本音でぶつかることのできる「人間味」が大事という。双方の間で中立公平を貫く。どんなに多くを語ろうと信頼を失うと、相手は耳を貸さなくなる。むろんアドバイザーの責任である。常に緊張感のみなぎる真剣勝負。M&A後も丁寧なフォローを尽くす。次の案件へつながることも多い。土井一真常務は、
「M&Aの相手先が見つかること自体たやすくはない。売り手にとっては一度しかない事業承継。納得のいく選択をしていただくために、複数社から提案してもらえるよう苦心している。企業連携は互いの立場を尊重し、互いの長所を生かすというスタンスの上に成り立つ」
昨年入社した齋藤拓也執行役員(38)は、中国経済産業局時代に創業支援等を手掛けた経験と幅広い視点を持つ。
「M&Aを通じて経営の本質が見えてくることがある。企業活動は奧深く生産、販売、研究開発などで多様性にあふれている。長所を伸ばし、弱点を補うM&Aの手法は、事業発展を促す大きな可能性を秘めていると思う」
広島県内の企業の後継者不在率は71.3%に上り、多くの中小企業が事業承継の悩みを抱える。こうした事情も背景にあるのか、近年、M&A(企業の合併・買収)の手法によって事業拡大や新分野進出などのさまざまな経営課題を解決し、一気にチャンスをつかむ事例が増えてきた。
広島銀行は、2019年度のM&A相談件数が628件で、うち27件を成約。過去10年で3倍にまで増えたという。大手のM&A専門会社が全国に事業を広げる中、地方では珍しいM&A専門のクレジオ・パートナーズ(中区紙屋町)が頭角を現し、急速に実績を挙げている。18年4月に設立以来、3年間にM&Aで60件、事業承継の40件を合わせて約100件を手掛けるなど、広島の企業連携を加速している。
同社は、東京の大手コンサルティング会社を経験した若者2人が広島で創業し、現在は金融機関や国の経済行政出身者らスタッフ7人。地元に根差し、地元をよく知る利点を生かし、経営者に寄り添う特有の経営方針を貫く。
代表の李志翔社長(39)は広島会計学院専門学校出身。20歳の時に国内最年少で税理士資格を取得し、話題になった。何事も「できるか、できないか」ではなく「するかしないか」を決断することが先決と言い切る。猛勉強で難関を突破。卒業後は山田コンサルティンググループ(東証一部上場)に入り、在籍15年でM&Aと事業承継を中心に約200件の受注案件をこなす。医療機器メーカーなどの幅広い業種でマッチングを経験できたことが、独立を決断するときの大きな原動力になったようだ。
共同創業者の土井一真常務(30)は18歳の時に突発的な病気を患い、大学受験に失敗したが、21歳で公認会計士試験に合格。東京のベンチャー企業などを経て山田コンサルティンググループに転職するやいなや広島支店の立ち上げに携わり、当時は広島支店長だった李社長と出会う。そして会社設立の誘いを受けたとき「優秀な人材は多いが、信頼できる人は少ない」と思えたことが、決断する一番の根拠だったと明かす。
考え方はシンプル。精魂を込めて会社を守り、事業発展に生涯を懸ける企業経営者に伴走し、少しでも役立つことができれば本望と立ち上がった。目標はでかい。
「M&Aは事業の継続や成長の手段です。既存事業の強化や新規市場への参入などを促すM&Aによって企業価値を高め、さらに継続的に事業の成長をサポートできる態勢で臨むことが、わが社の基本的な考え方。M&Aなどを通じて広島で100億円企業を100社以上、1000億円企業を10社以上つくる目標を立てた。そして上場を成し遂げる企業のサポートに携わることができれば、地域活性化に果たす経済効果は大きい」
事業再生や税務相談、会計監査などの専門家グループも形成する。徹底して経営者の悩みに寄り添う。売り手と買い手の事業内容や経営方針を理解し、企業を深く知ることで互いに相乗効果を発揮できるマッチングがかなう。何より〝互いの尊重・信頼〟が事業発展の勘所という。
同社が手掛けたM&Aや事業承継の事例などを交え、成約の秘訣などを次号で。
旬の野菜は格別。採れ立てはなおさら。各地の産直市に作物本来の味を求めて多くの人が押しかける。市内中心に飲食店を展開するインスマート(西区商工センター)は当初、自社の居酒屋やレストラン用に供給するため、農薬を使わない農業に乗り出し、今年4月で9年目に入る。
東広島市西条町の休耕田を畑に、3年間は2ヘクタールで50品目を作っていたが、現在は5ヘクタールに広げ、大根や茎ブロッコリーなど11品目に絞る。需給バランスなどを考え、3年前から収穫量の約8割をJA広島中央に出荷している。担当の坂田一樹さんは、
「野菜のおいしさを届けたくて露地栽培にこだわった。きれいに均質に作るのは難しくハウスものに比べて見た目は劣るが、圧倒的においしい。しかし店頭で手に取ってもらうには見た目が決め手。そうすると本来のおいしさはなかなか伝わらず、悩ましいところだ。もともと東広島出身で農業は子どもの頃から身近にあった。農作業を手伝うこともあったが、将来自分でやりたいとは少しも思えなかった」
地元での営農に意欲はわかなかったが、農業を始めた頃に1歳の長男が同じトウモロコシでも見た目のきれいな、買ってきたものは口にしようとしなかったのに、わが家の畑で作ったトウモロコシをむさぼるように食べてくれたことが強く印象に残った。いまは農作業を手伝ってくれる学生らにも好評だ。数年前からはJA産直市「とれたて元気市となりの農家店」に出す野菜の袋にテントウムシをデザインしたシールを貼って出荷。売れ行きは好調で一定層のファンが増えてきたという。
八本松地域も再開発が進む一方で休耕田が増える。同社に耕作依頼が舞い込むものの現状では人手に余裕がなく引き受けられない。そんな中、県の伝統野菜「下志和地青ナス」を東広島の特産にしようと「あおびー倶楽部」を2018年12月に設立。この品種は、果色が茄子紺という伝統色の名称でもあるナスの色とかけ離れた淡い緑色だが、果肉は柔らかく、あくが少ないのが特徴だ。昨年末に特産物部門で東広島市農林水産ブランド「東広島マイスター」認証を受け、インスマートは生産者部門、サツマイモの紅はるかをあんに使った和菓子「紅はるかの月」は商品部門でそれぞれ認証された。
青ナスの種子は、(財)広島県森林整備・農業振興財団の農業ジーンバンクから借り受けた。同バンクは現在、県内に現存する作物種子約1万8600点を保存し、伝統野菜の復活を支える基盤として機能している。貸し出しは年間で80〜100件に上る。近年は有機農業を営む農家からの要望が多いという。09年に実施された〝広島お宝野菜〟プロジェクトの選定15品目に青ナスも含まれる。バンクの船越建明さんは、作物の特性を理解し生育に合った地域や栽培が一番大事で、地道にやる努力が欠かせないという。
坂田さんは土地に合った伝統野菜で打って出ようと、青ナスの栽培を始め、14年に初出荷。仲間に呼び掛け現在、志和や福富、西条の新規参入やUIターンなどの若手7農家が参画し、東広島のブランド化を目指す。
「広島県のナスは青い、と言われるまで産地化したい」
飛べ、テントウムシ。