広島の経営者、注目のビジネスパーソンの「お気に入りのスポーツ」チームを紹介。
東京五輪に合わせ、「沸き立つ!昭和39年−57年前の広島−」を企画。新型コロナで中断(6月22日再開予定)していますが、7月11日まで開催予定で、7月22日〜9月5日にもパネル展を計画しています。
市民から写真や資料を募り、①昭和39年当時の広島、②聖火リレーの構成で展示。当時のテレビ、冷蔵庫、洗濯機の3種の神器、広島駅、太田川放水路、マツダ本社工場と宇品工場をつなぐ東洋大橋などの工事写真、丹下健三氏設計の平和の灯の点灯式、福屋の増築工事、当時の八丁堀、紙屋町交差点、旧太田川沿いの原爆スラムの写真のほか、広島エイト倶楽部の聖火リレーの8ミリ映像(14分)、聖火リレー県内第1走者の三浦敬弘氏のランニングシャツ、委嘱状、聖火リレー広島県実施要項、東海道新幹線開業記念特急券、東京五輪記念鉛筆、記念硬貨、記念切手、三波春夫のレコード東京五輪音頭などを紹介しています。当時のレジャーブームを示す楽々園遊園地、元宇品海水浴場などの写真も掲示しました。
展示している当時の広島市の地図を見ると、西は八幡川、北は祇園大橋など合併前で面積が小さく、人口は50万人を突破。敗戦から19年後の広島の写真や資料で、復興の様子を感じることができます。聖火リレーは見学者が多く、現在との意識の違いも見てとれます。私自身カープファンで、新型コロナが広がる前は年に30試合程度、球場で観戦していました。関連企画として、昭和39年に沖縄からカープに入団した安仁屋宗八さんの講演会も秋に予定しています。
所属する庄原市カープ応援隊は結成17年目を迎えます。当社のバスを貸し切って球場へ行き、ほぼ全てのホームゲームのライトスタンド指定席40席を庄原のカープファンで埋めています。リーグ3連覇時の年間参加者は3000人を超えました。今季のカープはコロナ禍で試合が9回打ち切りになったり、最近は主力選手のコロナ感染などの影響で苦しい状況が続いています。応援隊も庄原市で感染が広がったことで10試合のツアーを中止。選手を庄原に招く庄原版ファン感謝デーや、日南キャンプへの激励訪問など多くのイベントも断念しました。
しかし例年通りのイベントができない中で、コロナ禍ならではの取り組みを実施。クリスマスシーズンには森下・宇草・韮澤選手のサインをプレゼントするキャンペーンを行ったほか、沖縄の1軍キャンプと映像をつなぎ、佐々岡監督へのオンライン贈呈式実施など、庄原からカープ選手を応援し続けています。
2015年から始まった庄原版ファン感謝デーには備後(BINGO=あたり)庄原伝説といわれるうわさがあるんです。過去に出演した鈴木・野間・九里・坂倉・中村奨成・小園選手ら多くの新人選手がブレイクを果たしています。今年は2年ぶりの開催を目指しており、新たな若鯉の飛躍のきっかけになればうれしい。16年には永川・梵選手のイラストが入った旧ラッピングバスに乗り、優勝パレードに参加したことが良い思い出ですね。いつかカープが日本一になったパレードで、選手と一緒にラッピングバスに乗ることを夢見て応援しています。
当社の納涼会は毎年ラグジュアリーフロアでのカープ観戦です。家族も呼んで一緒に大きな声で応援しています。残業中もネットニュースの1球速報を横目に仕事をしながら、カープのチャンスだけはTVを見に行く社員もいるなど、職場に溶け込んでいますね。つい先日も施主や施工会社などお取引先と観戦へ。カープを一緒に応援するだけで、自然と一体感が生まれます。野球などスポーツ観戦は好きなのですが、観戦勝率が低いのが悩み。中村奨成選手が出場した全国高校野球の決勝戦も甲子園に駆け付けましたが、広陵高校の夏の選手権大会初優勝をこの目で見ることはかないませんでした。修道高校から大学に進学し、東京で生活すると、ジャイアンツや野球の話はほとんど耳にしませんでした。カープがある日常を知る身としては信じられなかったですね。進学などで離れると余計に愛着がわくのも広島県民ならではだと思います。
5月6日付で、本社を大手町3−8−24の6階建てビルに移転。築35年超の物件をフルリノベーションし、1〜3階に吹抜やフロアをつなぐ「アクティブステップ」(オープン階段)を設けました。ノートPCを片手に自分で働く場所を選び、移動の際に目に触れたものや、ふとした出会いから生まれた交流で新たなひらめきを期待しています。本社移転に際して、コチョウランなどたくさんのお祝いの品をいただき、改めて多くの方に支えられて当社が成り立っていると実感しました。感謝してもしきれません。カープも広島県民みんなが支えているので、ここからぜひ巻き返してもらいたいですね。
安佐北区に本社を構え、賃貸仲介、不動産売買、土地活用に関する事業などを展開。県内での認知度を高めたいと、2019年から元カープ選手の新井貴浩さんをイメージキャラクターに起用しています。
常にがむしゃらにプレーし、誰よりも努力する姿勢は素晴らしく、多くのファン、元チームメイトから愛されている方だと思います。そんな誠実で真っ直ぐな人間性にほれ込み、断られるのを覚悟でオファーしましたが、快く引き受けてくださいました。
撮影当日、肩幅が広く胸板の厚い大柄な人で驚きました。テレビで見るままの明るい人柄で気さくに振る舞ってくださったり、NGシーンで思わず笑ってしまったりと、終始和やかな雰囲気で撮影が進みました。私は新井さんと年齢が近く、県立広島工業高校の同窓で、お世話になった先生や校風など、思い出話に花を咲かせたことも印象深い。賃貸編、土地活用編、遮音アパート編の3パターンを撮り、「テレビCMを見たよ」と、さまざまな方面から多くの反響がありました。新井さんのおかげで当社の認知度は格段に向上し、改めて県民に愛されている方だと感じます。
現役時代から佐々岡監督ファンの妻と一緒に年数回、球場に足を運びます。注目選手は投手キャプテンを務める大瀬良大地選手。けがもあり、苦しいシーズンを過ごしていますが、チームのために本来の力を発揮してほしい。もちろん勝敗も大切ですが、新型コロナ禍の今だからこそ、各選手の躍動やひたむきなプレーで広島を盛り上げてほしい。
当社は約150年前に製針で創業し、針製品やプラスチック成形などOEMが中心の町工場です。33歳のとき、父の他界を機に入社。安佐南区長束の本社からは旧広島市民球場のナイター照明が見え、父親に連れられて球場に行きカープファンになりました。
後継してからは、次世代のものづくりや働き方を検証する活動の一環で、CADや3Dプリンターを導入。職務発明取扱規程なども整備しました。その過程で2009年に「赤ヘル耳かき」を開発。ホームセンターで購入した樹脂棒を切削して、遊び半分で試作したのがきっかけでした。当時売れないと言われましたが、10年を超えるロングラン商品に。その後も「ペットボトルオープナー」や「応援しゃもじ」を開発。オープナーは、苦心の末に30と32ミリメートルのキャップ全てに対応する形状を開発。しゃもじはプラスチックの特性を生かした遊び方や使い勝手を追求して改良を繰り返し、今では有名アーティストのライブ用に依頼を受けるほか、野球以外のプロスポーツからも注文が来るようになりました。
21年に新発売の「カップホルダー」は、観戦時に飲み物を片手で2つ持てたら便利だという社員のアイデアから生まれた商品。ファン目線でも喜んでもらいたいという願いが込められています。縁あってカープ商品の企画制作に携わっていますが、球団や選手だけでなく、ファンも応援したいと、ものづくりに思いを込めています。
息子2人が小学校からリトルリーグ、ボーイズリーグで野球を始めたのをきっかけに、私も審判としてグランドに立ちました。講習を受けて一から学びましたが、奥深く面白い世界ですね。主審と塁審の4人がサインを出し合い、打球やランナーの状況によって連係し動いています。公平性は当然のこと、一つのジャッジが試合を左右することもあり、緊張感があります。少年野球と言えど、選手は真剣に試合に向き合っており、半端なジャッジはできません。瞬間の判断に迷うこともありましたが、それでも正確な判断が求められます。次男が小学6年生の時、最後の春の全国大会予選決勝で2塁審を担当した時は、ひどく緊張しましたね。
カープの試合でも審判の判断が勝敗を分けたことがあります。2015年の対巨人戦。9回1死満塁で主審が塁審のインフィールドフライの宣言を見落とした結果、カープがサヨナラ勝ちしたことがありました。17年4月にはアウト、セーフの誤審と思われる判定が1試合で2度続き、1塁審に抗議した緒方監督が退場処分になった試合も。審判の責任は重たいですね。実体験からつくづく思います。
カープで好きな選手と言えば、ひたむきなプレーの新井選手と、メジャーから戻ってきてくれた黒田投手です。2人が優勝で抱き合ったシーンは感動で忘れられません。今は若い選手らが活躍しており、期待は大きい。監督の采配次第ですが、優勝できる可能性はあると信じています。コロナで不透明な時勢ですが、カープが広島の明るい希望になってほしいですね。
太平洋戦争の終戦は4歳の時。おもちゃなどなく、布に糸を巻いて作ったボールとバット代わりの棒きれで野球ごっこをして遊んだ。小学3年だった1950年に球団が設立され、当然のごとく応援するように。地元の音戸町からバスで呉市二河野球場(現鶴岡一人記念球場)の試合に足を運んだ。
当時のカープは大赤字で、シーズン終わりに監督・選手が県内の映画館を回ってカンパ集めをしていた。私も「カープ存続のために」とラムネを我慢し、たる募金に小遣いを入れたものだ。存続もままならない時代を知っているからこそ、思い入れは人一倍強い。弁護士になって数年目に念願の年間指定席を購入。以来、ここぞという試合は必ず球場に行き、ワインやビールを楽しみながら観戦している。
弁護士5年目の時にカープが初優勝。仕事を放り出してテレビにかじりつき、戦況を見守った。優勝が決まった時間の1975年10月15日5時18分は今でも暗唱できる。巨人・西本聖のデッドボールに倒れた翌日にグラウンドに戻り、連続出場の記録を作った衣笠が当時のカープの原動力だったように思う。印象に残っているのは2回目の優勝後、選手・監督が球場内を一周した時の一幕。けがをして前線を外れ、後ろの目立たない場所を歩いていた外木場義郎を衣笠が前に連れてきてフラッグを持たせた。間近で見ていた私は「なんと気遣いのできる人だ」と感じ入った。
今季、優勝するにはベテランの頑張りに若手が食らいついていく必要がある。森下ら若手に期待している。
中区の中央通りの甘党はち乃木を経営。1904(明治37)年に絵はがき販売で創業後、58(昭和33)年に甘党はち乃木を開業して現在は3代目の祖母が社長です。私は広島中央通商店街振興組合理事、市商店街連合会青年部会長を務めています。
参加するNPO法人セトラひろしまが4月24日〜5月9日に、ゲームアプリ「ビットにゃんたーず」を基にサンフレッチェ広島と連携し、まちなかウォーク企画を計画。店舗スポットを登録し、ゲーム参加者がスポットを目指して来街し、誘客につなげる仕組みで、サンフレッチェには選手の写真やキャラクターのサンチェ・フレッチェ、景品の観戦チケットなどを提供していただきます。中央公園サッカースタジアムの整備が進み、スポーツでのにぎわいづくりに貢献したいですね。中央通商店街では2018年に広島パルコ敷地内でカープ応援コンサートを開き、応援歌「宮島さん」などを演奏。翌年は優勝を逃したため、オータムコンサートとして継続しました。昨年は新型コロナで中止でしたが、優勝コンサートとして復活させたい。
安佐南区の大塚小学校ではサッカーチームに所属し、エディオンスタジアムが近く、サンフレッチェは身近なチームでした。中学校教師の父の影響から、中学高校はソフトテニス部で、高校時代に広島地区でダブルス5位になったこともあります。サッカー観戦は日本代表の試合もテレビで欠かさず見ています。中心部の商店街の有志で、サッカーチームをつくりたいと考えています。
小学2年からサッカーを始め、中学・高校の6年間はサンフレッチェのジュニアユースとユースに在籍し、ボールを追う日々を送りました。サッカー選手である前に1人の社会人であれ、当たり前のことを当たり前にする、などプレー以外に、今に生きる大切なことを数多く教えてもらいました。
一つ上にいた森崎和幸さん、浩司さん、駒野友一さんらは当時から別格のうまさ。彼らを誰も止められませんでした。私はゴールキーパーとして、高校1年を除く5年間でレギュラーを獲得できましたが、プロに上がれるのはほんの一握り。オファーをもらえず、サッカーの道をあきらめ、ビジネスの世界で一流を目指すことを決意しました。
2007年に東京でITベンチャーを起業。12年に東証1部上場の傘下に入り、グループ最年少の社長に。16年に当社を設立し、20年に地元広島に本社機能を移しました。
さまざまなスポーツが盛んな広島を、デジタルマーケティングの力で盛り上げたいと考えています。現在、サンフレのトップチーム(プロ)のスポンサー開拓や企画運営などで連携。これまでに培ったデジタルに関するノウハウや経験を生かし、一緒に汗を流していく覚悟です。
帰広を機に、ユースチームのスポンサーになりました。これは社会人になってからの目標でした。今の自分があるのは、あの6年間があるから。単年ではなく継続して恩返しをしていきたい。これから私のようなユースOBとクラブをつなぐ交流の場をつくりたいと、和幸さんと話しています。
昨年は新型コロナ感染予防のために自粛しましたが、毎年、カープファン感謝デーが終わった時期に「カープOBを囲む会」を市内ホテルで開催しています。2012年の北別府学さんの殿堂入りを記念し、本人を招いて初実施。以降、外木場義郎さん、高橋慶彦さんを経て、「大野豊さんとの夕べ」は次回で第7回。現役選手とのトークショーやディナー、ビンゴゲーム、大野さんのサイン会があります。毎回約100人が参加し、現役から野村祐輔、松山竜平、中﨑翔太、遠藤淳志各選手を迎え、激励してきました。やはり、彼らの活躍が一番うれしいですね。
現在73歳の私が子どもの頃、野球、相撲、プロレスしか娯楽がないような時代。かじりつくようにカープの試合を観戦しましたよ。社会人になり、1975年の初優勝時には流川で酒をぶっかけられたことが懐かしい。ウイスキーのふたがカープ帽のデザインになった記念ボトルを購入。私は酒を飲みませんが、今も来客に少しずつ振る舞っています。封切りしていなければ結構良い値で売れたかもしれませんね。
本業のみゆきマリーンでボート販売や係留事業を手掛けており、広島湾宇品沖の南に浮かぶ周囲2キロの無人島「峠島」でアウトドア施設の整備を進めています。大野さんには3回来島してもらい、釣りや野花の観賞を楽しんでいただきました。気さくで飾るところがなく、前述の囲む会で自分からあいさつするほど立派な人柄です。みんなで投手陣予測や順位予想などのカープ談義に興じています。今季こそ全員野球で優勝に期待。
思い出深い試合はなんといっても1991年の優勝決定戦。私はちょうどその日に友人の結婚式があり、リーガロイヤルホテルで友人の晴れ姿を見届けた後に球場入り。内野自由席のチケットを握りしめ駆け付けたときはダブルヘッダー1戦目のまっただ中で、すでに超満員、球場のボルテージは最高潮でした。当然座れるはずもなく、阪神ファンのいる3塁側照明鉄塔の裏側になんとか席を確保。礼服のままだったこともあり、かなり異質に見えたと思います。10月の寒空の中、佐々岡が力投し、大野、達川が締めくくった優勝決定の瞬間は忘れられませんね。V9のうち、地元優勝は数えるほど。ビールかけも間近で見られ、ファンとしてはこの上ない幸福でした。
企業の最終目的は社会貢献だと考えており、当社は子どもたちの心の成長を育む良い住まい「住育」に注力。スポーツも同様に子どもを健全に育てるためにとても重要な役割を果たすと信じています。今季はアンジュヴィオレ広島のU-18・15のユニフォームスポンサーも務めさせていただいており、カープだけでなく、サンフレッチェなど広島のスポーツチームを積極的に応援したい。
いよいよ待ちに待ったシーズンが幕を開けました。森下投手が2年目のジンクスを破れるかと、栗林投手などルーキーの活躍に期待。カープ球団も楽天イーグルスが東日本大震災で被災した方々を継続的に支援しているように、孤児や高齢者の大々的な招待などを行えば、もっと地域に愛される球団になるのではと考えています。
中学、高校時代は柔道とラグビーをしており、カープとの接点は多くありませんでした。初めての観戦は高校生のときで、完成したばかりのマツダスタジアムでした。友達に連れられ、パフォーマンスシートへ。ラッパを鳴らす応援団や、立ったり座ったりを繰り返すファンの熱気はまるで祭りのようで、驚いたのを覚えています。
社会人になり、球場には取引先の方に頻繁に連れて行ってもらい、社員や家族ともよく出掛けます。ファンが一体となって応援する中で飲むビールは格別。仕事の関係で初めて出会った人でも、横に並び応援することで自然と仲良くなれます。
私が生まれた1991年はカープが長らく低迷する前、最後に優勝した年です。5年前の25年ぶりのリーグ優勝は、私にとっての初優勝。うれしかったですね。大瀬良投手とは同い年で、友達が知人のため、勝手に親しみを感じています。もちろん私のユニホームは大瀬良です。今季も開幕投手に決まり3年連続。開幕からスタートダッシュを切ってほしい。
家にいるときのテレビ中継は必ず画面に張り付き、熱中して観戦。勝って喜び、1人で祝杯を挙げて飲み過ぎ、妻に怒られています。大逆転もうれしいですが、ぎりぎりで競り勝つような試合を見たい。今季も勝利をつまみに、おいしいビールを飲めるのを楽しみにしています。
巨大プリンターでトラックの荷台にさまざまなデザインを施す事業を手掛けています。いつか球団やスポンサー企業のトラックに、カープの迫力のあるデザインを塗装してみたい。