広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。
いつ、誰に経営を任せるのか。既に後継者がいる同族企業などはともかく、経営の第一線から退こうとしても、周りに経営を引き受けてくれる人が見当たらない。生涯を懸けた会社を残したいが、自分自身の年齢や健康状態などを考え、やむなく廃業に追い込まれるケースが多いという。そうした廃業を未然に防ぐ手はないだろうか。
人材教育や企業内研修などのウーブル・ロールモデル研究所(中区大手町)は県の事業承継ネットワーク事務局(当時。4月1日付で組織統合)の委託を受け、経済産業省のプッシュ型事業承継事業としてユニークな二つの事業承継モデル講座を計画する。
その一つ。経営者のための「セカンドステージモデル」講座は、第2の人生を謳歌(おうか)している事業主の事業承継プロセスを紹介する動画をウェブで公開。事業承継支援ネットワーク拠点で、自由にその動画を視聴できるようにする。経営者に豊かなセカンドライフを促し、健全に事業を引き継いでもらうために、まずは経営者が適切なタイミングを計り、現役を退くことが大前提という。
もう一つ。後継者予備軍向け「後継者マインド育成」講座は、起業や経営に関わりたいという意思のある人を対象に、承継可能な事業主の商品やサービスの紹介ほか、経営者としての心構え、スキルを習得する狙いがある。同研究所社長の十倉純子さんは、
「経営を誰かに譲りたいと考えている人、一方で経営に意欲のある人や起業を考えている人の双方が、その第一歩を踏み出すためのきっかけをつくり、経営の譲渡受の間をつなぐ仕組みが必要。そのときに手遅れにならぬよう、できるだけ早く事業承継の準備に取り掛かることが大事」
十倉さんは20歳代で人材派遣会社の広島営業所長を務め、通算200人以上の採用や人事、営業、教育を担当。その経験を生かして独立し、1993年に人材派遣事業や社員教育の(有)フュージョンを設立した。97年に株式会社化後は 十数億円を売り上げていたが、思うところあってM&Aにより会社を売却。後に人材教育事業だけを買い戻し、2007年に同研究所を立ち上げた。人材教育に長年携わる中で、企業の事業承継の実態に触れる機会も多く、さまざまな事例を見てきた。
「一代で事業を築いた創業者の中には自らの成功体験に固執し、なかなか新しい分野、経営革新に踏み出せないケースもあります。いま一度、自社の事業内容を仕分けし、将来を期待できる分野か、あるいは新たな方法で再生できる事業なのかを見極めながら、後継者へ引き渡す経営環境を整えておく。そして自分自身は第二のステージへ進む決断も必要ではないでしょうか。経営者の一番大きな仕事と言えると思います」
広島県内の企業の後継者不在率は70%を越える。その大きな仕事を成すタイミングこそ重要。経営者のセカンドステージに着眼し、例えば「会長の会(仮称)」を立ち上げ、共通の経験やノウハウなどを生かして社会との有効なつながりを生み出していく事業プランなどを提案する。人生100年時代へ向け、将来性の高い事業を継続、発展させていく新しい発想の知恵が求められているのだろう。
総事業費1000億円を投入し、328ヘクタールを造成。西日本最大規模の西部流通団地が1982年に完成し、来年で40年になる。施設老朽化に伴って団地リニューアル構想を進める西区商工センターの広島総合卸センターは3次元(3D)画像技術により、「AIを活用した団地内の効率的な物流や自動運転技術の地区内導入」などをテーマに、新しい街のイメージをビジュアルに描く「まちづくり提案」事業を進めている。
卸センターは、団地中心部にある「広島サンプラザ」と「広島市中小企業会館・総合展示場」両施設と機能を一カ所に統合する、メッセコンベンション施設誘致・整備を中心とした再開発構想を提言。これをきっかけに人、物、情報が世界から集まる国際会議や見本市といった「MICE(マイス)」都市構想が持ち上がり、広島市関係部局のほか、卸センターなどの団地組合や広島市中央卸売市場、地元町内会などで検討会をつくる。
3Dを活用する「まちづくり提案」は、昨年6月に全国卸商業団地協同組合が実施する団地機能向上支援事業(2カ年)に採択され、4分3程度の助成を含む4000万円近くの予算を組む。これを受け、同年7月に市関係部局、県中小企業団体中央会、アール・アイ・エーら専門家と組合理事らで「機能向上支援事業委員会」を設け、本年度中にビジュアル提案をまとめることにしている。
パンデミックでやや水を差された格好だが、MICE施設誘致が具体化すると、さらに大勢の人が団地へ押し寄せる。これを受け入れる最寄りのJR新井口駅・広電商工センター入り口駅の拡張建て替え、駅前ロータリー整備、ペデストリアンデッキ延伸などのほか、団地内の交通混雑を解消し、物流と人の流れをどのようにさばくのか。委員会はこうした新たな課題の解決策を探る。
例えば、自動運転技術を導入したバスを運行し、新井口駅から商業施設アルパークを経て団地東側ブロックの周回道路に入り、商業施設レクト〜にぎわい施設を併設した全面建て替えを計画する市中央卸売市場〜構想中のMICE施設などを巡回するコースを想定。併せて自動運転で走行する小型の乗り物をスマホで呼び出し、団地内を移動できる案などを検討する。団地内企業の物流、業務に支障が出ないよう、自動運転の走行エリアを限定。またAI技術を活用し、効率的な物流の可能性などを模索する。
激動する流通界を反映し、団地とその周辺部にある大型商業施設も大きく変貌しつつある。2017年にレクトが開店。2年後に大和ハウス工業がアルパーク東・西棟を三井不動産グループから取得。翌年、西棟の天満屋が閉店。今年は9月にスーパーのハローズ草津新町店、10月にダイレックス広島商工センター店がオープン予定。さらに来年春にアルパーク西棟がリニューアルオープン、23年春には東棟が全面リューアルオープンする予定。
新しい街の姿を3Dで描く「まちづくり提案」は、長期的な課題の「流市法の規制緩和」と「地域の核となる新しい施設整備(中小企業会館建て替え)」なども検討する。いつ完成するのか、AIで一発回答できないのだろうか。
そのとき「買いたい」という情報があったのに、その技術を「売りたい」という企業に気付かず、絶好のビジネスチャンスを逃す。必要なときに必要な情報をキャッチボールできないか。建設機械やプラント用配管部品を専門に扱う菱光産業(西区)は、外注先検索サイト「ニッポン&アジアものづくり企業ポータル」を開設し、登録企業間の取引拡大によって互いの活路開拓や事業発展につなげる新たな取り組みを始めた。
こんなモノやあんなモノが欲しいという会社をウェブサイトに集め、こんなモノやあんなモノを作れるという会社とマッチングする仕組みを構築。サイト登録100社を目標に、もっか中国地区65社の製品や加工技術、得意分野などを集める。最適な製品・加工技術や納期などの情報を収集〜発信し、登録企業間の取引を広げる狙いだ。吉田大蔵社長は、
「高度な技術があっても発信力が弱いため、その技術を必要としている企業に届かず、みすみすチャンスを逃してはいないか。多くの取引先には忙と閑がある。そうした情報を分析し、調整して効率よく受注を振り分けることができれば、納期や単価などを含め発注、受注の双方にメリットが生まれると考えた。これまで接点がなかった企業の技術やサービスを複合することによって新しいものづくりを創り出す可能性も期待できる。規模は小さくとも技術力に優れた企業連携グループのサイトからビジネスの宝を発掘できる仕組みを確立したい」
と構想を練る。
同社は三菱重工業を退職した祖父の鉄市さんと実父の愷忠さんが1959年に創業。造船の配管部品を皮切りに扱い品目を増やし、建築関連など幅広い業種の配管を扱っていたが、20年前に受注先を大竹や岩国のプラント工場向けに特化した。現在はコベルコ建機や三菱重工業をはじめ、コンビナートや発電所関連の120社強に及ぶ。ネットで入手できる部品の扱いは極力避けるようにしている。特殊で打ち合せが必要、一点もの、調達が難しい、海外規格などのニッチな要望に応える。
取引先も含め配管業界向けの教材提供や、仕入先企業の生産効率化などに役立つことを目的とした取り組みも始めた。配管知識とフランジ(つば状配管継手)締付実技を体系的に学ぶ講座や、製造履歴追跡システム、無人搬送車、パイプ・継手の亜鉛除去・開先加工の完全自動化マシン、設備・工場内老朽化対策などの改善を図る一連のメニューをそろえる。
「既製品を大量に扱う卸は当社の規模では難しい。特殊品に特化すると同時に、生産設備を持たないファブレス経営で課題を解決し、取引先の成長にかかわることができる事業領域を広げたい」
昨年12月、RYOKOホールディングス(中区)を設立。傘下の菱光産業と縦軸で結ぶタイ現地法人は、ASEANの日系企業向けに建機、自動車向け部品などを現地調達する。今後はIT会社などとのM&Aも視野に、多様な事業会社を横並びにするプランを描く。
「ソリューション事業を1つ1つ整備することにより、微力ながら地域、企業に貢献できるRYOKOグループの態勢を整えていきたい」
繊細な技法を駆使し、餅やあんで四季の移ろいを彩り、風流で味わい深い上生菓子。桜をめでる茶会への対応などで春先の和菓子店は繁忙を極めるが、昨春から一変。コロナ禍で宴席や祝い事などがことごとく中止になり、観光客向け土産も振るわない。
何とかならないか。窮地に立たされた呉市の老舗・蜜屋本舗常務の明神宜之さん(38)は全国の同業者を巻き込み、昨年4月から「旅する和菓子」のネーミングで共同販促の取り組みを始めた。これが全国で評判になり、百貨店の新宿高島屋は今年2月15日から「旅する和菓子」イベントを開き、全国から和菓子の7店が参加。明神さんら4人の職人が店頭で和菓子作りを実演した。
「感染症対策で試食や呼び込みが禁止されるなど厳しい状況だったが、日に日に客が増え、中には何度も来店してくださる方も。最終日は朝から夕方まで客が途切れることがなかった」
最終的に9日間で当初目標の3倍を売り上げ、関係者を驚かせた。旅行にブレーキがかかり、自粛ムードの中、地域の文化を伝える銘菓が旅情を誘ったのだろうか。
さらに百貨店バイヤーからのアドバイスが響いた。どんなに忙しくても実演は見やすいよう、興味を引くよう、ときに言葉を添え、プロとして楽しませなければならない。目の前のスペースは菓子作りの作業台ではなく、君たちのステージ。自信を持って振る舞ってほしいと言う。良い物を作るだけではなく、魅力を伝える努力が欠かせないと改めて気付かされる。
ひらめきから旅する和菓子企画が始まり、この一年で着々と実績を重ねた。
「昨年3月、店を構える広島駅の土産物売り場が休館となり、多くの在庫が行き先を失った。このまま経営を続けられるのか、不安だった。そうした渦中で、東京の製菓学校で共に学び、全国で活動する同年代の和菓子職人たちと情報交換するうち、ひらめきがあった。当社の蜜饅頭もそうだが、各地にその土地で長く愛され、その場でしか食べられない銘菓がある。それを統一の企画で相互にネット販売すれば、多くの人に届けられると考えた」
初回は、明神さんが職人として上生菓子などを実演販売する旬月神楽(中区白島中町と西区庚午北)のどら焼きをはじめ、石川県の干し菓子、栃木県の煎餅、埼玉県のコーヒーをセットにした。複数メディアに取り上げられ、300セットを数日で売り切った。
「業界全体を盛り上げなければと考え、わずかなルールだけを決め、あとは全国の店が自由にやっても良いことにした。販促物などを共有し、皆が取り組みやすくした」
地域に根差した職人が県境を越え協力することで、新たな価値を生む。これまでの6回に岩手、石川、岐阜、三重、岡山、香川などから計17店が参加。毎回、なかなか手に入らない個性豊かな和菓子が味わえると評判を呼び、計2400セットを売った。
県内に2人しかいない全国和菓子協会の「優秀和菓子職」の1人で、政府の文化事業で欧州やアジア各国に派遣された経験も。日本の誇る伝統技術を携え、世界的に珍しい油を使わないスイーツを切り札に海外へ旅する夢を描く。
人間五十年 下天のうちをくらぶれば夢幻の如くなり
信長が好んで演じたと伝わる幸若舞「敦盛」の一節である。当時の平均寿命のことではなく、人の世の50年は下天に比べると、たったの一日に過ぎないという。いまの時代も過ぎ去ってしまえば50年はあっという間。しかし人生100年時代を迎えると、働き方や定年後の暮らし方なども一変するのではなかろうか。中国新聞社グループで人材総合サービスのメイツ中国(中区胡町)は、管理職経験のある60代を対象に「顧問倶楽部」という新たな人材紹介事業に乗り出す。
人口減に突入し、さまざまな職場で働き手の不足が深刻化。それでも慣習なのか、定年を迎え、優れた人材もまた職場から去っていく世代交代を繰り返す。企業は技術の伝承、後継者の育成などに四苦八苦。一方で定年後に週に数日程度、やりがいのある、社会に役立つ仕事に就きたいと考えている人は案外、多いのではなかろうか。同社は、フル勤務では考えられない広範囲での可能性を探り、無理なく働ける方法を提案する。経営企画や財務、人事、営業、生産管理などに高度な専門スキルや豊富な管理職経験、人脈を持つ人らを顧問として登録。的確に助言、指導してくれる人材を求めている企業との間を「顧問契約」でつなぐ仕組みをつくる。働き方は多種多様。こうした事業は首都圏で先行しているが、中国地方ではまだ珍しいという。
3月26日に専用サイトを開設し、これから幅広く登録者を募る。既に成約した事例もある。自動車メーカーの営業管理職経験者は、新たな販路開拓を考えている物流会社との間で条件が一致し、顧問契約。埼玉県内の製造業の工場長経験者は、広島本社の埼玉工場と顧問契約。遠隔地のため管理が行き届かず、現場の改善が急務となっていた。現工場長を育成し、生産能力を向上させる役割を担う。広島県内の基盤装置メーカー管理職経験者は、管理部門全体の最適化を目論む建設コンサルタント企業と顧問契約。原則1年更新で、出勤は週1、2日程度、報酬月額は30〜40万円程度を予定。
経営者はいつも有能な人材を求めており、事業発展のチャンスをうかがう。新事業を立ち上げたいが、しかし任せられる人材は社内にいない。「経営者の右腕としてマネジメントに携わる人材を探している」、「海外展開などによる新たな販路拡大を考えている」、「ECサイトを立ち上げ顧客開拓したい」、「生産・開発現場で新たな手法や価値を生み出したい」などのさまざまな経営課題の解決に“伴走支援”し、顧問として力を発揮。求人と求職の双方のさまざまな希望や条件をできるだけ多くプールして出会いの場を提供する新たな仕組みにより、まだまだ元気で意欲のあるシニアに活躍の場を提供する価値は大きい。
本当かと思うが、海外の研究報告で、2007年に日本で生まれた子どもの半数が107歳より長く生きるという推計もある。国は人生100年時代に向け、介護人材の処遇改善やリカレント教育、そして高齢者雇用の促進などの政策目標を掲げる。次の時代が何を求めているのか、いま一度、働き方や人生設計を見直してみるときか。
車産業は100年に一度の変革期という。電動化や自動運転などの技術革新はどこまで進むだろうか。
「われわれは常にユーザーの心に視点を合わせている」
とは、軽自動車の販売と車検・修理で業績を伸ばすサコダ車輌(佐伯区)の迫田宏治社長。販売価格は商圏内最安値で値引きしない。独自の営業戦略を展開し、着々と階段を上ってきた。
「どんなに車の機能や性能が進化しようと、商いの原点は変わらない。わが社にとって一番大事なことはユーザーから『ありがとう』と言ってもらえるか、どうか。ここが勝負どころ」
と言い切る。今9月期決算は車販売6000台、車検1万6000台の目標を掲げ、1983年に創業以来、初の売上高100億円突破に挑戦する。
前期も売り上げ100億円達成の目標を立てたが、14期連続増収をもってマイナスに転じ、売上高約89億円にとどまった。消費増税前の駆け込み需要の反動に加え、コロナ禍が響いた。だが、臆するところはない。新車状態に近い高年式・低走行の未使用軽自動車販売を主力に、FC車検最大手コバック加盟店では中四国九州初となる車検年間1万台以上を4年連続でクリア。さらに顧客層を広げ、徹底してユーザーから支持されるサービスを見極めてきたという自負があるのだろう。大台を視野に入れ、決して手を緩めない。リーズナブルな価格で車を販売し、車検を提供する。その代わり納車引き取りを極力避け、過剰なサービスは一切なし。この大本を押し通してきた。
1月に安佐南区に4カ所目の指定車検工場「コバック広島祇園店」を開設。既存の石内、舟入、東広島と合わせて4工場体制を敷く。いかに規模が大きくなろうと慢心はかけらもない。社員教育には格別に力を入れる。接客を一つ間違うと、客は去る。普段から人間力を磨く努力が欠かせないと話す。
「営業にノルマはない。しかし頑張った社員を正当に評価する制度を設け、ふさわしい待遇を用意。縁あって入社した以上、みんな家族同然。人生はいつも順風満帆というわけにはいかない。行き詰まり苦しい時、どうやって乗り切るのか。難所を越えて初めて成長した自分を確認することができる。『仕事を通して自分の人生を幸せにする』という決意こそ何より大事。気持を新たに向学心、向上心、そして油断なく仕事、人生に向かってほしい」
熱血漢だが、人情家。一からたたき上げてきた特有の経営観がある。少子高齢化が進み、車を求める世代も減ってきた。こうして真価が試されるときに差し掛かり、中小企業の強みを発揮するチャンスと言う。企業規模が大きくなるにつれて、自分の仕事だけやっていればいいという感覚が忍び寄ってくる。
「当社のモットーは、1人1人が責任感を持って頑張る。その結果、会社がもうかる。社員が潤う。そのサイクルが循環して雇用を守ることができ、社会貢献もできる。三方よしで成り立つ構造をつくる使命がある」
社員の平均年齢は27歳。今春は新人16人が仲間に加わり、さらに若返る。2年後に40周年。ますます意気軒昂。
企業の合併や買収は、専門コンサルタントの提案から交渉が始まる。企業の存廃を懸け、互いが条件を主張。ビジネスの厳しさがあらわになり、すんなりまとまる例はほとんどない。希望する相手に巡り会うか、巡り会ったとして、取引を円滑に進めることができるかはコンサルの腕の見せどころ。M&A専門のクレジオ・パートナーズ(中区紙屋町)は2018年4月に設立以来、3年間にM&Aや事業継承などで100件ほどのコンサルティング契約を受託。かつて広島に例のない、目覚ましい成果を挙げている。
これまで例えば、東広島記念病院などを運営する医療法人社団ヤマナ会(東広島市)はサービス付き高齢者住宅(サ高住)を取得、総合不動産管理業のみどりホールデングス(中区大手町)は山口県の厨房機械・器具販売会社を取得、総合建設業のティーエス・ハマモト(安佐南区)は内装用建材の企画製造販売会社と住宅建築の申請代行会社を取得など。名前は伏すが、中堅から大手まで業種、業態も幅広い。経営危機を乗り切り、飛躍的な発展につながった成功例などが興味深い。
会社を売却したいという事情の多くは後継者の不在。社長の一番の仕事は後継者を育て、なお会社を存続させる使命があると言われるが、中小企業ではなかなかスムーズに運ばない。高齢化や健康問題などで経営から退きたいが、取引先や雇用を守るために、やすやすと会社を閉じることはできない。そうした経営者の切実な思いを受け、事業承継の実現に成功したときの安堵感は計り知れない。同社にとって大きなやりがいなのだろう。
会社を買いたいという理由はさまざま。既存事業の強化や新規市場への参入などが主体で顧客やエリアの拡大、サプライチェーンの効率化によるコスト削減などのシナジー効果を見込むものや、自社の経営資源を補って新分野進出を加速させるケースなど枚挙にいとまがない。
同社の強みは財務。資本を活用したエクイティ・ファイナンス、融資・借入を活用したデット・ファイナンスの両方に専門性を持つ。こうした専門知識はむろんのこと、本音でぶつかることのできる「人間味」が大事という。双方の間で中立公平を貫く。どんなに多くを語ろうと信頼を失うと、相手は耳を貸さなくなる。むろんアドバイザーの責任である。常に緊張感のみなぎる真剣勝負。M&A後も丁寧なフォローを尽くす。次の案件へつながることも多い。土井一真常務は、
「M&Aの相手先が見つかること自体たやすくはない。売り手にとっては一度しかない事業承継。納得のいく選択をしていただくために、複数社から提案してもらえるよう苦心している。企業連携は互いの立場を尊重し、互いの長所を生かすというスタンスの上に成り立つ」
昨年入社した齋藤拓也執行役員(38)は、中国経済産業局時代に創業支援等を手掛けた経験と幅広い視点を持つ。
「M&Aを通じて経営の本質が見えてくることがある。企業活動は奧深く生産、販売、研究開発などで多様性にあふれている。長所を伸ばし、弱点を補うM&Aの手法は、事業発展を促す大きな可能性を秘めていると思う」
広島県内の企業の後継者不在率は71.3%に上り、多くの中小企業が事業承継の悩みを抱える。こうした事情も背景にあるのか、近年、M&A(企業の合併・買収)の手法によって事業拡大や新分野進出などのさまざまな経営課題を解決し、一気にチャンスをつかむ事例が増えてきた。
広島銀行は、2019年度のM&A相談件数が628件で、うち27件を成約。過去10年で3倍にまで増えたという。大手のM&A専門会社が全国に事業を広げる中、地方では珍しいM&A専門のクレジオ・パートナーズ(中区紙屋町)が頭角を現し、急速に実績を挙げている。18年4月に設立以来、3年間にM&Aで60件、事業承継の40件を合わせて約100件を手掛けるなど、広島の企業連携を加速している。
同社は、東京の大手コンサルティング会社を経験した若者2人が広島で創業し、現在は金融機関や国の経済行政出身者らスタッフ7人。地元に根差し、地元をよく知る利点を生かし、経営者に寄り添う特有の経営方針を貫く。
代表の李志翔社長(39)は広島会計学院専門学校出身。20歳の時に国内最年少で税理士資格を取得し、話題になった。何事も「できるか、できないか」ではなく「するかしないか」を決断することが先決と言い切る。猛勉強で難関を突破。卒業後は山田コンサルティンググループ(東証一部上場)に入り、在籍15年でM&Aと事業承継を中心に約200件の受注案件をこなす。医療機器メーカーなどの幅広い業種でマッチングを経験できたことが、独立を決断するときの大きな原動力になったようだ。
共同創業者の土井一真常務(30)は18歳の時に突発的な病気を患い、大学受験に失敗したが、21歳で公認会計士試験に合格。東京のベンチャー企業などを経て山田コンサルティンググループに転職するやいなや広島支店の立ち上げに携わり、当時は広島支店長だった李社長と出会う。そして会社設立の誘いを受けたとき「優秀な人材は多いが、信頼できる人は少ない」と思えたことが、決断する一番の根拠だったと明かす。
考え方はシンプル。精魂を込めて会社を守り、事業発展に生涯を懸ける企業経営者に伴走し、少しでも役立つことができれば本望と立ち上がった。目標はでかい。
「M&Aは事業の継続や成長の手段です。既存事業の強化や新規市場への参入などを促すM&Aによって企業価値を高め、さらに継続的に事業の成長をサポートできる態勢で臨むことが、わが社の基本的な考え方。M&Aなどを通じて広島で100億円企業を100社以上、1000億円企業を10社以上つくる目標を立てた。そして上場を成し遂げる企業のサポートに携わることができれば、地域活性化に果たす経済効果は大きい」
事業再生や税務相談、会計監査などの専門家グループも形成する。徹底して経営者の悩みに寄り添う。売り手と買い手の事業内容や経営方針を理解し、企業を深く知ることで互いに相乗効果を発揮できるマッチングがかなう。何より〝互いの尊重・信頼〟が事業発展の勘所という。
同社が手掛けたM&Aや事業承継の事例などを交え、成約の秘訣などを次号で。
旬の野菜は格別。採れ立てはなおさら。各地の産直市に作物本来の味を求めて多くの人が押しかける。市内中心に飲食店を展開するインスマート(西区商工センター)は当初、自社の居酒屋やレストラン用に供給するため、農薬を使わない農業に乗り出し、今年4月で9年目に入る。
東広島市西条町の休耕田を畑に、3年間は2ヘクタールで50品目を作っていたが、現在は5ヘクタールに広げ、大根や茎ブロッコリーなど11品目に絞る。需給バランスなどを考え、3年前から収穫量の約8割をJA広島中央に出荷している。担当の坂田一樹さんは、
「野菜のおいしさを届けたくて露地栽培にこだわった。きれいに均質に作るのは難しくハウスものに比べて見た目は劣るが、圧倒的においしい。しかし店頭で手に取ってもらうには見た目が決め手。そうすると本来のおいしさはなかなか伝わらず、悩ましいところだ。もともと東広島出身で農業は子どもの頃から身近にあった。農作業を手伝うこともあったが、将来自分でやりたいとは少しも思えなかった」
地元での営農に意欲はわかなかったが、農業を始めた頃に1歳の長男が同じトウモロコシでも見た目のきれいな、買ってきたものは口にしようとしなかったのに、わが家の畑で作ったトウモロコシをむさぼるように食べてくれたことが強く印象に残った。いまは農作業を手伝ってくれる学生らにも好評だ。数年前からはJA産直市「とれたて元気市となりの農家店」に出す野菜の袋にテントウムシをデザインしたシールを貼って出荷。売れ行きは好調で一定層のファンが増えてきたという。
八本松地域も再開発が進む一方で休耕田が増える。同社に耕作依頼が舞い込むものの現状では人手に余裕がなく引き受けられない。そんな中、県の伝統野菜「下志和地青ナス」を東広島の特産にしようと「あおびー倶楽部」を2018年12月に設立。この品種は、果色が茄子紺という伝統色の名称でもあるナスの色とかけ離れた淡い緑色だが、果肉は柔らかく、あくが少ないのが特徴だ。昨年末に特産物部門で東広島市農林水産ブランド「東広島マイスター」認証を受け、インスマートは生産者部門、サツマイモの紅はるかをあんに使った和菓子「紅はるかの月」は商品部門でそれぞれ認証された。
青ナスの種子は、(財)広島県森林整備・農業振興財団の農業ジーンバンクから借り受けた。同バンクは現在、県内に現存する作物種子約1万8600点を保存し、伝統野菜の復活を支える基盤として機能している。貸し出しは年間で80〜100件に上る。近年は有機農業を営む農家からの要望が多いという。09年に実施された〝広島お宝野菜〟プロジェクトの選定15品目に青ナスも含まれる。バンクの船越建明さんは、作物の特性を理解し生育に合った地域や栽培が一番大事で、地道にやる努力が欠かせないという。
坂田さんは土地に合った伝統野菜で打って出ようと、青ナスの栽培を始め、14年に初出荷。仲間に呼び掛け現在、志和や福富、西条の新規参入やUIターンなどの若手7農家が参画し、東広島のブランド化を目指す。
「広島県のナスは青い、と言われるまで産地化したい」
飛べ、テントウムシ。
あじかん創業者の足利政春さんが語った言葉の端々に、何とも言えぬ迫力があった。穏やかだが、日々精魂を傾けてきた体験の裏付けがあり、引き込まれる。途上で「いったん会社を閉じなくてはいけない」事態さえ危ぶまれたこともあったという。その岐路に立ち、何が明と暗を分けたのだろうか。
創業者が語る「あじかんの原点と経営思想」に、次の一節がある。
「母が私を膝の上に抱きながら『癇癪(かんしゃく)は癇癪玉という宝なんよ。宝物はめったに人に見せるもんではないですからね』などと言い聞かせられ、知らず知らずに私の血肉となり、生き方や経営観の底流になっています」
逸話がある。競合する同業者があることないことを言いふらして歩いたときも、自分自身に言い聞かせたのが「癇癪玉」の教えである。
「相手を誹謗(ひぼう)するような会社は、世の中で認めてもらえるはずがない。同じように誹謗して歩く会社になったら、相手の同じ位置に成り下がってしまうからやめとこう」
後に語れば簡単なようだが感情こそやっかいで、火の玉のような「やりがい」を引き出すこともあれば、怒りに負けて身を滅ぼす危険も待ち構えている。勘所だろう。
京都の吉田喜で修業し、玉子焼きの技術だけでなく商いのイロハも教わり、人を見る目も養ってもらったという。
「(吉田社長は)若い者を愛情とゲンコツで鍛え、一人前の職人に育て上げてくれた。修業中にはどれほど涙を流したかわかりません。しかし笑って過ごした楽しい思い出はほとんど記憶に残らないのに対し、涙するような苦しかった出来事は年々美化されて、あのときは大変だったなあと楽しく語ることで今あることを感謝できます。人間が生きられるのもそれゆえで、もし苦しい思い出が苦しいまま残っていたとしたら、とても生き続けていることなどできないでしょう。今は楽しく語れる苦労をいくつ持っているか。その数が歩んできた人生の勲章だと私は思っています」
経営のコツここなりと気づいた価値は百万両。松下幸之助の言葉である。
「この言葉に初めて接してからというもの、松下さんの著書を読み漁(あさ)りました。著書に−経営のコツとはどういうところにあるのか、どうすればつかめるのかということになりますが、これがまさにいわくいいがたし、教えるに教えられないものだと思います。経営学は学べるが、生きた経営のコツは教えてもらって分かったというものではない。いわば一種の悟りとも言えるのではないかと思います−と書いてあります」
日夜試案の末、眠りに就こうとした瞬間、パッとひらめくものがあった。あじかんを支えてくださる方々の喜びがコツではないか。自分の実践の中で気づいた「商いのコツ」です、とくくる。
3代目の足利恵一社長は、
「倫理と利益の両立が人を豊かにしていく。利益だけを追い求めても駄目。倫理だけでは経済が成り立たない。渋沢栄一の言葉です。資本主義の草創期にそう指摘している。学ぶとはいかに知らざるを知るか。ここから一歩を始め、生涯続けていきます」
誰も教えられない。わが手でつかむほかないのだろう。
一代で大きな仕事を成し遂げた男のすごさを秘め、どこか人懐っこい、おおらかさがあった。総合食品製造・販売のあじかん(西区)創業者の足利政春さんが1月16日亡くなった。86歳。
京都市下京区出身。京都の玉子焼の老舗吉田喜の吉田喜作社長からのれん分けされて広島で1962年に前身の三栄製玉を個人創業。瞑想法「阿字観」(われを見詰めて広く意見を聞く)という、商いの原点ともいえる言葉に由来し、78年から現社名に。2000年に東証2部上場を果たす。20年3月期連結決算は売り上げ447億円、純利益は5億5000万円。来年で創業60周年を迎える。
一燈を下げて暗夜を行く。暗夜を憂うることなかれ。ただ一燈を頼め。
同社が創業50周年の年に「あじかんの原点と経営思想」(244ページ)を上梓。江戸時代の儒学者佐藤一斎が「言志四録」で述べた言葉から書き出す。あえて足利さんが語らなければ、途上で「死のうとまで思い詰めた」ことがあったとは知るよしもない。一度だけ本業を離れて、ガラス製造の事業を継承したことがあった。しかし苦心惨憺(さんたん)のあげく、わずか2年でただ同然に手放した。手持ち資金は泡のごとく消え、さらに個人負債まで抱える。資金繰りはひっ迫し、困窮を極めた。
「ショックのあまり、一時は死のうとまで思い詰めた」
ずいぶんと高い授業料になったが、性根を入れ替えて、玉子焼を一生の仕事にしようと決める。神様が、ふわふわしていた私にガツンと試練を与え、途中で投げ出さずにちゃんと玉子焼の道を歩めと諭してくださったに違いない。その意味でも、私は幸せ者ですと述べている。
何とも素直で、なおプラス思考である。経営存亡のピンチにどう立ち向かっていくのか。逃げることなく、真正面からぶつかったことが、危機脱出につながったのではなかろうか。玉子焼を一燈として提げて、ただひと筋に人生を歩む転機となった。
こんな話もある。地元同業者から申し入れがあり、対等合併で1970年に「広島製玉」をスタート。これが大失敗だった。何のかんのと理屈をつけて作業をボイコット。労働争議である。48時間にわたって交渉を続け、ボイコット派の社員に退職金を支払って辞めてもらうことでようやく決着した。
しかし、その後も難儀が続く。退職金を手にした彼らが会社の裏手で同じ商売を始めて数人引き抜いたほか、営業の先々で、あることないことを言いふらして歩く。こういうときこそ会社(経営者)が何を考えるかが勝負。ぐっとこらえて聞き流した。案の定その会社は1年半で倒産。つぶさに経過を見ていた社員は企業経営とはこういうものだと正当に評価し、一丸になってくれた。企業思想の継承とは、そうやって受け継がれていくものだと体験から学んだという。長年のうちに鍛え上げられた職人技のごとく骨身に染み込んでいる、特有の経営観なのだろう。
経営のコツここなりと気付いた価値は百万両。松下幸之助の有名な言葉である。誰かに教わったものでもなく、まねたものでもなく、実践の中で気付いたという「商いのコツ」について次号で。
わが人生の主題をどう捉えるか。誰しも迷うことが多いが、ネッツトヨタ中国(西区庚午中)社長の槙本良二さん(60)は実に明快である。日々是感動。人生は思い出づくり。それが私の信念です、と言い切る。
今日までの歩みもなかなか興味深い。広島大学付属中・高等学校から東京大学経済学部へ。卒業後、東京海上日動火災保険に入り、企業担当営業、自動車ディーラー担当営業を15年余り。大きな転機が訪れた。上司から「ネッツトヨタ中国の将来の幹部にという話がある。どうか」と問われて、3秒熟考し「広島で頑張りたい。チャレンジさせてほしい」と回答。実に明快である。その後、現在の卜部典昌会長との面接を経て、2011年に同社に入り、15年から社長を務める。先頭に立って社員250人を引っ張るが「私は社員の応援団長」を自認している。
中学1、2年と学級総代に選ばれ、3年は協議会議長、高校1年は総代、2年は書記局長を務めた。生徒会活動などを通じて人の世話をするのをいとわなかった。昨年7月には全国1万2000人の同窓生を有する広島大学付属中・高等学校同窓会「アカシア会」の会長に就任。世話好きは母親譲りなのか、こんなエピソードがある。
「中学3年の遠足だったと思うが、故郷の白木山に登ることになり、母が40人全員分の計80個のおはぎを作り、持たせてくれた。みんなから大いに喜んでもらった記憶がある。いつの間にか、人のためにお手伝いする喜びを培っていたのかもしれない」
高校1年の体育祭で応援団員を経験。エールで人を応援する魅力にとりつかれて、そのまま応援団に入団した。大学でも応援部に入り、4年時には応援団長を務めた。
「運動部の仲間を中心に東大はもちろん、東京六大学応援団、京大などにも多くの友人ができた。私の宝になっている。毎年の六大学応援団の同窓会には35年間かかさず参加している。応援団はエールで母校の同窓生の心をひとつにし、結束を強くすることが役目と心得ている。都合がつけばどこへでもはせ参じてエールを送る所存。同窓の湯崎英彦知事の出陣式でも過去3回エールを送り、拍手喝采。これからも皆さんが幸せになっていただけるよう、応援道を極めたいと思う」
人との出会いや縁を大切にしており、小学校の友人から仕事で出会った人までプラベートで送る年賀状は毎年1200枚を超える。
「本や映画、人との出会い、道端に咲いた花、夕焼けなど日常には多くの感動があふれている。その感動はやがて思い出となり、人生を通じていかにたくさんの思い出づくりができるかが、私の生きる指針になっている。社員の小さな頑張りを見逃さないよう、感謝と激励のために毎週土日に県内17拠点を回り、暑い日も寒い日もひたすら頑張っている社員1人1人に声を掛けるようにしている。これからもみんなの応援団長として多くの人から喜ばれる会社をつくっていきたい」
日々、感性を研ぎ澄ませ、小さな感動を見つける。その積み重ねが素晴らしい人生につながると言い切る。心に感謝があるから、その言動も爽やかなのだろう。