広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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コラム― COLUMN ―

広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。

  • 2019年10月31日号
    聖火広島をゆく

    1964年の東京オリンピック聖火リレーが広島の街を走り抜け、これを地元のアマチュア映像作家グループ「広島エイト倶楽部」が撮影した貴重なカラー映像が残されている。平和公園前を走る聖火のカラー映像は全国にこれしかなく、近年、NHKをはじめ、キー局地上波、BSや地元局から映像提供の依頼が相次いでいるという。
     今年で結成60周年を迎えた同倶楽部は11月10日午後1時から、中区袋町の広島市まちづくり市民交流プラザで「市民のビデオまつり」を開く。上映作品は広島のあのとき、このときを映し、懐かしく感動がよみがえる逸品がそろう。あの東京オリンピックの「聖火広島をゆく」(64年)ほか、カープの「やったぜ日本一」(79年)、「手づくり花火に魅せられた男衆」(2011年)、「北ノ庄一座」(12年)、浅野氏入城400年記念事業として9月15日にあった、江戸時代の広島城下を東西に貫く西国街道を舞台に当時の装束で練り歩く時代行列〜入城行列ドキュメント「にぎわう夢の西国街道」の5本立て。共催は広島市文化財団。定員100人(先着順)。
     聖火リレーの映像(24分)は、井口→市役所→平和公園→十日市→祇園大橋の間を収録。当時の8ミリカメラはぜんまい式で40秒程度しか撮影できなかったため、2人1組で交互に撮影したという。それから56年の歳月を経て来年夏に東京で開催される平和の祭典オリンピックを契機に、平和公園を背景に聖火リレーを映したカラー映像が再び、クローズアップされているが、そのカメラマンらの郷土愛もまた、次々とたすきをつないできた。
     昔は8ミリフィルム、今は全員がハイビジョンビデオだが、「8」の付く倶楽部名をそのまま残したという。初代会長の松原博臣さん(故人)はJR横川駅近くにあった聖ケ丘内科医院の院長で、夫婦で医師。来院患者は奥さんの女医に任せ、松原院長はもっぱら往診を引き受けた。いつも聴診器と8ミリカメラを持ち歩き、合間をみてカメラをまわす日々。郷土愛が強く、焼け野原から復興する広島の街を撮り続け、映像文化の芽を育てた。同好の仲間が自然発生的に集まり、1958年に広島エイト倶楽部を結成。まだラジオの時代で、動く映像は珍しく、医師会館などで開いた上映会はいつも盛況だった。カープの合宿所が病院近くにあったせいか、球団医を務め、スイングなどを撮影して練習に寄与。こよなくカープを愛し、選手の診療は無料だったそうだ。次第に会員も増え、多いときは50人を擁した。現在は21人。
     団体として広島文化賞を受賞したほか、ヒロシマ国際アマチュア映画祭でも大賞を受けるなど、共同制作を含め、会員作品に数々の受賞歴がある。中国新聞社の元経済記者で、3代目会長(現在は4代目の田中隆正会長)を務めた佐々木博光さん(84)は、
    「60年続くアマチュア映像の会は全国に例がない。医師が創設したその遺志を大切に楽しく健康にやっている。動く映像の魅力は尽きない」
     11月14日午後1時から西区民文化センターで公開上映会を開く。佐々木さんが主人公の「生きます ボケません 100までは」など14本立て。ますます意気盛んである。

  • 2019年10月24日号
    志を引き継ぐ

    その歴史には、志のある多くの人が関わっていた。いまでは西日本最大規模の流通拠点を誇る広島総合卸センターや広島中央卸売市場などが立地し、大勢の人が働く西部流通団地。ご存じの通り、もとは海だった。
     卸センター初代理事長を務めた伊藤学さん(故人)の回顧録「我が人生、我が事業」の中で、広島の復興を引っ張った初代の公選広島市長、浜井信三市長が伊藤さんの家を訪れた時の話を述べている。
     −二人で高須の裏の山頂に登った。そこから井口と草津の沖の方を指して、
    「あの向こうの津久根島を含めて埋め立てしたい。いま、榎町や十日市方面にある中小企業は、道路ぎりぎりまで使って社屋を建てている。荷物の荷さばきは全部道路でやるので大変危険な状態にある。そうした中小企業は広い場所に集団移転させたらどうかと思う。いろいろ研究してみたが、飛行場もつくりたいし、大学も統合移転する必要がある。そうしたことで土地がいくらでもいる」
     これが西部開発構想の始まりだった。もう70年前の話だが、当時の広島が抱えていた課題や街の光景、その時代の空気さえ伝わってくる。
     さて、それから埋め立て工事が完成するまでに数々の紆余(うよ)曲折があり、長い歳月を要したが、広大な造成地に次々社屋が建ち並んだ。一方で、伊藤さんはJR新井口駅やアルパーク、広島サンプラザなどの誘致活動に奔走し、時には周囲もたじろぐほどの気迫をみせた。市で戦後最大級のプロジェクトだった西部開発事業は、その完成後も伊藤さんにとって「我が人生」の主題となった。当時、市の幹部は「業界をまとめ、組合を引っ張った伊藤さんの尽力なくして西部開発事業は成し得なかった」と語っている。
     時を経て、不思議な巡り合わせか、伊藤さんの長男で、3代目の卸センター理事長を務める学人さんは、サンプラザなどの老朽化した団地内の主要施設、機能も含めて全面建て替えするメッセコンベンション施設などの誘致活動に奔走。これに呼応するかのように広島商工会議所が先に動き、西区の広島西飛行場跡地や商工センター地区を候補地に、見本市や国際会議を開く「MICE(マイス)」施設整備の構想を県、市へ提言。県と市は調査費を予算化し、本格的な検討を始めた。
     広島中央卸売市場建て替えが進展し、西飛行場跡地と連携したMICE施設の整備が実現すれば、大勢の人でにぎわい、一帯の景観は一変することになる。伊藤理事長は、
    「国内外から訪れる人々を受け入れる宿泊、飲食施設は市中心部と補完し合うことになり、両エリアを巡回する交通アクセス、公共交通機関の導入が欠かせない。施設整備だけにとどまることなく、国内外から大規模な見本市、国際会議などを誘致ないしは主催する組織の拡充も関係方面にお願いしています」
     すでに街区サイン設置を市に要望し、団地全体の景観整備事業などを推進。できることから順に、MICEの受け入れ準備を進めている。
     浜井市長の志は時を超えて今に、将来へ波紋を広げ、さらに伊藤さん親子が歩んだ道は時代も、経験の質も異なるが、その志はしっかりと受け継がれているようだ。

  • 2019年10月17日号
    追い風吹く

    まるで西部流通団地の施設老朽化にタイミングを計ったように、大規模な見本市や国際会議などを誘致、開催する「MICE(マイス)」施設整備の構想が持ち上がり、本格的な検討が始まった。
     市にとって戦後、最大級のプロジェクトだった。1958年に「大広島計画」の基本構想の一つに位置付け、66年から庚午、草津、井口地区の地先水面埋め立てに着手。総事業費1000億円を投入し、16年を費やして約328ヘクタールの流通団地を造成した。完成から37年。同団地を候補地とするMICE施設整備の検討を契機として、市幹部2人や(協)広島総合卸センターなどの企業団体トップ、アドバイザーの学識者2人、オブザーバーの県や広島商工会議所、地元の井口明神学区社会福祉協議会が参加する検討会「MICE部会」が10月1日、初会合を開いた。
     座長に、卸センターの伊藤学人理事長が選ばれた。ほかに企業関係者は商工センター企業連携協議会の中村成朗会長、広島市中央市場連合会の佐々木猛会長、広島食品工業団地(協)の中村哲朗理事長、(協)広島総合卸センターの岡本俊雄副理事長、広島印刷団地(協)の喜瀬清理事長、広島輸送ターミナル(協)の樋口和之理事長、広島市西部トラックターミナル連絡協議会の佐々木哲也会長らでつくる「広島商工センター地域経済サミット」の8人。
     そもそもは組合設立40周年を迎えた卸センターが2016年にまとめた「新しい施設の整備」構想が発端になった。商業施設アルパークの南側に隣接する広島市中小企業会館・総合展示館〜広島サンプラザのエリアを対象に、老朽化が進行する両施設・機能を再配置して新たに会議場や展示場などに全面建て替えする提言をまとめた。さらに大きく構想を練り直し、17年に「商工センター地区まちづくり提案」をつくり、メッセコンベンション施設の誘致・整備を柱とする提言を県や市へ提出した。
     厳しさを増す卸売りの環境ほか、団地内の主要施設や組合員の社屋が更新期を迎え、団地全体を再整備して将来ビジョンを描く必要に迫られていたことが提言の背景にあった。伊藤理事長は、
    「アンケート調査で黒字経営が80%以上あるなど、幸い当組合は堅調な企業が多いが、決して油断はできない。古くなった施設、機能をリニューアルして将来へ希望の持てる環境整備、より元気な団地、より元気な組合員を旗印に、いま組合でできる限りの力を尽くしたい」
     追い風も吹いてきた。広島商工会議所が昨年12月、西区の広島西飛行場跡地と商工センター地区を候補地に、見本市や国際会議などを開く「MICEのあり方」提言を県、市に出した。これを受けて県、市がそれぞれ調査費を予算化。市は施設の整備可能な規模・機能などに関する調査をコンサルタントに委託した。並行して市と商工センターの地元企業などで設置したMICE部会は、本年度内にあと2回開く予定。大勢の人をさばく交通アクセスをどう整えるのか、西飛行場跡地との一体的整備と絡め、アルパークや広島中央卸売市場建て替えを含めた地区全体のまちづくりに、どのような道筋が示されるだろうか。−次号へ。

  • 2019年10月10日号
    スポーツの力

    精悍な男どもが激突し、ボールを追っかけ回す。アジアで初めて、日本で開幕したラグビーW杯。日本の快進撃に列島が沸き、にわかラグビーファンが増えたという。感動があり、一喜一憂しているうちに共感も生まれる。底知れぬスポーツの力なのだろう。
     カープやサンフレッチェなどのプロ球団がある広島はむろんのこと、中国5県のプロチームや関係団体、企業が賛同する「ちゅうごく5県プロスポーツネットワーク」の活動が広がり、次第に成果を挙げている。通称はスポコラファイブ。国が2016年に打ち出した日本再興戦略でスポーツを成長産業に位置付けており、25年までに15兆円の市場規模を構想。中国経済産業局が17年度から取り組むプロジェクトとして、スポコラが発足した。独立系プロスポーツ団体間や企業との連携を通じて新しい商品やサービスの開発、情報発信、人材育成などをもくろむ。
     7月にヴィクトワール広島主催で自転車ロードレース大会「広島クリテリウム」にバスケットボールの広島ドラゴンフライズや女子サッカーのアンジュヴィオレ広島、フットサルの広島エフ・ドゥのメンバーも参戦し盛り上がった。RCCアナウンサーで、プロジェクトの連携・情報発信のコーディネーターを務める坂上俊次さんは、
    「カープやサンフレッチェはともかく、どこでどんな試合があるのか、よく分からないという声も多い。競技種目が違うからと互いに無関心のままではもったいない。プロチームの稼ぐ力を育み、さらにスポーツの価値を高め、都市力に磨きをかける。そうした取り組みが大切と思う。互いに刺激し合えば、活気も生まれる。広島はカープの存在でスポーツを観戦する文化、応援する土壌がある。これを利用しない手はない」
     チケットや関連グッズの販売促進などプロチームの経営基盤が強化され、街がにぎわい、産業振興につながればこの上ない。サンフレッチェは11月4日〜12月7日の期間限定で〝サンフレコイン〟の実証実験を地下街シャレオで行う。スマホのアプリを見せて買い物をするとコインがたまり、観戦チケット交換やスタジアムで特別体験もできる。さらに観戦すると店舗で優待が受けられる。観客動員と店側の集客を相互に増やしていく狙いだ。
     スポーツを取り巻く環境も随分と変わってきた。マツダスタジアムを盛り上げる女子力も半端ではない。スポーツを介在させることでビジネスの視界が広がり、新たな発想も生まれる。スポコラはここ2年間で、SNSなどによる情報発信や学生目線のコンテンツ制作、コラボ商品の試作ほか、顧客データ分析を使った集客の実証、新スタジアム構想の具体化などの活動に取り組んできた。
    「関連ビジネス創出を目指し、スポーツで地域を元気にする。これがスポコラの本来の目的」(中国経産局)
     旧球場では4月にあった都市型スポーツの世界大会FISEが多くのファンでにぎわった。中区の中央公園広場へ早ければ24年にも3万人収容のサッカースタジアムが開業する。同広場は都市再生緊急整備地域にも指定されており、都市再生を強力に推進する役割が求められている。

  • 2019年10月3日号
    人に会う勇気

    テレビ観戦していると、元カープ選手でプロ野球解説者の前田智徳さんが「そりゃあプロは厳しい、非常に厳しいですよ」と独り言のようにぽつり。決して妥協を許さなかったといわれる現役時代の経験から出た言葉だろうが、心技体への重圧が非常なものだったことをうかがわせた。
     ファンにとって、特にチャンスで見逃し三振ほどがっかりさせられるものはない。バットを振る勇気もないのかと憤慨する。ビールを片手に観戦する方はのんきだが、選手にとって恐怖や不安にものおじせず立ち向かう気力こそ、一流への分水嶺(れい)なのだろう。
     工業炉メーカーの三建産業(安佐南区)に、「勇気の12講」がある。創業者の万代淑郎さん(故人)はいつも穏やかで、気さくに取材に応じていただいた。その頃、同社の社内報に一年間、勇気とはいかなるものか、を主題にメッセージを連載されており、その一部を要約すると、
    「人に会う勇気」人と人の間には、当然のことながら年齢や教養、社会的地位などのポテンシャルがある。ポテンシャルの高い人と会うのは大なり小なり勇気がいる。しかし会えば、会うほど差が縮まることは確かで、実に不思議なものだ。気心が知れるというのか、二人の間に共感というようなものが生まれてくる。
     孤独もいいものだけれど、実は、この共感というものが人の心を豊かにし、生活の支えになるものだと思う。もっと打算的というか、現実的に考えてみると、ポテンシャルの高い人に会うことは知識を得たり、教えられたり、ヒントを与えられたり、つまり自分を利することがいかに多いことか。
     もっと人に会う勇気を出してもらいたいのは、社内外を問わず、できるだけポテンシャルの高い人に接してもらいたい。もう一つは、会いたくない人に、積極的に会う勇気を出してもらいたいことだ。クレームで叱られることがわかっている人や、売掛回収がもつれにもつれて会う人には勇気がいる。何はさておいてもまず会うことだ。
    「断る勇気」断り切れなかったという場合を考えてみると二つあるように思う。情にほだされているという場合、もう一つは、欲と二人連れの場合だろう。もともと欲しいとか、もうかるからという心の傾斜があるから、理性では断らねばならぬ条件下でも、ついつい断れない。そのために金銭的に恐ろしい目に遭うこともしばしば。特に判を一つ押すということを断り切れなくて破産倒産の憂き目ということは、何としても最初の第一歩で勇気不足といわれても仕方がない。欲に幻惑されず、情に流されず、勇気と理性が必要だ。片意地と思われるほどの強さで断らねばならぬ場合だってある。
     以降の講を並べると、習慣をつくる勇気と破る勇気、先にいやなことを片付ける勇気、新しいことをやろうとする勇気、挫折感に立ち向かう勇気、進んで発言する勇気、可能性に挑む勇気、妥協をしない勇気、開拓する勇気、決断する勇気、ものおじせずに立ち向かう勇気−の12講。
     勇気の言葉は平易だが、いざ実践するとなるとそう簡単ではない。さ細なこともおろそかにすることがなく、周囲に気配りをみせた万代さんの生き方そのものに思える。

  • 2019年9月26日号
    不便がチャンスになった

    今や東京と広島の間は新幹線や航空機でつながり、時間的距離は飛躍的に短くなったが、1949年に創業した三建産業(安佐南区)が耐火レンガなどを販売していた頃、東京は遠く、商取引などに不便があった。レンガを納入していた大手造船所の鍛造工場担当者から「レンガばかり売っとらんと、炉をやれよ」と思いがけないアドバイスを受ける。東京の大手工業炉メーカーは技術力があっても、今すぐ来てくれというわけにはいかない。そこで三建産業に目を付け、広島に根付く工業炉メーカーを育てようという深慮遠謀があったのだろう。炉の知識、技術などはさっぱりだったが、「何でも、誰でも最初は十分なことはできんけど、習うより慣れろだ」とハッパをかける。
     同社にとって、まさに不便さがビジネスチャンスになった。炉の補修作業などをやりながら、現場に耳を傾けながら、だんだんと炉に接近していった。万代峻会長は、
    「大手の工業炉メーカーは先進国の米国メーカーから技術供与を受け、速やかに技術を手にすることができたが、わが社は何もない、ゼロからこつこつと始めた。今にしてそれがよかったと思う。火の玉となり、勇気と知恵だけで立ち向かっていった先輩らの歴史がある。広島にマツダ、三菱重工、日本製鋼所などを中核とするものづくり産業が集積していたことに加え、東京から遠く離れていたことが、わが社の創業、成長期で大いにチャンスをもたらした」
     同社が誇りとする「勇気と知恵」は、長年の歳月にこんこんと育まれたのだろう。
     2019年3月期決算は売り上げ約93億円、経常利益約5億円。従業員約160人。グループ売り上げは約136億円。今期は148億円を見込む。いち早く海外展開し、技術供与や提携によって米国、欧州に進出してきたが、1997年、初めて自ら投資し、中国に合弁会社「瀋陽東大三建工業炉製造有限公司」を設立。20周年の2017年に過去最高の受注と利益を達成し、自動車アルミ鋳造分野の工業炉では中国国内トップシェアという。その後インドネシア、タイへ現地会社を展開し、全売り上げの半分を自動車関連で占める。万代会長は、
    「自動車産業は参入企業も多く、いつ足元をすくわれるかわからない。過去の成功に甘んじることなく、自己否定しながら、チャレンジすることが必要だ。そのチャレンジもプロダクトアウトではなく、顧客に寄り添ったマーケットインでなければならない」
     東京電力と共同で、アルミ溶解炉のさらなる省エネ化と二酸化炭素排出量の大幅削減を目指すオール電化型浸漬(しんし)溶解炉「S−MIC」の開発に取り組み、世界的にも前例のない、化石燃料を使わない電気浸漬ヒーターからの直接伝導伝熱方式の画期的な方法を完成した。10年に初号機を日立産機システムに納入した矢先、東日本大震災が発生し、東京電力との共同プロジェクトがストップ。しかし環境対策が重視される昨今、将来的に溶解炉の全てが電気になると予想されており、S−MICの改良を進めている。創業来、先輩から後輩へ受け継がれてきたチャレンジ精神、ものづくりの魂が脈打つ、その原点となった同社「勇気の12講」などについて、次号で。

  • 2019年9月19日号
    ものづくりの魂

    世界に先駆け、先進的なアルミ関連設備を実用化し、自動車部品生産用のアルミ溶解設備分野で国内トップシェアを誇る。工業炉メーカーの三建産業(安佐南区)は世界初の技術とか、日本一の製品とか、かずかずの技術革新を成し遂げながら困難を克服し、8月に70周年を迎えた。国内の自動車・部品メーカーへアルミ関連設備を納入し、大型アルミ溶解炉のシェアは50%以上。街を走る車の半分は同社の技術、製品が関わる。
     今日までの歩みは戦後の産業史とも重なる。大量生産、省力化、省資源などと産業の主題が移り、それぞれの時代が求める技術革新へ敢然と挑んだ。苦難と戦った体験を幾層に重ねてオンリーワン技術をつかみ取り、業界に確たる地歩を築く。自動車や造船などのものづくり産業が集積する広島に拠点を構えた幸運もあったろうが、何より「勇気と知恵」で立ち向かった人間ドラマといえよう。
     三井物産を退職後、1949年に創業者の万代淑郎さんと、三浦四郎さんの二人が豊田郡安芸津町(現東広島市)に三建産業を設立。公共建物などに多く使われる赤レンガを販売していた。これが源流となり、日本で初めてセラミックファイバーを使った大型焼鈍炉、国内市場を席巻したタワー型急速アルミ溶解炉「サンケンメルタワー」のほか、アルミ鋳造の機械加工時に発生する切粉を再利用するために開発した「キリコメルター」などへ拡大発展していく流れにつながるとは、誰もが想像さえできなかった。
     レンガを納入していた三菱造船広島造船所(現三菱重工広島製作所)の鋳造工場担当者から「炉をやれよ」というアドバイスが発端になった。炉の技術、知識などない。数少ない専門書を読みあさり、徐々に工業炉に接近。重い扉をこじ開けた。その後も得意先との二人三脚。とても無理だと思える注文にひるむことなく、ときには厳しいクレーム対応に鍛えられながら革新的技術を身に付けていった。
     主力のアルミ溶解炉は車の軽量化、工場のFA化ニーズに沿って、どんどん注文が入った。当時のアルミ素材は鍋や釜など家庭用品に使われるものが多く、車の工業部品として大量に使用することは想定されていなかった。反射炉しかなく、大量生産に向かないと誰もが考えていた。しかし車の燃費削減に向けた開発競争が始まり、軽量化を追求する国内メーカーはこれまで鉄で製造していたエンジン部品やホイールなどにアルミ素材を使い始め、アルミ溶解炉や保持炉、熱処理炉の需要が一気に拡大。そんな時代に開発されたメルタワーは「世界初の挑戦」を見事に実現し、飛躍的に生産効率を高めた。車が軽いと燃費が良くなるという時代の要請だった。
     FA化のニーズに応えてアルミ原材料の連続自動投入用の搬送機械も設計するようになり、材料投入から溶湯まで一元的にできるようにした。メルタワーの評判は瞬く間に世界へ広がり韓国、イギリス、スペイン、ドイツ、アメリカなどから技術供与、提携のオファーが次々舞い込んだ。
     創業来、顧客と二人三脚で問題を解決し、技術開発に挑戦する姿勢を貫いてきた。当時、首都圏と広島の間が時間的に遠く離れていたことも幸いしたと言う。−次号へ。

  • 2019年9月12日号
    本格的な移民社会へ

    深刻な人手不足を解消するため、外国人材の受け入れ拡大を目的にした「改正出入国管理法」が4月から施行。政府は介護や建設、外食業、ビルクリーニング、宿泊などの14分野を対象に、5年間で最大約34万5000人の受け入れを見込んでいる。新在留資格「特定技能」を盛り込み、これまで認められていなかった単純労働に門戸を開放。日本で働いている技能実習生も多く移行する見通しという。
     自動車や造船など、ものづくり産業が集積する広島県。外国人技能実習の在留資格者は1万5315人(2018年12月末)に上り、愛知、埼玉に次いで全国3番目に多い。そもそもは「日本で技能を習得して母国で生かす」という国際貢献を目的にした技能実習制度だが、ものづくり産業に携わる、特に中小企業にとって欠かすことができない支えとなっている。
     中国地方の自動車部品メーカーなどの製造業向けを中心に、累計5000人の受け入れ実績を持つ外国人技能実習生監理団体の西海協(さいかいきょう)(西日本海外業務支援(協)、安佐南区伴南)の池田純爾理事長は、
    「改正法によって外国人を受入れる人材関連サービスの間口は確実に広がってくる。一方で、人材派遣会社の新規参入などに伴い競争激化は必至。国内だけではなく、外国人材の受け入れに積極的な台湾や韓国など諸外国との競争もある。これからもなお外国人から選ばれる日本であり続けるために、官民が一体となって外国人が安心して働き暮らせる社会インフラを整備していく必要がある。組合設立時から掲げる『一流を目指す』という理念をさらに徹底。人間の尊厳を大切に、より誠実な業務を遂行していく。この基本方針に変わりはない。組合を取り巻く環境も含め、組合の存在価値を高める絶好のチャンス。何よりも働く誇りの持てる職場とすることが、一番の目標です」
     と意欲をにじます。  互いに敬意を持つ
     02年10月に組合を設立。翌年11月、第一期生として中国から女性10人を受け入れて事業を本格スタート。池田理事長は組合立ち上げから業務に携わってきた。
    「外見は日本人と同じながら生活習慣以上に価値観の違いに驚いた。日本人同士であれば、あうんの呼吸で進むことも、主義主張が強く一筋縄ではいかない。常識も異なる場合がありトラブルになることも。来日する外国人の方に日本の文化や習慣、そして日本人の価値観などを理解していただく。私たち日本人も彼らの文化を知り、互いに敬意を持つことが、大切だと実感している」
     組合員は自動車関連や機械器具製造、金属加工、造船など115社に広がり、実習生の受け入れ先は現在74社を数える。むやみに拡大路線を進めることなく、基本方針に沿って着実に、送り出し機関〜技能実習生〜受け入れ先企業の間をつないできた。その堅実な歩みが信頼を醸成し、年々実績を押し上げてきた原動力になったのだろう。
     少子高齢化、人口減により日本の生産年齢人口は減少の一途。外国人材の活用によって人手不足の解消が期待される一方、日本が経験したことのない本格的な移民社会へ突入する。

  • 2019年9月5日号
    感動を呼ぶ

    当初、大方の関係者は半信半疑、むしろ悲観的だった。海や山のほか、何にもないところへ修学旅行で訪れるはずがない。だが、その常識を打ち破り、広島、山口県での体験型修学旅行の受け入れが2019年度で110校・1万6094人(5月現在、予約含む)を予定。過去最高となる見通しだ。
     長年にわたる粘り強い誘致活動と地域受け入れ体制の取り組みが重なり、当初予想を上回る数字をはじき出した。広島商工会議所が旗を振り、00年7月に両県内の9市6町の行政や商議所、商工会などでつくる広島湾ベイエリア・海生都市圏研究協議会(事務局・広島商議所)が発足。観光ルート開発などを経て07年から体験型修学旅行の誘致活動を始めた。初年度受け入れ人数はわずか35人。その後も商議所、自治体職員らが根気よく首都圏や中部、関西の旅行会社などへ営業展開。ようやく数年後から手応えがあり、西日本豪雨の影響もあってか18年度に前年割れとなったが、ぐんぐん受け入れ人数を伸ばしてきた。
     8月下旬に周防大島や大崎上島町、江田島市など受け入れ地の7地域協議会の関係者ら総勢21人で滞在型観光の先進地、長崎県松浦市を視察。「松浦党ほんなもん体験」を推進する(社)まつうら党交流公社と13地区が広域連携組織をつくり、年間3万人を受け入れる。研究協議会の運営委員長を務める中村成朗さん(中村角会長)は、
    「松浦の成功要因は、地元の熱意に尽きると思う。ありのままの自然の力、漁業などを営む人たちのたくましさが共鳴し、都会では体験できない感動を呼ぶのでしょう。大阪から修学旅行で訪れた生徒が卒業後漁師の後継ぎになり、地元で結婚し暮らしている事例も聞いた。一方で、当協議会の大崎上島からうれしい報告が届いた。不登校だった中学生が今春、島を訪れたのを機に登校してくれるようになったと保護者から連絡があったという。魚の三枚おろしを自宅の台所で披露し、保護者を驚かす子も少なくない。1泊2日の短い期間だが、家庭的で和やかな生活に触れ、自然に心が開くのではないでしょうか。別れるときには互いの目に光るものがあります。私も最近は涙もろく、おかげで感動をもらっています」
     長崎県への視察は2回目になる。最初は体験型修学旅行の誘致活動を始める前の、04年に平戸市を視察し、さまざまな示唆を受けたという。
     こうした事前準備に加え、関係者の冷たい態度などにひるむことなく、粘り強く、毎年こつこつと活動を継続してきた成果といえよう。コーディネート機能やインストラクター研修、旅行会社へのプロモーション、安全対策、地域協議会などによるきめこまかな受け入れ体制を構築。生徒や先生から保護者へと支持が広がり、定番化した学校があるほか、先生の転勤で新たに始める学校も増えてきた。その一方で、民泊家庭の高齢化などにより、受け入れ家庭の確保が大きな課題に。受け入れ地域を広げ、さらにネットワーク機能を効果的に運用する方策などを探る。
    「今の仕組みや受け入れ体制を充実させることはあっても品質を落としてはならない。数字だけで計れない、感動を大切に運用していきたい」

  • 2019年8月29日号
    池田さんでどうだろうか

    衆目の一致するところだったのだろう。広島商工会議所の次期会頭候補として広島銀行の池田晃治会長(65)の名が一番に上がり、正式には11月1日に開く臨時議員総会で選任される運びとなった。この流れは、広島経済同友会の代表幹事人事に始まり、舞台を移して商議所の会頭選考委員会では全員一致、池田氏を推す線ですんなりと意見がまとまったようだ。
     広島ガス出身者で、3期9年目の深山英樹会頭は10月で任期を満了。一方で、広島経済同友会では代表幹事に広島ガスの田村興造会長が4月に就任し、代表幹事を2期4年務めた池田氏が任期満了。両経済団体のトップを一つの会社から出すのは負担が大きく、これまでは避けてきた。しかし今回は4〜10月の間、広島ガス出身者で両団体トップを占めることになったが、あらかじめ7カ月限りの例外とし、同友会代表幹事の人事が内定した昨年末ころ、すでに深山会頭は、今期限りで退任する意向を固めていたのだろう。サッカースタジアム建設や商議所ビル移転・建て替えなどの課題に一定の道筋が付いたことも大きい。
     5月に開いた最初の会頭選考委員会で真っ先に「池田さんでどうだろうか」の声が上がり、速やかに広島銀行に打診したところ、行内調整などを経て「臨時議員総会で選出されれば受ける」という回答を取り付けた。深山会頭にも次の会頭に池田氏がふさわしいという思いがあったのではなかろうか。
     これまで会頭は、マツダや広島銀行、中国電力など地元有力企業の財界グループ「二葉会」メンバーから選ばれてきた。戦後の歴代会頭・出身企業は、(敬称略)
     ① 鈴川貫一(中国電力)② 中村藤太郎(広島機帆船運送)③伊藤豊(広島銀行)④藤田定市(フジタ)⑤白井市郎(中国醸造)⑥森本亨(広島相互銀行=現もみじ銀行)⑦伊藤信之(広島電鉄)⑧河村郷四(マツダ)⑨山本正房(中国新聞社)⑩村田可朗(中電工)⑪山田克彦(広島銀行)⑫山内敇靖(広島ガス)⑬中野重美(中電工)⑭山崎芳樹(マツダ)⑮橋口収(広島銀行)⑯池内浩一(中電工)⑰宇田誠(広島銀行)⑱大田哲哉(広島電鉄)
     そして深山会頭。池田氏が選任されると広島銀行からは宇田氏以来12年ぶり、5人目となる。
     かつては二葉会が、会頭人事についても調整役を果たした。あらかじめ二葉会で意見調整して候補者を絞り、議員総会で選任−が慣例だった。しかし79年の会頭改選は混迷。議員改選後の総会でも決まらず、ようやく時間切れ寸前になって山内会頭の再選をまとめた。この以降、二葉会が会頭人事に影響力を行使することは無くなった。
     その後は中電工、マツダ、広島銀行、広島電鉄、広島ガスの5社から会頭を輩出。今後もこうしたケースが続くように思える。あらかじめ二葉会で意見調整する、かつての慣習に戻してもよいのではないか。そんな声も耳にした。
     池田氏は同友会などでの活動をはじめ、金融業務を通じて幅広く地元経済に精通。これからの広島まちづくりで県知事、市長と共に先導役を果たす会頭の責務は重く、その手腕が期待される。

  • 2019年8月22日号
    気の先へ

    長期予報によると、この冬は寒気の影響を受け、厳しい寒さとなりそうだ。さて、広島経済に暖かい風が吹くだろうか。広島銀行系のひろぎん経済研究所(中区紙屋町)の水谷泰之理事長は、
    「コロナの新たな変異株の出現やワクチン効果低減などのリスク要因がある中で引き締めたり、緩めたりしながら経済は回復すると見ている。しかし、業種によって大きく異なるし、タイミングは予測困難。コロナ出現当初を振り返ると、1月は中国から部品が来ない、2月は国内の工場が動かない、3月になると海外で売れない、などと感染が広がる地域によって全く違う影響が短期間に現れた。その後ワクチン接種で欧米が回復すると急激な需要回復に生産や物流が追いつかない、ワクチンが遅れた東南アジアからの供給が止まるといったように経済の流れは複雑。サプライチェーンを読み解くことはコロナの影響だけでなく、いまから世界経済と自社のつながりを理解する上で極めて重要ではなかろうか」 
     急激な変化にどう対応すれば良いのか。飲食や旅行などが急回復したときに人手は大丈夫か、殺到する注文をこなせるのか、そのとき慌てふためくようでは後手に回る。予測困難だからこそ、備えに万全を期すという経営の力量が問われることにもなる。

  • 2019年8月8日号
    ぶれない

    誰しも目的を成し遂げるために目標を立てる。しかし、やみくもに契約件数や売上高などの数値目標を追っ掛け、翻弄されると、何のためかという本来の目的を見失うことがある。だが、経営危機に陥り、従業員が散り散り去っていく事態になれば、創業の目的、経営者の志はこなごなに砕ける。こうした経営破綻の例は枚挙にいとまがない。
     目的と目標がぴたりと重なり、経営の好循環を創り出すことが、経営者の責務なのだろう。2年続けて日本一、全国146信組の頂点に立った広島市信用組合(中区袋町)の山本明弘理事長は、
    「ひたすら足で稼ぐ現場主義を貫いてきた。そうした毎日の経験を重ねて取引先目線(顧客満足)と職員目線(従業員満足)の考えが自然に身に付いたと思う。融資先がつまずくこともある。そのとき毅然として再建計画を提案し、共に前へ進めていくことのできる信頼関係が、全ての土台になる。わが都合だけの営業で信頼を得ることなどできない。常に相手の立場に立って考える。地域、取引先に役立つという金融機関の役割、使命を逸脱した営業は限界があり、やがて取引先からも見放されて信頼関係が破綻することになる。当たり前のことを当たり前にやって、嘘やごまかしがない。基本を守る。大きな声であいさつする。そうすれば取引先は自然と応援してくれる。それが預金集めと融資に徹するシンプル経営の原点と肝に銘じている」
     同信組が大事にしている一枚の表がある。この10年、段階的に、体系的に進めてきた人事制度の見直しで、▷役職定年制度、▷定年延長、▷女性の登用、▷給与の見直し、▷勤務時間管理などの項目ごとに経緯をまとめており、職員の待遇改善へ向けた長期的な取り組みや、その思いが伝わってくる。例えば、
    ・初任給が地場金融機関で一番高い。大卒21万1000円(外勤手当+2万円)
    ・各種手当から基本給への振替(計7万3000円)で退職金のベースが増加し、永年勤続する方が倍率アップする制度を採用。
    ・上位職への早期昇格。店長35人の平均年齢は約44歳で、7月には30歳の最年少支店長が誕生。
    ・出産祝金制度や出産・育児休暇の充実。この5年間で育児休暇からの復職率は100%。
    ・金融機関の本来業務特化のビジネスモデルで、投資信託や保険の販売をしない。
    ・役職定年廃止や定年延長(65歳)を先駆けて実施。
    ・年齢、性別、学歴を問わない上位職への登用。
     この一連の取り組みが予想以上の効果を挙げた。「頑張れば報われる」という士気の高揚。定年延長で金融業務に経験豊かな人材の活用。新卒採用で応募者が増え、優秀な人材の確保。何より職場に活気がみなぎり、業績を押し上げる好循環を見事ものにした。
     ぶれない、シンプル経営のすごさだろう。