広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。
1832年創業の老舗で、石油製品販売の宮田油業(中区猫屋町)は、1月16日付で宮田典治社長らの保有していた自社株を売却し、同業の大成石油(南区段原日出)グループに入った。
同社は、2019年7月期決算で32期連続黒字(経常利益)を見込むなど、キャッシュフロー経営を重視した健全な財務内容を堅持。懸命に頑張っていたが、ここ数年は後継者不足などを理由に、M&Aの相手先を探していたという。当面は、現従業員体制で8給油所の運営を続ける。
25年前、95人を擁した従業員数を60人に減らした。口銭(販売手数料)が3分の1に圧縮。やむにやまれず、リストラを実施した苦い経験がある。しかし、これが経営を復興させる出発点にもなった。
猫屋町の本社には、黒光りする五つ玉のそろばんと、時代を物語る木製看板が残る。その看板を背負い、創業家の長女に婿入りした宮田一雄氏は、高度経済成長期の波に乗り拡大路線を走る。ピークには市近郊に13給油所を展開していたが、一方で赤字も膨らんでいた。出光興産の社員で当時、宮田油業を担当していた下野洋介さんは自ら再建計画をまとめ、経営立て直しに同社へ乗り込んだ。
「計画を実行すべく勇んでいたが3、4カ月で計画書を破り捨て、新たな内容で作り直した。立ち位置が変われば視点も変わる。元売り視点の再建計画は役に立たないことがはっきりした」
その後、出光を退職し、同社取締役−専務として経営を引っ張ることに。下野さんは出光時代に創業者の出光佐三から学んだ、特有の経営哲学を胸にたたき込む。若手を集めた恒例の食事会の席で佐三から直接聞いた話は、その後の糧、指針になった。
「当時の出光にタイムレコーダーはなく、たった2ページの社是があるだけ。自らの良心に自問自答しながら自らが判断し、自らが実行する。人に教えられたことは自分のものにならない。誰しも性善と性悪が半々にある。性悪が表に出ないように互いが注意することが肝要という佐三語録。全ては人が中心。人間尊重の考え方に貫かれており、良心を鍛えることが最優先された」
こうした企業風土で、特約店の経営改善のため、若手担当者の判断で、大幅な値引きが事後承認されたこともあるという。猛烈に働くことが当たり前。元旦以外、家で寝た日はないという猛者も珍しくはなかった。
時代が移り、企業規模が大きくなればなるほど就業規則は分厚くなり、規定やマニュアルは精密になる。しかし、そうした社内ルールなどに頼り、一体なぜなのか、どうすればよいだろうか・・・などと考えることをしなくなった人も多いのではなかろうか。良心を鍛えることがなおざりになってはいないだろうか。
下野さんは燃料油に依存した経営から脱却すべく、さまざまな手を打った。
「早めの予測、早めの対策、早めの実行こそ肝要。そのためにはリスクを恐れず、まずトライする。トライ&エラーを繰り返しながらも、早めに手を打てばエラーを補うことができ、さらに次の備えに生かすことができる」
考えに考え抜いてきた自分自身の体験に裏打ちされているのだろう。−次号に続く。
駅弁。旅情とも重なり、それぞれの人にそれぞれの思い出があるのではなかろうか。一方で、その市場は急速に縮小し、廃業、撤退する駅弁業者が後を絶たないという。
1901年創業の老舗、広島駅弁当(東区矢賀)の中島和雄社長は、
「駅弁には、特産品や郷土料理などの食文化がいっぱい詰まっている。簡単に途絶えさせてはならない」
と思いを込める。かつては鉄道の発達とともに駅弁業者が増え、全国組合の加盟業者は最盛期には400社に上った。しかし鉄道の高速化や中・外食産業の隆盛などにより、現在は4分の1以下の約90社にまで減少。創業100年を超える老舗も少なくないが、売れ行きが鈍り、経営者の高齢化などから次々と廃業に追い込まれた。
このまま手をこまねいているわけにはいかない。地域に根差す駅弁の伝統を守ろうと、事業者のレシピやのれんの継承に乗り出した。同社は2015年に初めて小郡駅弁当(山口県)のレシピを継承し、現在は本社工場で製造した弁当を小郡駅で販売する。18年には福岡市の老舗「博多寿軒」ののれんを継ぎ、新会社「博多寿改良軒」を設立。盛り付けなどは刷新したが、パッケージは長年親しまれた当時のデザインを生かした。
同社は学校、病院向け給食や、配食サービスに事業を広げ、グループ化を促進。「食を通じた社会課題の解決と地域社会への貢献」を旗印に、ビジネスを展開する。近年は広島大学病院などと共同で高齢者の栄養状態に応じたメニューの開発など、ヘルスケア事業に参入。健康に市民が生活することで社会保障費の削減にも寄与できるという。祖業の駅弁当事業は約15億円にとどまるが、企業や病院などへ配食するフードサービス事業などがけん引し、18年の売上高はグループで約96億円と堅調だ。
「新事業で社会に貢献することはもちろん、事業を広げ、経営体制を強化することが、次世代に駅弁の伝統を残すことにつながる」
全国初という取り組みにも挑む。グループの広島アグリフードサービス(佐伯区)は、設備投資から運営まで全て民設民営の学校給食センターを手掛ける。現在は佐伯区五日市地区の18の小中学校に約9000食を提供し、食材の4割を地域産で調達。19年春には広島駅弁当から移管した配食事業を本格化し、公営施設では認められなかった給食事業外の時間を有効活用する計画だ。
子どもたちの食の安全を守り、毎日安定した給食を提供するには徹底した衛生管理と効率的な作業の両立が欠かせない。最新鋭の設備に加え、長年培った駅弁製造のノウハウを生かした。例えば、色分けした床を見れば熱処理が行われるかが一目で分かる。フロアの中央に大釜を設置することで2人の作業員が効率的に混ぜ込むことができ、食材をより味わい深く仕上げる。保護者を交えた新メニューの試食会も開き、独自献立の開発にも余念がない。
「おかずはもちろんですが、ほくほくに炊いた白米を味わってほしい。弁当も給食も、ご飯がおいしくなくちゃ、はじまらない」(事業統括者)
老舗の駅弁当企業の誇りが垣間見える。
マツダが1989年2月に発表した小型・軽量のスポーツカー、初代ロードスターから3度のモデルチェンジを経て、30周年を迎えた。世界中に100万台以上を販売し、根強い人気がある。
90年代に入り、マツダはフォード傘下で波瀾(はらん)万丈の経営をたどる。7年間に4人のフォード出身者が社長に就任。この間、フォードの徹底した「経営革新」と、マツダの誇りをかけた「技術革新」が重なり、その後の、経営復活の原動力となった。ロードスター開発段階で、当時の山本健一社長が「この車は文化の香りがする」と支持し、量産化へ踏み切るきっかけになったという。経営をめぐる大波にもまれながら、車づくりの魂を注ぎ込まれ、走り続けるロードスターは、その都度、マツダ社員を大いに鼓舞したのではなかろうか。
最良のライトウエイトスポーツカーを目指し開発された初代は8年間で世界約43万台を販売。予想を大きく上回り、社内外を驚かせた。他メーカーがライトウエイトスポーツカー製造から撤退していく中、2016年に累計生産100万台を達成した。初代から商品企画やプログラム推進に携わる山口宗則・商品本部プロジェクトマネージャーは、
「流鏑馬(やぶさめ)のような人馬一体の感覚を追求してきた。シリーズの設計コンセプトを明確にし、オープンツーシターで軽量なボディをはじめ、前後の重量配分50対50、ヨー慣性モーメントの低減などを徹底。この枠組みの中で、歴代のペアシャシーを比べると、エンジンの位置やホイールサイズなどを次第に適正化し、技術の進化を遂げている。初代のカタログで『だれもが、しあわせになる。』というメッセージを発信。この原点に立ち返り、ユーザー期待を超える車づくりに挑戦したい」
市場規模は他のジャンルに比べてはるかに小さい。車を小さく造り、さらに軽く造ることはもっと難しいという。なぜ、ロードスターを世に出し続けられたのか。
独特の混流生産が支えてきた。初代から4代目まで宇品第一工場の一貫ラインでコンピューター制御され、車形の異なる複数車種を同時にラインに流す。一つの工場で他の車種も製造できる体制をいち早く敷いた。
「小型車の部品を他の車種と共通化せず、新規設計するのは当社ぐらい。ブランドアイコンとして、ロードスターはもはや〝お客さまのもの〟になっていると実感している。造り続ける使命がある」
ライトウエイトスポーツカーの魅力を広めようと、ロードスター(MX‐5)を使う世界大会「グローバルMX‐5カップ 」の協賛など、レースやモーターショーをサポート。ファンイベントも世界各地で多く開かれる。2月7〜18日のシカゴオートショーでは30年前の展示内容をオマージュし、赤、白、青の車体と、オレンジ色の周年記念車を披露。ホイールやシート、ダンパーなどに特別仕様を施し、朝焼けのような特別色は「レーシングオレンジ」と名付けた。初代から続く走りの躍動感やワクワク感を込め、脈々とマツダイズムで貫く。
2月14日の聖バレンタインデー。オイルショック後の1970年代、不況にあえぐ小売業界が仕掛け、女性から男性にチョコレートを贈る日本特有の習慣が定着。その後はチョコレートだけでなく、さまざまな男性向け商品にまで広がり、消費を刺激している。火付け役はしめたものだろう。物が売れにくい時代に突入した今こそ、〝コト〟を仕掛けた需要掘り起こしのアイデアが、決め手という。
地元ディーラーの広島マツダは車ファン拡大へ、モータースポーツを切り口に新たな挑戦を仕掛ける。2017年結成のチーム「HM RACERS」が、今年からスーパー耐久レース1500cc以下のクラスに参戦。同じクラスのロードスターではなく、あえて多くの人に身近な小型車デミオを起用。レースは市販の部品が多く使われ、一般の人も仕様をまねしやすい。プロの走りを見て、同じ車が欲しくなる効果を狙う。松田哲也会長兼CEOは、
「デミオは販売台数が多く、裾野が広い。マツダ車で走る魅力をより多くの人に伝えられる。レーサーの能力はもちろん、整備やピット作業を含めたチームの総力が勝敗を決める。整備スタッフを多く抱えるマツダ車トップディーラーの腕の見せどころだ」
モータースポーツ振興の社会貢献を掲げる一方、新車販売効果に加え、他チームへパーツを供給する新しいビジネスの方策を検討するなど、抜け目はない。
スーパー耐久は3月23、24日に三重県の鈴鹿サーキットで開幕。中国地方では11月9、10日に最終第6戦が岡山国際サーキットである。22歳の若さでエースレーサーを務める吉田綜一郎さんは、
「小型車でも十分戦えるマツダ車特有の人馬一体の性能に驚く。チームと共に世界へ羽ばたける一年にしたい」
18年の移籍前、輝かしい戦歴を持つ。オーナーズカップのシリーズチャンピオンを獲得し、スーパー耐久で優勝を経験。師匠の佐々木孝太さん(46)はスーパー耐久の最高峰クラス優勝など多くの実績がある。松田会長は、
「17年に初めてマツダのMX‐5(ロードスター)を使う同一仕様車の世界大会の国内シリーズ『グローバルMX‐5カップ ジャパン』に参戦した。マツダ車への深い知識があり、簡単に勝てるだろうと高をくくっていたが、総合5位に沈んだ。18年は吉田選手の獲得など会社を挙げて体制を整え、第5戦で初優勝。総合2位にランクインした。予算の都合でチーム結成から2年でやめる予定だったが、熱戦を見ていると予定などどうでもよくなるほど、思いが大きくなった。いろいろな人を巻き込み、情報発信したい。チームが拠点を置く輸入車販売店『ロータス広島』でのパブリックビューイングは大いに盛り上がった。今年度のレースクイーン募集も始めた」
スーパー耐久に舞台を移すことにより、スタッフの整備技術向上も図る。1レースが最大24時間と長く、ピット作業など含めスタッフは総勢10人以上。市販に近いカスタマイズで販売店にフィードバックしやすい。情熱的な戦いは人の心を打つ。業界で整備スタッフが不足する中、チーム一丸の勇姿に憧れ、子どもらが整備士を志す呼び水になれば、コトの効果は大きい。
今はともかく、広島がこれから先、他都市と競って勝てるだろうか。到底、東京とは太刀打ちできないが、観光庁の「グローバルMⅠCE(マイス)都市」推進の波に乗り、腕に覚えのある地方の有力都市も虎視眈々(たんたん)と大規模な展示会、国際会議の誘致をもくろむ。
例えば、展示会場面積7万平方メートル、来場者数3万7000人、開催期間3日間の国際見本市で、広島市への経済波及効果は約65億円に上るという。これは広島商工会議所のグローバルMⅠCE検討特別委員会(廣田亨委員長)が観光庁の「MⅠCE開催による経済波及効果測定のための簡易測定モデル」で算出。こうした見本市が年に10本、20本なら・・・と勘定したくなるが、残念ながら今、広島にその受け入れ施設はない。
地域産業振興の重要性が増す中、大規模な展示会、イベントを誘致することにより、国内外から多くのバイヤー、消費者、技術者らが集まり、交流できる価値は大きい。ビジネス機会やイノベーションの創出、さらに都市の競争力・ブランド力の向上も見込めるとしている。
昨年12月に商工会議所は県と市へ、「MⅠCEのあり方」を提言。MⅠCE振興のレベルアップを図るために、①5000人を超える規模の会議・学会・イベントに対応できる複合施設のほか、②大規模な展示会・イベントが開催できる展示施設の整備が必要、③産学官の連携によるMⅠCEの誘致・主催に向けた活動強化・体制拡充が求められるとし、ハード整備やソフト強化の構想を描く。
候補地の選定は実現可能性を優先。一定の用地があり、周辺でにぎわい機能整備が進められている西区の「商工センター地区」と西飛行場跡地を合わせた一帯を「広島市西部湾岸地域」に位置付け、ハード整備の方向性として、
▷商工センター地区は、2000〜3000人超収容可能な会議場と3000〜5000平方メートルの展示場、または1万平方メートル規模の多目的ホール(分割可能構造・可動席システムなど主催者ニーズにフレキシブルに対応できる機能)を整備。
▷西飛行場跡地と合わせた西部湾岸地域では、国内外をターゲットとした10万平方メートル規模超の大規模展示会やイベントが開催できる国際水準の展示施設の整備−など。
一方で、市中心部のMⅠCE関連施設の機能・連携強化では、イベントなどの開催機能、神楽など広島の観光・文化情報発信機能の強化に向けたオープンスペースの整備や各施設をつなぐ動線の整備などに触れる。さらに西部湾岸地域と市中心部を結ぶ軌道系交通機関の整備など、総合的なまちづくりを進めるべきとしている。
なかなか大掛かりである。 これに県、市がどう応えるのか。スケジュールなどは示されていないが、ハコはできても、そこで展示会などが開かれなければ無用の長物。施設整備とともにイベントなどの誘致・主催体制の強化を両輪で進めていくことが、絶対条件になる。ドイツのハノーバー・フランクフルトの展示運営団体は1000人超の従業員を有し、主催事業が売り上げの中心という。立ち遅れてはいるが、国際平和都市を目指す広島にチャンスはある。みすみす逃す手はない。
やっぱり東京はすごい。2017年に国内で開かれた展示会の半分以上の983件が東京ビッグサイトで開催されており、5万平方メートル以上の大型展示会では65%以上を占め、次いで幕張メッセが20%以上。首都圏にある2施設を合わせて全体の85%以上という圧倒的な強さを誇る。
国際会議の開催件数ランキング(16年・観光局統計)では、東京23区が571件で群を抜くが、続いて福岡市383、京都市277、神戸市260、名古屋市203などの順。広島市は全国12位だが、その開催件数は76件で他の政令市に比べて桁違いに少なく、福岡の5分の1にとどまる。2000人規模の国際会議は県内で3件だけだった。
とりわけ大規模な国際会議場や展示会場の整備が大きく立ち遅れており、1987年に広島港出島地区へメッセコンベンション施設を建設する構想が浮上したものの、いまだ実現のめどさえ立っていない。また、5000人超を収容できるイベントホールは広島にない。こうした広島の弱みに着眼したのが、西区商工センターの流通団地に卸売業が集積する広島総合卸センター。団地中心部の「広島サンプラザ」と「広島市中小企業会館・総合展示館」の両施設と機能を一カ所に統合する、西日本最大級のメセコン施設誘致・整備を中心とした再開発構想を描く。
2017年に市へ、同構想をコアとする「まちづくり提案」を提出。市議会定例会で市のMⅠCE(会議・研修、報奨旅行、国際会議・展示会・見本市やイベント)推進に関する質問に、松井市長は、
「2月に広島総合卸センター地区の活性化策として提案のあったMⅠCE施設整備については、グローバルMⅠCE都市への整備ということも視野に入れながら検討する」と答弁。にぎわい施設整備構想のある、広島中央卸売市場建て替え事業と相乗効果の構図を描きながら、市との協議を進めてきた。
構想のあらましは、最大1万1000平方メートルの展示面積を持つメッセコンベンションセンターを整備し、交流人口の大幅な増加を見込む。付属して大ホール、レセプションホール、ホテル設置など。
決して符節を合わせたわけではないだろうが、これが布石になった。広島商工会議所は昨年12月21日、国際会議や見本市などを開ける施設整備の提言をまとめ、県と市へ提出。候補地(公有地)に、①商工センター地区、②出島メセコン用地、③西飛行場跡地新たな産業(にぎわい)ゾーンの3カ所を挙げるが、出島用地は周辺環境や港湾物流への配慮が必要などから難しいと判断。残る2カ所を「広島市西部湾岸地域」として一体的に開発する方向を示す。
商工センター地区(52000平方メートル)は宿泊機能や市中心部とのアクセス等の課題はあるが、JR駅に近く、瀬戸内海を望み、宮島にも近い。流通企業の集積などポテンシャルは高い。何よりも「地域が前向き」としている。
西飛行場跡地は、利用計画はあるものの事業が確定していない。市中心部とのアクセスに課題はあるが、にぎわい・産業創出に向けた動きが進んでおり、近接する商工センター地区と一体的なまちづくりが期待できる。−誘致体制強化の課題など、次号で。
トランプの不確定。どんなカードが飛び出すやら世界中がはらはら、ひやひや。
がちんこの米中貿易摩擦をはじめ、激動する世界経済のあおりを食らえば、たちまち翻弄(ほんろう)される日本経済。景気のリスク要因が広がり、なかなか予測困難だろうが、県経済の今年の見通しについて、広島銀行系のひろぎん経済研究所の角倉博志理事長は、
「設備投資の堅調などを背景に、緩やかに回復するのではなかろうか。昨年の西日本豪雨からの復旧・復興なども景気の下支えとなる見込み。ただし、世界経済のスローダウンや米国の通商政策の影響などから、輸出の増加ペースが鈍化する見通しで、景気の回復テンポは緩やかなものにとどまる。県経済は、米国向けの自動車輸出の割合が全国よりも高く、今後の米国との通商政策の動向に、特に留意する必要がある」
▷輸出=マツダが2023年度で200万台の生産体制を発表する中、主力の自動車が底堅く推移する見込みであることから、引き続き増加基調で推移。ただし、海外経済のスローダウン等から全体では緩やかな回復にとどまる。
▷生産=昨年7月豪雨の影響で自動車や一般機械が大幅に落ち込んだが、挽回生産を背景に徐々に持ち直し、10月には災害前の水準に戻った。19年度生産活動は緩やかな増加基調が続くものの、輸出の鈍化等から昨年よりも増勢が鈍る見通し。
▷企業業績=日銀短観(18年12月調査)によると、18年度の県内企業の売上高は2年連続して前年度を上回る見通し。ただし、原材料費や物流費、人件費などによるコスト増加から、経常利益は前年を下回る見込み。また、中小企業は、10月の消費税率引き上げによる価格転嫁が進まない場合は収益の圧迫要因になる可能性が高い。
▷雇用・所得環境=県の有効求人倍率(18年11月)が全国2位の2.11倍となるなど、労働需給はひっ迫した状況が続いている。しかし、全国同様に名目賃金・実質賃金とも伸び悩んでおり、労働需給のひっ迫度合いが賃金上昇に十分には反映されていない状況がうかがえる。この要因として賃金水準の低い労働者増加による一人当たり賃金の伸び悩みが考えられるが、雇用者数の増加から、家計全体の収入は増加していると推察され、所得環境は改善傾向にあると考えられる−など。
ケーズデンキの新規出店(春)やエディオン広島本店建て替えオープン(初夏)ほか、夏以降に「ekie」第4期開業が予定されている。マツダの新型エンジン搭載の新型車発売の明るい話題も。
ゴルフに例えて、
5月ホールでは「富士山」(新天皇即位)を眺めながらのプレーとなるので、この絶好のロケーションを味方につけて気分的に乗っていくことが重要。また本コースでは「グリーン整備」(復旧・復興)が進められて状態が良くなってきているので、パットを確実に沈めることが大切。10月ホールには乗り越えるべき「大きな池」(消費税率引き上げ)があるほか、トランプさんの作った「バンカー」(保護主義)も設けられており、スコアメイクに苦労・・・。だが、難コースに挑み、油断なく慎重にプレーすれば好スコアにつながることが多いという。
今年は、広島商工会議所の会頭改選期。いつもなら夏ごろから次期会頭の選出をめぐる動きが始まるが、今回は年明け早々からいろいろと話題に上りそうだ。
3期9年目の深山英樹会頭(77)は10月で任期を満了する。一方で、広島経済同友会の次の代表幹事に、広島ガスの田村興造会長(67)を内定し、4月の総会で正式決定する。任期は2年。慣例として2期4年を務める。そうすると4〜9月の半年間、広島ガス出身の商議所会頭、同友会代表幹事の任期が重なることになる。両団体トップを一つの会社から出すのは負担が大きく、これまで避けてきた。しかし、半年限りならと広島ガスや関係者の了承を得て、次期代表幹事が内定した経緯がある。既に深山会頭は「今期をもって退く」意向を固めているという。
広商議会頭は、日本商工会議所の副会頭、中国地方商工会議所会頭も担う。近年は「ご三家」と呼ばれるマツダ、中国電力、広島銀行を軸に選考を進め、水面下で打診したものの不調に終わり、異例ともいえる3期9年に及ぶ深山体制が続いた。
目下、商議所ビル移転・建設計画のほか、遅々として進まない旧市民球場跡地の利活用、サッカー専用球場建設などの課題を抱え、行政と足並みをそろえて推進していく重責をどうこなしていくのか。ぐいぐいと広島を引っ張るリーダーの登場を願いたい。はや有力候補者に、4月で任期を満了する同友会の池田晃治代表幹事(広島銀行会長)らの名が上がるが、さて。
魔法の杖など存在しない
先週号に続き、マツダデザイン部門リーダー、常務執行役員の前田育男さんの著書「デザインが日本を変える」の第3章「ブランド論」のさわりを紹介したい。
一般ユーザーにいくつかのプロトタイプを見てもらい、意見をヒアリングして、それを商品に反映させるという過程に強い不満を抱いていた前田さんは「市場調査の廃止」を決断。こう述べている。
−数年後に発売されるモデルに何が求められるのか、はたして一般のユーザーにわかるのだろうか。そもそもユーザーの言う通りにデザインや中身を変更するということはメーカー側の意思やポリシーはゼロということにならないか。そんな受動的な姿勢でいる限り、マツダ独自のブランド価値はいつまで経っても確立できないと思っていた。
−マーケティングに携わる人たちはブランディングと呼ばれるイメージ戦略によってブランド価値を上げられると考えているようだが、私に言わせればそんな魔法の杖など存在しない。錬金術のようなやり方で誰もが憧れる理想の商標を手に入れることなど逆立ちしてもできはしない。ブランドにとって一番大事なものそれはまず作品である。最高のブランドを作ろうと思ったら、まず最高の作品を作るしかない。作品自体が個性的で世界のトップを張れるようなものであれば、おのずとブランド価値は付いてくる−
世界的に評価されるマツダの「魂動デザイン」誕生までに、経営戦略にまで切り込むデザイナーの矜持(きょうじ)があり、その挑戦は個性的だが、さまざまな企業経営に通底するアピールに満ちている。