広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。
史上最年少で8大タイトルのうち「棋聖」と「王位」の二冠を手にした藤井聡太棋士(18)の異次元の強さは、研究ツールにAI(人工知能)を活用し、なおAIの成長速度に匹敵する進化を遂げているという。AIに依存することなく、AIを使いこなす努力が源泉とも評される。
日本の産業界はどうか。総務省の試算で、AIやビッグデータを使いこなし、第4次産業革命に対応できる人材は約5万人不足しているとの指摘もある。データを使って意思決定するデータドリブン経営の重要性が高まり、世界規模の熾烈な競争に打ち勝つことができるAI人材の育成をどう進めていくのか。いま、まさに大きな命題を突きつけられている。
昨年、AI人材開発のプラットフォーム「ひろしまクエスト」を立ち上げた広島県は急速に進むデジタル・トランスフォーメーション(DX)を担う人材の輩出を急ぐ。コンペ形式の課題解決でAI人材を掘り起こし、必要とする企業との人材マッチングを促すとともに、県内居住者(学生は県出身なら県外可)を対象に今春、e−ラーニングコース(AI学習の実践型オンライン講座)を開設した。講座は現在、約300人が参加し、学生が半数を占める。プレ開講から多くの学生が自主参加する広島工業大学の濱崎利彦情報学部長は、
「AIにより・・・などと聞くと、あたかもできなかったことが何でもできるようにイメージされる。しかしAIを使いたくなるような難問であっても実際は既存の技術で解決可能なことが多くある。そのことを少なくとも工業系の学生ならいち早く理解しておくべきだ。データを正しく読む力、正しく認識する習慣を身に付けることがエンジニアリングの基本。データを読み解き、使いこなすためには、できるだけ若いときからしっかりとした統計学を学び、同時にAIを使ってその効果を理解できることが大事」
ゼミ生には、ウェブから収集できる情報だけでなく、自らの研究テーマで取得した生のデータを分析させ、機械学習あるいはAIを必要とする課題かどうかを見極めるトレーニングにも取り組む。同大は教育機関として全国で初めて、県に協力しているシグネイトの法人向けオンラインAI学習プログラム「シグネイト クエスト」の提供を受け、後期から全4学部の1年次約1000人に「AI・データサイエンス入門」を必修科目に導入する。AIのリテラシーの醸成やプログラミングスキルの習得を目指すとともに、それぞれの専門分野でAIを活用しながら、最も大切な思考力を育む狙いがある。
AIが奪う仕事、新たに創り出す仕事、両方に目を光らせながら経営全般の調和を図ることが企業トップの重要な仕事となりそうだ。
先行き不透明な経済環境に直面し、事業の方向性や計画の見直しを迫られている企業も多い。広島県中小企業家同友会が7月に実施した経営課題アンケート調査でも切実な経営者の悩みが浮かび上がってきた。70%以上の企業がデジタル化・IT化が進むと回答。その備えをいまから始めるほかない。AIを使いこなせる人材、経営者がいるか、企業存続の生命線になりそうだ。悩む暇もなし。
カープ中継のテレビ観戦ですっかり監督気分。大ピンチでの投手交代、一打逆転のチャンスで代打起用などと気がもめる。わが采配がズバリ当たれば、よっしゃ。リリーフが打ち込まれると、ご機嫌ななめ。なかなか思うように試合は運ばない。
左打者に左の投手、得点圏にランナーがいるとき、フルカウントで打者を追い詰めたときなどの、投手と打者の心理戦も繰り広げられる。どの球種を、どこに投げるのか。今年のプロ野球テレビ中継からAI捕手が画面に登場。過去16年間の約400万投球のデータを分析し、次の一球を要求する。実際のピッチングと異なることもあるが、さらに監督気分が刺激される。
テーマはプロ野球。広島県と東京のシグネイトが運営するオープン形式AI人材開発プラットホーム「ひろしまクエスト」の第1回データ分析コンペティションの課題は、2017年の全プロ野球公式戦の全投手の25万投球データを基に、18年と19年の球種とコースを予測する。4月28日〜7月28日の参加期間に総投稿件数は1万479件に上り、オンラインで全国から2038人が参加した。さすがプロ野球で、想定をはるかに超える関心を集めた。
球種に1291人・7454件、コースに635人・3004件。分析だけでなくリアルなデータを駆使し〝みんなで広島東洋カープを日本一にしよう!〟という命題に、112人が21件のアイデアを投稿した。意思決定をサポートするデータサイエンティストの腕の見せどころと言える。シグネイトが審査し、9月に優秀者を表彰する。
国内唯一のAI開発プラットホームを運営するシグネイトは、例えば〝賃貸物件の家賃推定〟や〝自動車環境性能の改善〟、〝スポーツのチケット価格の最適化〟などのテーマでアイデアを募り、その投稿数は数百〜数千件が平均的という。商工労働局イノベーション推進チームの尾上正幸主任は、
「コンペ方式により、データを駆使して地域の課題解決につながる答えを導き出すAI人材を掘り起こし、県内企業などと人材マッチング。産業のイノベーションを推し進める役割を担ってもらいたい。投稿には柔軟なアイデアが幅広く、手応えがあった」
かつて野村監督のID野球が評判になった。経験や勘に頼らない科学的データを活用し、鍛え抜かれた技術力で熾烈な戦いを繰り広げるリーグ戦を制覇。作戦やプレーの裏側を推理する野球観戦の楽しさに気付かされた。
産業界にもデジタル化の波が急速に押し寄せる。バーチャルとリアルをどう組み合わせるのか、いかに融合させるのか。同プラットホームはAIやIoT(モノのインターネット)の実証プロジェクト「ひろしまサンドボックス」の一環で、昨年10月にプレスタートした。e−ラーニングコースは企業単位のほか、大学生も多く参加する。イノベーション立県を掲げる広島県はAI人材の育成をはじめ、デジタル技術普及などに体系的な事業を展開。AIに駆逐される業種、業務も想定される。しかし人の技量や心遣いが通用する世の中であってほしい。そのためにもAIを使いこなす人材の確保が急務という。 −次号に続く。
経済産業省の試算では、今後10年間に70歳を超える全国の中小企業経営者は約245万人に上り、後継者不在による廃業が増えると、2025年頃までに約650万人の雇用と約22兆円分のGDP(国内総生産)が失われる可能性があるという。
いま、さまざまな対策が講じられているが、つまるところ当事者が事業継承にどう向き合うのか。ここに解決のヒントが隠されているように思う。同族経営ではしばしば親子の確執が表面化することがある。経営を譲るタイミングも難しい。親子ならではの意地の張り合い、葛藤などを描いた本「アンタッチャブル」(311ページ)が発刊された。
新築やリフォーム、不動産事業を手掛けるホームサービス植木(安佐南区)の植木重夫前社長(70)と、長男の繁之社長(41)が本の主人公で著者。互いに土足で立ち入らない〝不可侵〟という親子の関係や、節目の出来事などを双方に聞くインタビュー形式でまとめる。繁之社長は、
「事業継承の根底には、ほぼ間違いなくコミュニケーションの問題が横たわっている。オーナー経営者から話を聞くと、最近息子と会っていないとか、おやじとはほとんど口をきかないなどの言葉が飛び出す。何を考え、何を意図しているのか理解しないままに事業を引き渡す、受け継ぐ。今後に大変なリスクを抱えることになり、そもそも事業を継ぐ気持ちなど起こらないでしょう。父がどんな思いで事業を託したのか、どんな思いで創業したのか、私のやり方をどう評価しているのか。この本を通じて改めて父と向き合った。互いに知らなかったことも多く、深く物事を考えるきっかけになった」
京都工芸大学大学院工芸科学研究科を修了し、旭化成ホームズに入社。10年に広島に戻り5年後、2代目社長に就く。そのとき重夫前社長は、
「子どもが戻り継承問題にカタがついたが、会社の方はマイナス面も多い。何もできんのに偉い役職に就くのは、どう考えても理不尽。あからさまな苦情も耳に入った。それをねじ伏せるのは本人次第。会社を継ぐ方も大変だろう。繁之から広島に戻ると聞いた時、私は5年早いと思った」
しかし繁之社長は、2年遅かったと振り返る。想像を超えるさまざまな難関が立ちはだかった。耐え、ひたすら努力を重ねていくほかない。
いま、自分色に会社を染め直すのではなく、先代が30年で築いた経営基盤を軸に、今後の展開を思案中。先代から受け継いだ3つのことを大切にしているという。
1つは、施工エリアを広げないこと。エリアは店舗から半径3キロ以内の祇園、伴、八木地区に限定。顧客の困りごとにスピード感を持って対応できる。2つ目はアットホームな存在であること。年に数回、OBや近所の人を招いたイベントを開催し、バーベキューやかき氷、流しそうめんなどを振る舞う。身近で信頼できる関係づくりを目指す。 3つ目は高いプロ意識を持った集団であること。会社全体として積極的に資格取得に挑戦し、顧客から受け取った代金以上の技術を必ず注ぎ込むようにしている。
事業継承にどう向き合うのか。互いに本音でとことん話し合えば、どんな困難も乗り越えられると言い切る。
ショッピングや街歩きでにぎわう繁華街。夏のバーゲン前倒しもあり、ようやく活気を取り戻してきた。店に入る前にマスク着用とアルコール消毒を求められる。3密を避ける「新しい生活様式」にも大分慣れてきた。
広島修道大学商学部の川原直毅教授は、
「広島の小売商業の年間販売額は年々減少し続け、政令市の札幌、仙台、福岡に比べて市場規模も縮小している。2007年に1.3兆円あった小売り年間販売額は、現在1.25兆円に縮小。市内の小売店舗数は同年で9126店あったが、5年後に6605店。実に2500店以上も減った。明らかに中心部の空洞化が加速している。一方で、福岡は1.4兆円から1.7兆円に拡大。九州全域を商圏に抱える。しかも大型クルーズ船が入港できる港が2カ所あり、インバウンドの受け皿がある。00年に広島市内にあった5つの百貨店の合計販売額は2000億円。19年には1300億円(1店舗減)にまで減少している。その落ち込みはあまりにも大きい」
30年以上、小売りや商業施設の研究に携わり、自ら現地に赴き消費者を観察、分析するフィールドワークを貫く。まちづくりや地域活性化などにさまざまな提言を行ってきた。札仙広福のうち、かつては一番栄えていた広島。いまは商業で見る限り最も遅れていると指摘する。
「消費者の低価格志向は依然として根強い。しかし市場はほぼ飽和状態。近年、ドラッグストアとSMのコラボによる出店の相乗効果が顕著で、さらに中規模のディスカウント型SMの進出が相次ぐ。より消費者に身近な商売で安価な商材を提供する競合店が既存の大型SCと対抗する形でドミナントの争奪戦が激化。他都市は大型店やさまざまな業態が広島と同様に出店しても商圏が拡大している。逆に商圏規模が縮小している広島のどこに問題があるのか。商業施設にとってMD(商品政策)の見直しが非常に重要であるにもかかわらず、長期にわたり固定化されていることも要因の一つではなかろうか」
モノからコトへ、消費のキーワードが時代とともに変わってきた。しかし、2割の顧客が8割の売り上げを生む百貨店では、顧客の顔が見える接客が最も大事。リピーターづくりこそ、一番の生き残り策とも言う。
「行政は長期ビジョンで広島駅前と紙屋町・八丁堀の楕円形構想を掲げる。されど紙屋町・八丁堀は一丁目一番地。ところが地下街シャレオは空き店舗が目立つ。つまり店舗側が家賃に見合う魅力を感じていない表れではないか。楕円構想は回遊性を重視しなければならない。JR広島駅南口に広電が高架で乗り入れ、有機的なつながりができる。建て替わる駅ビルにどのようなコンセプトでどんな商業施設、ホテル、シネマコンプレックス、スパなどが導入されるのか、客動線が大きく変わる可能性がある。一方、サッカー場ができても試合数は20試合に届かない。サッカー場周辺を単に公園にするのではなく、回遊性を伴う飲食、物販などの商業施設が点在することが付帯条件だろう。決してハコモノ行政に終わらないことだ」
新たな発想による街づくりの仕掛けが肝心と言う。
ようやく普段の生活が戻りつつあるが、まだ油断がならない。コロナ禍で広島商圏の商業施設にどのような影響があったのか。コロナ禍後、消費者の価値基準や判断にどのような影響を及ぼすのか。他都市と比較した広島商圏の特徴や街づくり提言などについて、広島修道大学商学部の川原直毅教授に聞いた。
「定点観測すると、地方都市広島ならではの保守的で、横並び感覚、人の目を気にする大衆意識が強い消費者の傾向が浮き彫りになる。そのためか、商業施設にとって非常に重要な商品の品ぞろえや価格設定、店舗レイアウト計画などのマーチャンダイジングが見直しされることなく、長期にわたり固定化されている。ファッションやトレンドに敏感な若者や一定層の好みにマッチした商材が極めて少ない。若者に新感覚のライフスタイルを提案する新業態が進出すれば、紙屋町や八丁堀かいわいの専門店もかなりの打撃を被るだろう」
広島は他都市に比べてブランド志向が低い。ブランドは費用対効果の側面が強く働くので、自らの個性を磨くという点で最適であるが、ものの価値を高い、安いという判断で決めてしまう傾向が強い。おそらく、教育や生活様式の中で「平等」という概念が植え付けられて、競争するという概念が幼少期に奪われているのではないだろうか。そもそも資本主義において平等という概念は初めからない。義務教育などと、ある一面だけを取ってそれを強調するから成長期に価値観が大きく揺らぐと指摘する。
東京では、4月から自主的に営業を停止した百貨店が多い。地下の食品売り場まで閉鎖した三越伊勢丹などは4月分だけでも110億円もの赤字を計上。広島の百貨店も地下の食品売り場を閉店し、その分、価格の割安な郊外型ショッピングセンターや身近なスーパーマーケットで生鮮三品が好調に売れた。
広島商圏では、4〜5月の百貨店の売り上げが前年比56%程度で推移。大都市圏よりも減少幅が小さい。これは普段から百貨店を利用する客層がほぼ決まっており、また、インバンド消費も広島エリアではパイがそもそも小さいのでその分、影響はほとんど見られない。ただし、小売商業の年間販売額は年々減少し、札幌、仙台、福岡に比べて、大型店が進出してもなお市場規模は大きくなっていない。
「百貨店の衰退はいまに始まったことではない。120万人口にあって3つの百貨店が競合。すでに消耗戦に入っており、これから大きく売り上げが伸びることは期待できない。損益分岐点で見れば、1平方メートル当たり年間販売額が100万円を切っているところもあり、存廃の危機にあるといっても過言ではない。売り場はどこも均一化、同質化されており、買い物客にとっては真新しさがない。また、利用客の多くは高齢者という点もほぼ共通しており、これは都心部の交通の利便性に関係している。なおサッカー場の建設によってペデストリアンデッキや歩道、地下通路などが完備すれば、地下街シャレオとの有機的な連携も、また違ったものになる可能性はある。都市計画をどのように考えるのか、それに影響する」
中心部の空洞化、広島商圏の将来展望など、次号で。
とんでもない「貧乏球団」とやゆされ、一層ファンの気持を熱くしたのだろう。1950年、念願の「広島カープ」が発足。市民から熱烈歓迎された。だが、その年の戦績は、優勝した松竹ロビンスに何と59ゲーム差をつけられて最下位。勝率2割9分9厘で両リーグ唯一、3割を切るさんたんたる結果だった。ユニホームやグローブなどの代金が滞り、運動具店を倒産に追い込む事態も生じた。選手会から、給料の遅配を解消できないなら「全選手退団する」と通告されたが、ようやく12月26日になってこれを回避する。あわや球団解散の危機だったという。
その年から70年。プロ野球がようやく開幕した。スタジアムを真っ赤に染める熱烈な応援風景のない、無観客試合は何とも異様だが、野球のある生活が戻ってきた。波瀾(はらん)万丈のカープ70周年。優勝という大輪の花を咲かせてもらいたい。
カープと同い年。繊維卸の十和(現アスティ)から発祥し、同社ほか、国内トップのジュエリーブランド「4℃」を擁するヨンドシーホールディングス(東京、東証1部上場)が、5月で創業70周年を迎えた。同月28日付のトップ人事で、広島銀行取締役専務執行役員だった廣田亨氏を社長・COOに起用。前社長の瀧口昭弘氏は4℃事業会社のエフ・ディ・シィ・プロダクツ社長に専任し、ブランド価値向上に取り組む。木村祭氏会長・CEOは、
「新規に出店すれば売り上げが伸びる好調な業績に潜んだ危機の兆しを見逃す、おごりがあったように思う。売り上げ拡大に反比例して最も大切なブランド価値、その希少性が薄らぐという危険な循環を断ち切り、永続的なブランドを確立すべく、長期戦略で巻き返す経営体制を敷いた。廣田社長には持ち株会社のガバナンス、瀧口社長には4℃生え抜きの得意分野で力を発揮し、一段と商品力に磨きをかけてもらいたい。いつの間にか増収増益の成功体験や、数字を求める社内ムードが広がり、みんなのモチベーションに水を差してはいなかったか。社会や消費者の変化、人の心を敏感に感じとる力と、それを製品開発や接客サービスなどにつなげる不断の努力を基本に、絶えず革新へ挑戦する社風を大切にしたい」
国内のジュエリー小売市場が低迷する中、ターゲットとチャネルを見極めた4℃の販売戦略が当たり、独り勝ちの様相を呈していた。しかしここ数年、店舗の売上効率に陰りが見えていたという。
若い層を中心にした4℃ファンを、さらに次の年齢層へつなげていく「大人化・上質化」に取り組み、それぞれの年齢層、購入層に合わせた価格帯、商品をそろえた。しかしその販売戦略への転換を急ぎ過ぎたことで無理が生じ、従来の主力の顧客から少し乖離(かいり)が生じてしまったのかもしれないと反省を込める。
その挑戦によって明らかになったこともある。
「一朝一夕でブランドを創造することなどできない。大人化・上質化を目的にブランド価値を高めるには、さらに長い時間がいる。心を込めてきた、ものづくりの現場に経営資源を集中投下する」
これまで4℃が大事にしてきた原点へ戻るチャンスとなったようだ。
トランプ大統領はなかなかマスクを着けない。安倍首相のマスクは小さいと話題になった。米国ではマスクの着用をめぐって騒動になり、日本では夏になっても多くの人がマスクを着け、黙々と街中を歩く。ふと、日米同盟は大丈夫かと不安がかすめる。
新型コロナウイルス感染拡大により、広島でもさまざまな分野に影響が広がった。県内大学生から当社宛てに、
「来春卒業を控え、合同企業説明会が全て中止になった。なかなか企業情報が入手できなくなり、困っている」
と相談メールが入った。企業との接点を求める学生や、学生との出会いの場を求める企業に対し、何か役立つことができないだろうか。初めての経験だったが、急きょ開いた「ウェブ合同企業説明会」に大きな反響があった。さらに広島県中小企業家同友会から依頼を受け、6月10〜12日に同様の説明会を開いた。21社が参加。さっそく来春新卒者から応募があったという情報が入り、手応えを感じた。
続いて広島県主催で6月下旬から7月中旬の10日間にリアルタイム配信のウェブ合同企業説明会を開催し、100社が参加。会場には司会者と人事担当者だけ。企業によってはオンライン会議システムのズームを使い、司会者が社長や人事担当者と画面上で対話。動画投稿サイトの視聴数はピーク時に約600件に達した。学生はオンライン上で参加し、チャットで質問。互いに表情を読み取りにくい点はあるが、遠方からも参加でき、企業概要はつかめる。興味のある会社へは直接訪問し、挑戦するほかない。
ひろぎん経済研究所(中区)の水谷泰之理事長は、
「新型コロナ禍による身近な小さな変化が、やがて大きなトレンドになる。テレワークを本気で始めると、意外によいという人は多い。もちろん全部テレワークというわけにはいかない。それで人と人の対面によるコミュニケーションの重要性も再認識する。こうした意識が今後のオフィス需要にどのような変化をもたらすだろうか。広い部屋に机と椅子が並んだ無機質なオフィスから脱し、しゃれたカフェみたいなオフィスに変貌するかもしれない」
潮目を見切ることができるかどうか。本に書かれたことを知っているだけでなく、リアリティを持って受け止めなければ、ビジネスにはならない。変化に対応できなければビジネスは終わる。小さな変化に隠されたビジネスチャンスを発掘し、そこにひらめきがあれば、挑戦するほかないと言い切る。
免疫を持つためには一度感染して抗体をつくるか、ワクチンによって抗体をつくることもできる。人類は多く犠牲を出しながら免疫によってウイルスや細菌と闘ってきた。
「免疫力をつけるために悪い奴に遭遇する必要があるともいえる。ワクチンは模擬訓練で、感染は現実の被害みたいなもの。世間知らずでは免疫ができていないため、大きなけがをすることがよくある。最近の若い人は失敗を恐れてチャレンジしないという話をよく聞く。大けがをしない程度に大いに失敗し、免疫力をつけてほしい。免疫力を発揮するには健康で、十分な栄養と休息も必要。温かく見守ってほしい」
企業の免疫力も試される。
GAFAなどと呼ばれる、最先端の情報技術を駆使するひと握りの大手がいま、世界を席巻している。情報技術の分野で立ち遅れる日本の巻き返しがかなうだろうか。得意とするものづくりと、最先端の情報技術を融合することができれば、日本は強い。奮起を願うほかない。
日本が誇る伝統工芸の分野で、現代感覚のデザインや技術などを入れた挑戦が始まっている。広島の話である。
江戸中期のころ、旅の安全を祈って厳島神社社殿下の砂を〝お砂守り〟として携え、無事帰郷した折には旅先の砂と合わせて神社へ返す風習があった。その砂を混ぜて祭器を焼き、神前に供えたのが宮島焼の由来といわれる。いまは山根対巌堂、川原巌栄堂、川原圭斎窯の3窯元が守る。広島県の伝統工芸は、経済産業大臣指定の熊野筆や広島仏壇など5品目のほか、県指定の宮島焼や銅蟲など9品目あったが、大竹手打刃物や矢野かもじが途絶え7品目に。いずれも販路開拓や後継者不足を共通の課題に抱える。
宮島御砂焼窯元の山根対巌堂(廿日市市宮島口)は、三代を襲名した山根興哉氏の代からさまざまな挑戦を重ねてきた。助成金などを活用しながら新たな活路を切り開いている。今夏からはECサイトの運営を始める。70代の職人とでこなしている成形工程を効率化し、ろくろ成形を機械化する圧力鋳込み成形装置を導入。サイトに掲載する規格商品を安定的に供給できるようにする仕組みを整えた。興哉氏は、
「ここ数年、情報発信の強化などで受注機会が広がってきた。一昨年からスターバックス厳島表参道店で毎月50個限定販売を行う御砂焼マグカップの完売が続いている。ろくろ職人が一人前になるには数年〜10年の歳月を要するが、生産が追い付かない状況で、効率化を迫られていた」
機械化とともにスタッフを増やし、この1年で分業体制にこぎ着けた。一枚一枚もみじの葉を貼り付け、一つとして同じものがない手作業にこだわる工程と、機械化で宮島焼の魅力を堅持。注文の多寡で値引きがまかり通る慣習から脱し、直売だからこそ創意工夫ができる窯元を目指す。これまで興哉氏は陶芸家として作品づくりに励んできた。その技を生かし、大聖院の不消霊火堂の消えずの火の灰を釉薬に使ったキャンドルホルダーや、平和公園の折り鶴の灰を釉薬に使った香炉などを商品化。宮島の幅広い魅力と〝広島〟を発信する新製品企画を練り、最近は北海道などからも注文が入る。「思いを込めて贈り物をしたいというニーズをつかむ大切さを実感している」と話す。
新規導入した機械も使用する粘土の調整に1年かかり、ようやく量産できるようになった。それでも熟練職人の方が早いかもしれないが、その10年を待っていては、100年以上守ってきた窯元を後世に残すことができないという判断がある。手段を変えながらも、ものづくりの魂を次代へ引き継ぐ。その自覚のある人が心を込めてつくることが伝統の証という。
産地を訪れ、作品を手にして伝統工芸の魅力やその地の人情に触れる旅もある。「広島を訪れたくなる宮島焼きをつくる」という、その思いがぶれることはない。
土地勘がなくても、カーナビさえあれば目的地へたどり着く。運転中、ハンズフリーでレストランの予約も可能。技術革新により、車が際限のない進化を始めている。一方で、ピーク時の1994年度に全国6万カ所を超えた給油所数は、2018年度に半分以下の3万カ所にまで減少した。省エネ車の普及などにより、燃料油の大幅な需要減に直面。構造的な低収益体質で廃業や倒産も多く、元売りの集約や系列特約店の統合再編も進展している。
斜陽産業ともいわれる石油業界にあって、環境対策や災害などに対応した給油所運営に積極的な設備投資を続ける綜合エナジー(安芸郡府中町茂陰)の取り組みが、次第に成果を挙げてきた。
2013年3月、本社所在地に開業したペガサス新大州橋SSをはじめ、セブン−イレブンとの一体運営の災害対応型給油所は現在、佐伯区五日市町や安佐北区亀山、安芸郡坂町に計4カ所を展開。全9給油所のうち、7カ所は自家発電設備を備えた、資源エネルギー庁認定の住民拠点SSで今後、全店認定を目指している。澤井昇三会長は、
「言うまでもなく災害は突然やってくる。日頃から災害対応型として運営しながら、怠りなく訓練していれば、慌てふためくことなく迅速に対処できる。燃料油を売ってどうやってもうけるかと考えるよりも、いま顧客が何を求めているのか、安心や安全、便利などに焦点を絞り、地域に役立つ運営に徹することが大切ではないだろうか」
災害対応型1号店の新大州橋は非常時の水や電気の確保のために諸設備を充実。いわばラボ店だ。太陽光発電設備と蓄電池を備え、通常時は売電、停電時は非常電源に切り替える。雨水と地下水で補い合う地下貯水槽でトイレや散水などに再利用。上水は昨年設置した5トン容量の屋上タンクにいったんためて使用している。環境に配慮した自己完結タイプの施設機能を平時にも運用。直営の給油所と坂油槽所では非常時を想定した定期訓練を重ね、〝いざ〟の時に備える。
澤井会長は27歳の時、父親が急逝し、給油所運営を継ぐことになった。「どうせやるなら人の役に立つ仕事」と奮起。ユーザーからの打診を受け油槽所を取得したほか、その後もプリペイド方式の燃料油販売など給油所運営に新機軸を打ち出す。18年前に24時間営業に踏み切り、今では全店に導入。自動車販売も手掛けた。失敗もあったが、来店頻度など給油所特有の顧客志向を考え、求められているものは何かと追求し続けた。
ようやく手応えを得た。24時間営業のコンビニとの一体運営の災害対応型給油所として地域になくてはならない拠点機能を担う。24時間洗車も成果を挙げ、20年2月期は過去最高の売り上げ87億円を計上。増収ペースに乗せる。9給油所の平均顧客数は全国でもトップクラスという。
「1号店は元売りからも危ぶまれ、不況下での新たな投資を、誰もが不安視した。世の中に役立つ。この決断によって地域に支持される給油所に生まれ変わることができた」
相次ぐ災害を契機に、国も給油所の機能を地域のインフラとして重視。同社は今秋にさらに進化した給油所をリニューアルオープンする。
人の命、健康を守ることが最優先。しかしパンデミックで経済活動が止まり、人や物の交流が遮断されると市民生活はたちまち困窮し、企業や都市はおろか、国家さえつぶれるのではないかと危機感を抱く人もいたのではないか。そもそも国柄なのか、指導者の資質か、各国の新型コロナウイルス対策に格段の違いが浮き彫りになった。何が正しく、何が間違いだったか、確かな教訓を導き出し、パンデミックに備えなければならないという大きな命題を突きつけてきた。
戦いに明け暮れ、国内が乱れに乱れていた頃、人や物の往来には極めて不便だが、ただ防御に強いという理由で山城が築かれた。しかし活発な経済活動を興し、軍事費を稼ぎ、他国の情報を探り、そして街が栄え、領地が拡大発展するという教訓を導き出し、多くの戦国大名は平地へ城を築くようになったという。いつまでも山にこもり、時代の流れからも遮断された国は衰退し、敵国に領土を併呑された歴史がある。
いまの広島は大丈夫だろうか。世界から人、物、情報が集まる国際会議や見本市といった「MICE(マイス)」都市を目指し、大規模な会議場、展示場などの施設をつくろうと一歩を踏みだそうとした矢先、新型コロナウイルスが来襲し、その機運が大いにそがれた。だが、希望へ向かう歩みを止めてはならない。しばらく中断されていた「商工センター地区活性化検討会・MICE部会」の第3回が、6月5日に開かれた。
市の関係部局のほか、広島総合卸センターなどの団地組合や、広島市中央卸売市場、地元町内会などが出席。先行都市との比較を踏まえ、MICE施設の規模・機能などに関する市の調査結果を説明。事業推進の役割を担うファシリテーターとして活躍する田坂逸朗氏を会の進行役に、広島らしいMICEの在り方などが話し合われたという。
2017年に卸センターが「メッセコンベンション施設の誘致を中核とする商工センターのまちづくり」提案をつくったのが発端。その後、広島商工会議所が商工センター地区や広島西飛行場跡地を候補地にMICE施設の整備構想をまとめ、県や市へ提言。それぞれ調査費を予算化したが、県は1月に計画を断念すると発表した。これで商工センター地区に絞られた格好だが、卸センターは今年度から3D(3次元)画像で描く「まちづくり提案」をつくる。市が推進するMICE都市構想や中央市場建て替え事業との相乗効果を視野に入れ、中小企業会館や広島サンプラザ建て替えを核とするMICE施設整備構想の推進に向け、JR新井口駅周辺整備やペデストリアンデッキの拡充、おろしまちアジト通り(仮称)構想などを分かりやすくビジュアルにまとめる。
周回遅れの先頭に立つチャンスがある。例えば、新しい生活様式に対応し、換気が可能な大きな窓の会議室や、災害時の避難所、自動運転やオンライン機能を装備したスマートシティー、旅客船の港、交通アクセスや宿泊・商業施設整備などに抜かりなく、夢のある大胆な絵となるよう、英知を結集してもらいたい。計画倒れになり「もはや広島の出番はない」と烙印(らくいん)を押されることがないよう願う。
世界が未曾有の大混乱に陥った。新型コロナウイルスの感染者は630万人以上、死者38万人を超え、さらに第2波、3波の襲来が懸念されている。一途にグローバル化を進めてきた経済活動に急ブレーキが掛かり、サプライチェーンの在り方を含め、世界的な経済活動をどう再構築すればよいのか、厳しく問い掛けてきた。むろん、企業単独で、わが国だけで生き残ることはできないが、世界的な連携の危険と安全、成長と安定の調和をいま一度考え直す機会になり、コロナ後、どのような教訓を導き出すことができるだろうか。
医療情報サービスのデータホライゾン(西区)は、独自開発した医療データ分析力を生かし、パンデミックを未然に防ぐ感染症のモニタリングシステムの研究開発を始めた。同社は20年以上を費やし、開発を重ねた医療データベースとシステムで健康診査結果とレセプト(診療報酬明細書)データを分析し、全国に先駆けたジェネリック医薬品通知サービスや糖尿病などの重症化予防事業を展開。
さらに国民皆保険制度を維持するため、国民健康保険などの保険者向けに治療中の病名の特定と病名ごとの医療費算出、病期の判定などにより効果の出る保健事業「データヘルス」関連サービスへ踏みだした。関連企業と提携し、全国展開を加速する構えだ。現在、430以上の自治体向けに導入が進み、生活習慣の行動変容によって医療費抑制の成果が出始めているという。内海良夫社長は、
「コロナによる世界経済の損失は莫大。健康増進による医療費適正化の経済効果など吹き飛んでしまう。今後コロナに続くパンデミックがいつ発生するのか、どのようにして防ぐのか、いまこそ国を挙げて抜本的な対策を講じることが急務。国民皆保険が1961年にスタートした当時、高血圧や高血糖、脂質異常症など糖尿病に至る生活習慣病はほとんどなく、感染症対策が狙いだったという。有史以来、ペストやコレラ、スペイン風邪など人類の歴史は感染症との闘いだった。サーズやマーズが日本に上陸しなかったことから、パンデミック対策が立ち遅れていないだろうか。国策として重症化予防による医療費適正化はむろん、待ったなしだが、感染症対策を一歩間違うと国家がつぶれる事態になりかねないことが明らかになった今、新たな感染症の早期キャッチ、早めの対策が打てる態勢を敷くことが何より大事。匿名化したレセプトデータから感染症が疑われる医療情報を活用し、パンデミックを未然に防ぐことが可能な感染症のモニタリングシステム開発に着手している」
保険者、大学などの研究機関や厚生労働省、製薬会社、医師会などとタッグを組み、システム構築に挑む構え。
レセプトには傷病名や診療行為、服薬などのさまざまな医療情報が詰まっている。それぞれの目的に応じた整理・分析、メンテナンス体制を構築したことにより、レセプト情報を宝の山(ビッグデータ)に変貌させた。この医療ビッグデータを活用し、感染症の水際対策としてモニタリングという新たな領域でどのような成果を挙げることができるだろうか。危機だからこそ、知恵を絞り、技術革新のチャンスがあるという。
大型ビル建て替えが相次ぐ市内中心部。広島銀行本店をはじめ、損保ジャパン広島ビル、広島アンデルセンなどの旧建物の解体工事を次々に請け負った桑原組(西区己斐本町)が着々と地歩を築き、業界の話題になった。創業来、施工実績は累計1万棟以上に上る。近年は、中区富士見町の再開発関連などの元請け工事も増え、2019年11月期決算で過去最高の売上高26億7000万円を計上。
2009年7月に就任した4代目の桑原明夫社長は、どん底からの出発だった。リーマンショックのあおりで業績が大きく落ち込み、目先は暗闇。しかし負けじ魂はすさまじく、明けても暮れても拡大発展の戦略を練った。矢継ぎ早に新基軸を打ち出し、経営改革を断行。積極果敢な取り組みが成果を上げ、わずか10年で業績を4倍以上に引き上げた、その腕力がすごい。
1958年の創業。ゼネコンの下請け工事が主力だったが、建設業界全体が苦しんだリーマンショックを契機に元請け工事へ照準を合わせた。経営理念に「過去の歩みを尊重し、常に新しい価値を創造し続ける」と掲げる。従業員評価制度や資格制度の導入、営業組織の再構築などの抜本的な改革へ踏み出した。桑原社長は、
「会社が生まれ変わらなければ立ちいかなくなる危機感があった。リストラはしない。いまを踏ん張り、戦力強化のために社員教育を徹底。数値目標を掲げ、将来の姿を描くことができる戦闘能力を備えた組織をつくることが、その頃の一番の目標だった」
反発もあったが、社員一人一人と面談を重ねた。強みとする工事実績のほか、すべての部門を洗い出し、メスを入れ、5年で背筋の通った骨格をつくった。第二創業と位置付け、先々に備えた。
かつて売り上げの大半を占めた下請け工事は現在65%程度になり、元請け工事とその他で35%に。解体工事を軸に土壌汚染・アスベストなどの環境対策工事を施し、土地活用まで行う「ワンストップ土地更地化サービス」事業を確立。競争力を高めた。
今年で新卒採用は7年目。幹部候補生を育てようと昨年から大学生、今年から大学院生の採用も始めた。5年前から大手ゼネコン協力会社の百数社でつくる「若手同期会」に合同研修会を呼び掛けた。スマホがコミュニケーション手段になり自己表現が苦手な若手の不安を払拭しようと、ひるまからビアホールで〝社長塾〟を無礼講で開き、桑原社長の失敗談にどっと歓声が上がった。
「好奇心と探求心を持ち、自分の成長を楽しめる人材が当社の宝。自己成長の要求が満たされてこそ、継続する力となる。社員の成長が会社の成長の証。夢や戦略を描くことができ、覚悟をもって決断、実行できるようになれば、一騎当千の力になる」
無印良品の家FCで家づくり分野に乗り出し、早くも3年で全国38加盟店中、トップクラスの実績を上げた。まちづくりを見据えたリノベーション事業も展開。4月に東京に拠点を設け、機能材フィルムを扱うスリーエムジャパン(東京)や家具インテリア企画販売のニトリ(同)と組んで首都圏開拓に乗り出す。成長戦略の一番に、社員教育を定めた目に狂いはない。