広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。
イギリス発祥と伝わるダーツ競技。丸いボードに向かってダーツ(矢)を投じ、得点を競う。運動の負荷は小さいが、継続すると高齢者の認知症状に改善の傾向がみられるなど、健康維持にも役立つという調査結果が出た。
3月下旬。安芸郡熊野町の公民館と長崎県の離島・壱岐市をオンラインでつなぐダーツ大会が開かれた。それぞれ20人ほどが参加。ダーツが高齢者の身体能力や認知機能に及ぼす影響を調べる全国でも珍しい研究の一環で、中区新天地でダーツバーを営むワンエンタープライズと、県立広島大学、広島大学の教授らが共同研究として実施した。社長の一橋斉明さん(59)は、
「ダーツは若者が夜にアルコールを飲みながら楽しむイメージが強い。しかし実際は男女や年齢に関係なく誰もがプレーできるスポーツだ。飛び方をイメージして投げる、歩く、引き抜く、落ちたダーツを拾うなどの適度な軽運動があるが、一般のスポーツに比べて負荷は小さく高齢者にも取り組みやすい。4人組で交流しながらプレーし、競争心による気持ちの若返りなどの効果も期待できる。これらを示せる客観的なエビデンス(証拠)を得たいと、大学に話を持ち掛けた」
熊野町と壱岐市の60歳以上の男女を対象とし、参加者の半分に認知症の前段階の状態を示す軽度認知機能障害の疑いがあった。月2回の頻度で1年間にわたりダーツ教室に通ってもらい、幸福感や認知機能、握力やバランスなどの身体機能への効果を調査。その結果、同障害の疑いがあった高齢者の過半数以上で改善の傾向が見られた。バランスが良くなるなど身体機能の向上も確認でき、論文化を進めている。
「口調がきつくネガティブな性格で当初、周囲と馴染めていない女性がいた。心配していたが、ほかの参加者が温かい声をかけてくれ、家から公民館まで30分かけて歩き、毎回参加してくださった。最後には『今はダーツが私の生きがいです』とまで言ってくれた。家にダーツのボードを買い、孫と真剣勝負するおじいさんもいる。当初、想定した以上の効果を得ることができた」
この取り組みは、自身が選手として参加した2003年の米ラスベガスでの大会がきっかけになった。
「対戦相手は70代のおばあさん。毎年参加しており、世代も国籍も違う人と一緒にダーツをプレーできることが楽しいと言う。そのとき、ダーツの新たな可能性に気付かされた。それから20年近く構想を温めていた」
今回の研究結果を基に、高齢者を対象にしたビジネスモデルを構築し、全国に広めるプランを描く。昼間にも気軽に立ち寄ってもらえる市内の商業施設に「ダーツ倶楽部」を開設しようと現在、出店先を探っている。この事業を通して高齢者の生きがいや楽しみを提供し、健康で幸せな暮らしの実現を手伝いたいというビジョンに向かって事業化へ歩みを進める。
大きな夢がある。今後も2年にわたり研究を継続し、加えて東京のダーツ機器メーカーも共同研究に参加する。新たに対象者として子どもたちを含めるなど、一層研究を発展させていく覚悟だ。研究に参画していた広島大学の大学院生で作業療法士の資格を持つ学生を今春、新卒で迎え入れた。ダーツの可能性を探る試みに、共感の輪が広がりつつある。
広島発のITスタートアップで、日本各地の水産物の産地直送や販路拡大を実現するアプリ「UUUO(ウーオ)」を展開するウーオ(中区大手町)が順調に業績を伸ばしている。2016年7月に設立以来、全国100以上の港の水揚げ情報を集約し、売り手と買い手を合わせた取引先数は500社に上る。全国的な情報ネットワーク化が立ち遅れていると指摘される水産業界に新風を吹き込んだ。
鳥取県岩美町出身の板倉一智社長は、水産業が身近な環境に育った。進学を機に地元を離れ、帰省のたびに漁船の数が減り、廃れた港の風景にショックを受けたのが起業のきっかけという。天候などの影響を受け、漁獲量をコントロールしづらく、需給の調整が難しいという課題を抱える。豊漁だと、大きな取引が成立しない限り鮮度劣化になり、魚価は下がる。どうにかならないか。両地点の需給をマッチングする取引プラットフォームを開発し、課題解決するアイデアが浮かんだ。魚屋として業界を学ぶところからスタートした。
漁師のおじや祖父、親類のつてを頼って鳥取港と網代港で売参権を獲得。競りの流れも出荷の仕方も分からないまま裸一貫で飛び込み、周りの業者から現場のイロハを教わった。新規参入が難しく、売参権の取得は20年ぶり。18年には鳥取港に自社出荷拠点を設け、オペレーションを検証しながら使ってもらいやすいサービスの形を探った。
現場経験を基に20年、スーパーなどの鮮魚バイヤー向けにUUUOをリリース。全国から手軽に魚を買い付けることができる。買いたい魚がないと、システム上から出品をリクエストできるため電話やファクスによるやりとりから解放され、評判は一気に広まった。プラットフォームはLINE(ライン)からウェブブラウザー、アプリと形を変えながら刷新を続ける。水産卸向けに受発注を効率化するアプリ「アトハマ」なども発表した。
和食ブームを背景に需要が高まる海外に向け、2月から鮮魚の輸出を始めた。仲卸業者などと連携して発送体制を整え、国内100以上の港から水揚げ後2〜3日のうちに届ける。まずタイとカンボジアで開始し、数カ月内にアメリカ、カナダ、シンガポール、中国でも始める。取引先との会話から着想し、4カ月足らずで事業化にこぎ着けた瞬発力がすごい。板倉社長は、
「百折不撓(ひゃくせつふとう)。当社の行動指針に掲げている。何度失敗しても信念を曲げない。とにかくやってみて改善を続ける。素早く小さく動いて少しでも物事を動かす。小さな変化を積み重ねていると、いずれ大きなうねりになる。それを繰り返してここまでやってきた。正社員17人、ビジネスパートナーやバイトを入れて30人の少人数だが、業務のほとんどを任せている。『すべての町を、美味しい港町に』という経営ビジョンに共感した、優秀な社員が入ってくる。私は大きな方向性だけを示し、開発や企画にはノータッチ。一人でも多くのキーマンと会い、チャンスをつくることが私の仕事で買い手を開拓し、プラットフォーム内の流通量を増やしていきたい」
新たに飲食店向けにも提供を始め、アクト中食(西区)や住田(同)など業務用食品・酒卸4社と業務提携を締結。関東、東北の営業強化に向け、4月には東京支社を開いた。新しい世界へこぎ出す同社の挑戦から目が離せない。
5月の薫風に誘われ、19〜21日にG7広島サミットが開かれる。開催前と後で観光分野での誘発効果が期待されており、春先から街中でも外国人観光客が目立つようになった。ホテル、旅館をはじめ土産品やさまざまな食材を扱う業界、レストランなどの食事処もにわかに活況を呈している。3年、猛威を振るった新型コロナウイルスがようやく落ち着き、8日から「5類」に引き下げられたことと相まって、街が息を吹き返したようだ。
世界が広島に注目し、国際平和文化都市をアピールする絶好の機会。これと重なり、印象派を中心に国内屈指のコレクションを誇る、ひろしま美術館で開館45周年記念の特別展「ピカソ 青の時代を超えて」が開かれている。さすがはピカソ。上々の人気という。開館20周年のポーラ美術館(箱根)との共同企画で、ひろしま美術館にとって初の本格的なピカソ展になる。
2月4日から5月28日までの会期中に来館者5万7000人を見込んでいたが、5月9日で7万人を記録。その前日には、1978年の開館から通算700万人を達成した。世界最大旅行サイトのトリップアドバイザーでも美術館部門で上位ランキングに食い込み、5年連続の〝エクセレント認証〟を受ける。
20世紀最大の巨匠ピカソの生涯をたどる展覧会は、各館所蔵の名作を中心に国内外の作品群を加えた約70点を集め、制作プロセスに焦点を当てて創作の軌跡に迫る。20代前半の「青の時代」からバラ色の時代、キュビズム、新古典主義、シュールレアリスムなど、91歳の生涯で10万点近くもの作品を生んだ。旺盛な創作意欲は晩年まで枯れることがなく、多様で伝統を破壊する表現は鮮烈な光彩を放ち、いまなお世界中の美術ファンを魅了する。
1881年生まれのピカソの創作活動には戦争の影響も色濃い。スペイン内戦でナチス・ドイツの無差別爆撃による悲惨さを描いた作品「ゲルニカ」にインスパイアされた「キッズゲルニカ」を28日まで同館回廊に展示する。縦3.5×横7.8メートルのオリジナル作品と同サイズの絵を世界中の子どもたちが描くプロジェクトで、28年前にスタート。50を超える国で300点以上を数える。回廊には広島市内の幼稚園児らが制作した2点のほか長崎の高校生、ゲルニカ市やブチャ市の子どもたちの絵計5点を展覧する。ピカソが希求した平和は、G7の主要テーマとして世界へ発信される。
子どものように描くことを切望したという。変幻自在の作品を残し、紛争の愚かさを鋭く突く。同美術館の古谷可由学芸部長は、
「ピカソは〝大切なのは芸術家の作品ではなく、芸術家がどういう人間かということ〟と述べている。鑑賞者は、この芸術家が提示した見方や感じ方をどう受け入れるかにかかっている。意味内容を理解するかどうか、わかる、わからないではなく芸術家の見方・感じ方に共感するかどうかではないでしょうか」
広島銀行創業100周年記念事業として開館。被爆焦土からの復興を願って〝愛とやすらぎ〟に思いを込めた。これまで来館者数はほぼ数年刻みで100万人を積み重ねており、2040年辺りに1000万人を達成しそうだ。
広島がもっとも爽やかな季節にG7を迎え、終えて共感することがあったか、その後に問い掛けてくる。
渋沢栄一、津田梅子、北里柴三郎。来年の上半期に発行が予定される新紙幣の顔ぶれだ。偽造を防ぐホログラムや視覚障害のある人も識別しやすいユニバーサルデザインに高度な技術を採用。新紙幣に対応すべく自動販売機をどうするのか。現金決済する先々でキャッシュレス化が進むと予想されており、時間貸し駐車場もその対策を急ぐ。
広島でいち早くコインパーキングの運営・管理事業に参入し、全国展開しているアサヒエンタープライゼス(中区橋本町)は、新紙幣への対応費用を試算したところ億単位に上ることが判明。今後を見据え、新たな収益を生まない投資に妥当性はあるのか。少子化の加速や車離れなどの影響を勘案すると、旧態依然としたコインパーキング運営はやがて街中から姿を消していくのではないか。同社取締役の先川紀之さんは、
「新紙幣は、時間貸し駐車場の在り方を問う良い機会を与えてくれた。従来のサービスは運営側の都合に寄っているように思う。利用者の立場に立ったサービスとは何か、みんなで真剣に考えた。そうして精算手続きを必要としない〝0秒精算〟のアイデアが生まれた。そこからストレスフリーのAIパーキングを運営管理するシステムRakuーPを開発し、特許を取得。駐車場の運営会社などから問い合わせが殺到している」
会員登録すると、AI搭載の監視装置が車のナンバーを読み取り、自動でクレジット精算。非会員は装置モニター上のQRコードによってペイペイなどでオンライン決済できる。用地さえあれば従来のロック板や集中精算機などは不要。昨年6月から市場投入し、順調に稼働している。
AI搭載の駐車システムとは異なり、前払い方式でQRコードを看板に掲示するだけの「RakuーP LIGHT」も好調に滑り出す。これを受け、昨年10月に朝日洋光取締役、プロダクト開発などのオーダー・ジャパン(中区)の杉本正彦社長らが参画し、システム開発運営の新会社「RakuーP」を設立。CEOに朝日取締役、先川さんはCOOを兼務。新会社のミッションに「移動が楽しい世界にする」と掲げた。もともと土地活用サービスとして市場拡大した時間貸し駐車場は街中で車のアクセス手段として欠かせない。さらに発想を発展させて街から街へ、都心から地方へと移動を促す新たな機能拠点となる未来へ向けた構想も描く。まずは認知度アップへ、向こう3年内にRakuーP2万台分、同ライト1000カ所で1日当たり10万人の利用を目指す。
5月中には新アプリにも対応。精算に要るQRを読み込む手間が省け、駐車場検索などもできる。利用履歴は利用・運営者双方に価値あるデータとして提供。監視装置のポールは今秋には1200台を製造予定。広告や地域情報などの発信機能を持たせて付加価値を高める。先川さんは、
「ラクピー事業成立の前提となるキャッシュレス精算に限定する方法がよいのか決断に迷ったが、目的地に行くためだけの駐車場から脱し、人が動き集まり、楽しさを生み出す拠点を目指すためには必要と判断した。当社だけが勝ち組になるビジネスモデルではなく同業他社や異業種も巻き込みながら、まちづくりに少しでも貢献したい」
代理店方式で全国展開を目指す。新紙幣から生まれた駐車場のイノベーションがどんな進展を見せるだろうか。
どういう理由なのか、広島県が2年連続し、県外への転出が県内への転入を上回る「転出超過」で全国ワースト1になった。
総務省の2022年「住民基本台帳人口移動報告」によると、前年比2048人増の9207人に上り全国で最多。2位は愛知県の7910人。
転出超過の主な要因とされるのが、就学や就業にともなう若年層(20〜24歳)の県外流出。広島は全国的にも進学率が高く、中国5県で突出。行き先は東京や大阪が多い。卒業後もなかなか広島へ戻ってこない。中小企業にとって人材確保は大問題。大企業が地方での採用を強化しており、地元企業の採用環境はさらに厳しさを増す。
何とかならんのか。県は、地元の魅力的な企業を若者に知ってもらう取り組みを本格化させている。県内高校や県内外の大学で、地元経営者らによるオンライン講座、出張講座を始めた。若年層の段階から地元企業をよく知っていると、県外大学へ進学して出身地を離れてもUターン希望が高くなるという調査(独立行政法人労働政策研究・研修機構)もある。高校生・大学の低学年次から県内企業の特長や魅力を伝えていく、その第一歩から踏み出した。
前年度の高校講座は県内30校で実施。県内62社の経営者や現場担当者らが魅力を語り、計6325人の高校生が参加した。授業後のアンケートで約8割が広島での就職を意識したと回答した。
イカ天製造のまるか食品(尾道市)は、福山葦陽高校でオンライン授業。動画を使って企画・製造・営業それぞれの業務内容を説明した。新商品の試食場面や営業担当者の移動中を密着撮影した内容で、20〜30代の社員が現場の臨場感とともに伝えた。仕事で大変なことや、やりがいについての質問が飛び、企画部門では他社商品との差別化に対して「企画会議で突っ込まれて大変」、ノルマが大変というイメージが強い営業部に対して「ノルマというより、スポーツのスコアのように捉えている。いいスコアを出す、勝負に勝つ。そのために準備をする」といった仕事への意識を語り、高校生は働くことへのイメージを膨らませた。
4月から新年度が始まり、県内高校では40校で、80社の出前講座を予定。前年度に比べて大幅に増やす。大学では県内14校、県外10校(オンライン)で県内企業を紹介する講座を開く。
県は「AISAS」(注目=Attention、関心=Interest、検索=Search、行動=Action、共感=Shareの頭文字)の行動モデルに基づいて、県内就職のステップを作成。まずは県内高校生約7万人と、県内大学生5万5000人に学内授業を通じて県内企業を幅広く知る機会を提供し、興味・関心を促す。
オンラインインターンシップガイダンスや、県内企業・大学と連携したインターンシップ、地元企業で働く若手社員との交流会も計画。さらに企業自らの発信力・採用力の向上を図れるよう、自社の魅力の伝え方や発信手法のブラッシュアップも後押し。大学生が自ら地域企業を調べ、就職先として比較検討できるようつなげていく。
大都市へのあこがれが根強くある一方で、近年は地元で自分らしく働き、暮らしたいと思う人も増えてきているという。こつこつ地味だが、1人増えればやがて大きな流れになる。広島でやろうやあ。
看板サイン、広告塔、店舗内外装などを企画、設計、製作、施工するウエル・ユーカン(佐伯区湯来町)が3月で創業50周年を迎えた。ユニクログループ、トヨタ系ディーラー、ドン・キホーテ、ソフトバンク、大創産業、ツルハグループなど全国へ店舗展開する大手チェーンの“顔”ともいえる看板を製作し、信頼を築く。
掛宗智(かけむねとも)社長の父・常夫さんが1973年、中区白島で関芸(現ウエル・ユーカン)を創業。安佐南区に工場を構えていたが、その後に業績の拡大とともに移転集約しながら現在は、本社を置く湯来町の芸南テクニカルセンターと、廿日市市の県営佐伯工業団地内の安芸テクニカルセンターの2工場を設ける。大型看板や大量受注もこなし、企画段階から施工まで手掛ける一貫体制を敷く。
2019年12月期決算で売り上げ68億円を計上。翌年からコロナ禍の影響を受け、2期減収となったが、22年度は3期ぶり増収に転じ、前期比31%増の売り上げ59億5700万円を計上。営業利益は45%増の8億6800万円で増収増益だった。看板広告市場は屋外向けが3000〜4000億円で推移し、全体では6000億円規模と推計されている。同社は、業界の“壁”とも言われてきた売り上げ50億円を突破して業績が安定してきたのを見極め、「市場開拓の余地は大きい」と成長戦略を描く。
納期厳守や品質はむろん、きめ細やかな要望に応えていくために直接受注を選択。創業時からこの受注体制にこだわってきた。まだ生産体制が小規模だった頃は、納期に間に合わせるために夜を徹して製作し、ようやく朝を迎えて現場に納めることも少なくなかったという。オーダー通りにつくるだけでなく、必ず設置現場まで足を運んで実測した。市町村ごとに異なる屋外広告物条例に関わる設置申請手続き代行から年中無休365日の体制で全国対応するアフターメンテナンスまでを一貫して取り組むことにより、何より大事な顧客の満足と信頼を引き出した。
自社工場を持つことで低コスト化を図り、品質維持を徹底。技術の向上へ絶え間なく挑戦を続けてきた。今後は人材の確保〜育成、全体的な組織力の強化、将来の核となる新規取引先の開拓と受注増をこなせる設備増強などを課題にあげる。
1994年に開設した東京営業所(現・東京支店)を皮切りに97年に大阪、98年に福岡へ順々に営業所を設け、全国的な営業ネットワークを構築する。経営コンセプトに掲げる「DECSS(デックス)」は、
▽ディスカウント=低価格の追求、▽エモーション=感動・ワクワク感・新発見・驚き、▽クリエーション=創造・新しいスタイル、▽セキュリティー=安心、▽スキルフル=巧み・品質向上ーの英語の頭文字から取った。
創意・工夫・実行のシンプルな指針を基にオンリーワン企業を目指す。二つのテクニカルセンターは最先端の機械設備を整え、長年培ってきた高度な専門技術を持つ職人がそろう。掛社長は、
「創造や新しいもの造り、技術の向上は仕事に限りない夢を与えてくれる」
2020年12月に亡くなった創業者常夫氏の遺志でもある「取引先の立場に立って誠実」を重ねた50年の実績と信用こそが同社にとって一番の財産なのだろう。
酒造業界に衝撃が走った。時代とともに昔ながらの職人芸が失われていく中、国内で唯一、日本酒の仕込みなどで使われる大きな木桶(おけ)を造る藤井製桶所(大阪)が近く廃業する。部分的な機械化を取り入れてきた酒蔵が多い一方、木桶を使う手作業ならではの味がある。
賀茂鶴酒造(東広島市西条本町)は酒米を蒸す「こしき」と呼ばれる容器に大型の桶を使用。吸湿性や保温性が高く、木製にこだわる。桶の周囲に巻く竹製の輪は約3年で取り替えが必要で、桶そのものも定期的に補修しなければならない。藤井製桶所の方針を2018年に知り、社員が自らやるしかないと「木桶制作プロジェクト」を発起した。手造りの酒に豊富な経験を持つ3人でスタート。大阪から職人に足を運んでもらい指導を仰いだ。補修技術を学んだほか、小さな木桶を実際に制作。それを使い、全て手作業で天然の乳酸菌を取り込みながら酵母を造る伝統的な「生酛(きもと)造り」の商品化にこぎ着けた。同社が大切にしてきた言葉「酒中在心」を冠する新4銘柄を昨年11月に発売し、このうち生酛造りは特別純米酒「藍(あい)」、純米吟醸「橙(だいだい)」と名付けた。併せて県内の他の酒蔵の木桶補修をこなすなど、経験を積んだ。
昨夏には藤井製桶所に通い、大きな木桶制作に挑戦。ところが、最初に木を荒削りする工程からして難しい。その次は、貼り合わせるときに隙間がないように木板を削る「かんな掛け」。刃を通す位置を微調整しながら試行錯誤し、中の水が漏れない出来に仕上げた。その後、さまざまな工程をみっちりとたたき込まれ、10日かけて完成。プロジェクトメンバーで製造本部醸造蔵課長補佐の中須賀玄治(げんじ)さん(38)は、
「どういう酒を造りたいかによって適した器具がある。こしきを金属製に変える選択肢はあり得なかった。熟練の職人に太鼓判を押してもらい、達成感とうれしさがこみ上げた。大型桶の使い道は未定だが、いつか地元原料で生酛造りの第2弾を出したい」
同じ蔵元でも造り方や器具の違いが多彩な味わいを生み出し、桶一つ妥協しない。9月に創業150周年。酒造りに心を込め続ける。
初の合同蔵開き
東広島市の酒蔵10社は4月の土曜に、新酒ができたことを祝う蔵開きを初めて合同で開いている。
各蔵が週替わりで限定酒の販売や試飲会、酒蔵見学を行う。普段は日本酒を飲まない人でも楽しめるようにワークショップやデジタルスタンプラリーなども実施。1日に賀茂鶴酒造と福美人酒造、8日に白牡丹酒造と西條鶴醸造、山陽鶴酒造が担当し、盛況だったよう。続いて15日は賀茂泉酒造と亀齢酒造、22日は柄酒造と今田酒造本店、金光酒造。福美人酒造と白牡丹酒造の社長を兼務する島治正(はるまさ)(57)さんは、
「毎年秋の酒まつりは大勢の人でにぎわうが、今回は分散型のため、来場者一人一人と落ち着いて話しやすい。われわれのこだわりを深く知ってもらい、酒蔵全体の振興とファン開拓を目指す」
3月に国は「伝統的酒造り」をユネスコ無形文化遺産に提案しており、来年11月ごろに審議される見通しという。5月開催のG7広島サミットを皮切りに、ユネスコ無形文化遺産、25年の大阪・関西万博と国内外へ日本酒のうまさを伝える好機が続く。
間葉系幹細胞(MSC)を用いた再生医療の産業化を目指すツーセル(南区、日浦敏樹社長)は、広島大学発の医療ベンチャー企業として2003年4月に設立。今春で20周年を迎えた。
人の骨髄や滑膜などから採取できるMSCは骨、軟骨、心筋、脂肪、神経など多種類の細胞に分化できるという。同社は損傷した膝軟骨を再生できる医療技術の研究開発に挑み、途上で大赤字を抱え、新たな資金調達を必要としたが、金融機関は深刻な財務状況から判断して融資決定に二の足を踏んでいた。
知人からツーセルの窮状を聞いた広島市信用組合の山本明弘理事長は、真っ先に同社研究室を訪ねた。
「再生医療を通じて世界の医療や人々の健康に貢献するという経営理念を高々掲げ、臆することなく目的に向かって没頭する姿に共感した。ツーセルの再生医療技術が実用化されると膝軟骨だけでなく、さまざまな疾患の治療に応用されることが期待されているという。広島で生まれたベンチャー企業から誕生する製品によって、世界中の人々が救われる高い技術力、将来性があるのに、地元の金融機関としてここで引き下がるわけにはいかない。いつかは広島経済をけん引してくれるスタートアップを応援する使命があり、地域経済に資金が循環する仕組みが必要です」
速やかに3億円の融資を決定した。
その後、この膝軟骨再生細胞治療製品は大手の中外製薬とライセンス契約を締結。多額の契約金が入り、借り入れの全てが返済された。
もう一つ。親子二代で40年にわたり、パンの製造・配達を続ける会社が赤字、繰越欠損、債務超過の窮地に陥っていた。すでに他の金融機関から3億円の融資を受け、その返済のために所有する土地の売却を迫られていた。しかし売却に時間がかかり、返済期日までに間に合わないという一刻を争う事態。急きょ広島市信用組合に土地売却までのつなぎとして、緊急融資の話が持ち込まれた。
山本理事長は朝早く、パン工場を訪問。親子3人が手慣れた様子で黙々と作業をしている。パンの香りと熱気に、工場での仕事がどれだけ大変かが伝わってきた。この会社は地元の学校や病院に幅広く卸す。子どもの小遣いでも買える価格帯で、高齢者や病気の方も食べられるやわらかさがあった。その場で食べてみると、おいしい。
儲けは少ないが、40年続けてきた実績がある。儲けるためだけでなく、地元の人々の暮らしを支えるための仕事でもあり、地域になくてはならない工場だと直感した。ためらうことなく3億円の融資を実行。その後、土地も売れたため、その会社は資金繰りの悩みから解放され、本業に専念できる余力が生まれた。現在は新たに工場を設け、事業を広げている。そして相変わらず地元の学校や病院にパンを配達している。
こうした事例は枚挙にいとまがないという。厳しい状況に置かれている金融機関が多い中、全国の信用組合のうちトップを走り続ける。投資信託や生命保険などの手数料ビジネスには目もくれず、愚直に本業を貫く。地道な営業活動を重ねて信頼をつかんだ。同信組の経営の原点に「地元のお金は地元で活かす」という考えがある。日ごろから顔と顔を合わせる、フットワークを利かしたシンプルな現場主義を続ける。
名医にかかって命を救われるか、その機会もなく命を落とすのか、大問題である。
企業は、資金繰りがひっ迫して倒産の危機にさらされることがある。そのとき金融機関が救いの手を差し伸べてくれるか、どうか、何が決め手になるのだろうか。窮地を乗り越えようとする経営者に熱意や底力があるのか、日ごろから経営姿勢などを見極めて融資の可否を決定する金融機関の目利きにかかっているという。
「融資はロマン」と題し、広島市信用組合理事長の山本明弘さん(77)が昨年5月に創業70周年を迎えたタイミングに上梓した。入組の日から50年以上、融資に魂を込めた日々をつづる。
第2章「融資はスピードが命ー地域金融機関がなすべきこと」に次の一節がある。
ーお金を追うな、人を追え。これは私の口ぐせです。若手の頃から今日まで、私は融資一筋を貫いています。融資がスムーズに運ぶ環境を整備し「継続・集中・徹底」して現場に出向くことを大切にしています。ほかの金融機関では手の届かない、目の行き届かないところでも、融資の鍵となるポイントはいくらでも見つけることができます。「現場を見る」というのは、実は簡単なことではありません。漠然と見ていても本当のところは分かりません。なぜ業績がいいのか、なぜ設備投資が必要なのか。逆に、なぜラインが止まっているのか、なぜ清掃ができていないのか、などヒントは現場にたくさん転がっています。要は、そこに気づくか気づかないか、なのです。深い洞察力を発揮しながら、困りごとに耳を傾け、そのお客さまにとって必要なことは何か、課題は何なのかを考え、最適なタイミングで最適な融資ができるようにならなければなりません。赤字、繰越欠損、債務超過でも、経営者が事業へ取り組む姿勢や熱意、事業の中心となっている技術、その将来性を見て融資の可否を決めます。(略)
資金繰りの苦しみから解放され、本業に集中し、業績が回復するのを目にしたとき、心の底から「融資を続けてきてよかった」と思いますー。
本気で立ち向かってきた多くの場数を踏み、鍛え抜かれた職人技のようでもある。地域や企業、人の役に立っているという実感があり感動もあるのだろう。
医療ベンチャー企業への融資事例(要約)にその真骨頂が見て取れる。
2003年に起業したバイオベンチャー企業であるツーセルは広島大学と連携して、間葉系幹細胞(MSC)を用いた再生医療に取り組み、損傷した膝軟骨を再生できる医療技術の研究・開発を進めている。その頃のツーセルは赤字、繰越欠損、債務超過というベンチャー企業の典型でユニークなビジネスモデルでありながら、売り上げはゼロ状態。すでに数億円の大赤字を抱えていた。新たな資金調達を必要としていたが、他の金融機関は財務状況の悪さから融資を見送っていた。しかし研究・開発に没頭する社長と従業員の姿があった。MSCを用いた膝軟骨再生細胞治療製品の話のほか、社長が高いビジョンを持ち、腰を据えて取り組む姿勢を見て、その人間性にほれ込んだ。業務中の着衣の値段を伺うと想像以上に高額で、研究室の外に出るとすぐに廃棄しなければならないほどに衛生管理を徹底しており、莫大な費用が必要という。ー融資後のことなど次号で。
国を守る士官養成の教育機関として、海軍兵学校は1888年(明治21)に東京の築地から江田島へ移転。いまは海上自衛隊の第一術科学校がある。JR西日本グループの広成建設(東区上大須賀町)は昨年春、新幹線の線路やトンネルなどを再現した「江田島研修センター〜み・ら・い〜」を開設した。全国的に珍しく、鉄道ファンをはじめ観光関係や教育機関からも関心を集めている。
廃校となった旧切串中学校を3階建て研修施設にリノベーション。1万3000平方メートルの校庭に新幹線の線路や新幹線分岐器などのほか、在来線のホームや踏切を設けた。4月から協力会社なども加えて本格的な活用を始める。半田真一社長は、
「教育の場として伝統のある江田島市の中学校が廃校になる話を耳にし、未来へつなげる研修センターの立地を決めた。眼下に瀬戸内海が広がる見晴らしも素晴らしい。ある会社の研修施設からは富士山が見渡せ、学ぶ場に眺望は大切だと思う。宇品港や天応港からフェリーが出ており、海上交通のアクセスに恵まれている。研修などで多くの関係者が出入りすることにより、少しでも地域貢献できればうれしい」
中学校から巣立った生徒たちの思い出を残したいと、学校の名前が刻まれた門扉や校歌などは玄関に保管。外付け立体フレーム等の耐震補強を施して、教室の面影をなくさないように配慮したほか、校庭跡に設けた在来線の駅名は地元の小学生から公募。地域に開放し、すでに切串町民の多くが訪れたという。社会見学の場に生かすほか、鉄道ファンらが訪れる施設としても地元の期待は大きい。
「宿泊や飲食関係などはできるだけ地元活用の仕組みをつくり、事務職員は地元の方を雇用。明岳周作市長からは子どもたちの見聞を広めてくれると喜んでもらった。線路のない江田島の小学生は鉄道に触れる機会が少なく、まして新幹線の線路の上を歩く経験はできない。鉄道へ夢を育む場になり、鉄道を志すきっかけになればその意義は計り知れない」
新幹線大規模修繕計画
1999年に山陽新幹線の福岡トンネルでコンクリート塊が落下する事故があり、走行中の新幹線を直撃。幸いにも車両の脱線はなく、人的被害はなかったが、ダイヤの乱れで十数万人の乗客に影響が出た。老朽化対策として、2028年から10年間、約1500億円をかけて山陽新幹線の大規模修繕を実施する計画だ。新幹線を止めることはできず、その点からも事前に最適な修繕方法の実証を確認する施設が必須だった。今後3年間で修繕方法を確立させる予定。トンネル上部を補強する方法は材質一つとっても時速300キロで走る新幹線の風圧等を十分に考慮しなければならない。わずかな品質の差が安全上問題はないか、検証に検証を重ねる。修繕作業は夜中の限られた時間を使うほかない。早朝には通常通り新幹線を走らせるために機材の搬入や搬出などの効率的な方法を確立し、1日の作業時間の最大化を目指す。
「新幹線は国の重要なインフラであり、将来をつなぐ貴重な財産、長期的な計画で修繕サイクルを見通しており、われわれには後の世代が新幹線を安心・安全に利用してもらえるよう全力を尽くす責務がある。それを誇りに日々精進したい」
大手の車メーカーでは考えられない手法を採用する。まだ開発段階だが「車体は黄色が好みです」「バッテリー交換の頻度はどれくらいですか」などとチャットに矢継ぎ早に意見や質問が書き込まれ、リアルタイムに返答する。
超小型EVモビリティーを開発するスタートアップ、KGモーターズ(東広島市)による配信動画内での視聴者とのやり取りの様子だ。開発過程の大半を動画投稿サイトのユーチューブで公開。チャンネルの登録者数は19万2000人に上り、秘匿性が高い情報を限定公開する月額790円の有料コミュニティーには300人以上が登録する。楠(くすのき)一成社長(40)は、
「今ではこのコミュニティーなしに開発はあり得ない。大手メーカーや部品関連のエンジニアをはじめ、全国から有益な情報がどんどん集まってくる。商品化したときの有力な購入候補者でもある」
開発中の車両は全長2.5メートル、幅1メートルほどの一人乗り。100キロ未満の短距離移動に特化して設計する。国内で最小の車両規格である「第一種原動機付自転車(ミニカー)」に該当し、車検は不要。家庭用電源で充電でき、一般の軽自動車の10分の1の維持コストで済む計算だ。
「呉市出身で学生時代に新聞を配達していたが、道が狭くて坂も多く、歩いて配っていた。住民も軽自動車のミラーをたたみ、タイヤの半分を側溝にはみ出してようやく通れるというありさま。その頃からすいすい動く超小型車両の構想を描いていた」
2005年に23歳で車両販売・修理会社を設立。軌道に乗せた後、18年に共同経営者に経営権を譲渡。車両やバイクをカスタムする動画配信チャンネル「くっすんガレージ」をスタートさせた。ユーチューバーへの転身に反対する人もいたが、決意は固い。カスタム車を制作過程から公開する動画はすぐに人気を呼んだ。2年後にグーグルジャパンから社会・文化・経済分野へ影響を与えた動画クリエーター101人に選ばれた。
相前後して配信内容をEVモビリティー開発に移行。今年1月に開かれた東京オートサロンでプロトタイプを発表し、全国のメディアで取り上げられる。
「ユーチューバーになったのは、影響力を得るため。資金力の乏しいベンチャーが事業を加速させるために不可欠な要素だった。実はオートサロンへの出展は一度落選しており、たまたま視聴者の方がスペースの一部を譲ってくれるという話になり実現した」
ネットワークの威力を痛感した。25年の量産開始を目指し、車両をリースで貸し出す実証実験の参加者を全国で100人募ったところ、5000人以上が殺到し、早々と受付を締めた。昨年12月には石油元売り大手のENEOSホールディングスの起業家支援プログラムに採択され、共創を開始。そのほか複数の有力企業とも商談を重ねる。
「ものづくり分野の資金調達は想定よりもずっと難しかったが、オートサロンで風向きが変わった。当社にとって広島にマツダを中心としたサプライチェーンがあることも相当重要だ。地場サプライヤーの協力を得て、日本で18番目の車メーカーを目指す」
海外進出も見据える。脱炭素化の世界的な流れを追い風に受け、ひた走る。
全国トップクラスの建築金物メーカー、丸井産業(西区商工センター)グループは3月1日、大竹市晴海に大型複合施設「SIMOSE」の中核となる「下瀬美術館」をオープンした。アートの中でアートを観る。建物自体もアート作品として鑑賞できる斬新な意匠を凝らす。
設計は世界的な建築家の一人で、プリツカー建築賞などの受賞歴がある坂茂氏。(財)下瀬美術館が運営に当たる。開館セレモニーで下瀬ゆみ子社長は、
「コレクションを一般公開したいと創業60周年を機に、プロジェクトを本格始動しました。創業の地で美術品を通して公共の福祉に貢献し、瀬戸内海を望む素晴らしい景色とともに、国内外のお客さまに親しんでいただきたい」
同社創業者で父親の福衛さんと母親の静子さん、長女で三代目のゆみ子社長が50年余りをかけて収集した絵画や美術工芸品約500点を中心に展示する。初年度の来館目標は15万人。
子どもらが元気に遊ぶ晴海臨海公園に近い敷地4.6ヘクタールを県から購入し、企画展示棟約1600平方メートルのほか、瀬戸内海の島々に着想を得たという、水面に浮いているように見える八つの可動展示室。エミール・ガレが愛した植物にちなんだ庭園、子会社ShimoseA&Rが運営するカフェ、4月に開業予定のヴィラ式宿泊施設とフレンチレストランを整備する。地元の人には見慣れた景色だが、世界で勝負してきた坂氏の設計意欲をかき立てたのだろう。遠くの山と海に囲まれた自然の風景に溶け込み、見事な華を咲かせている。
発明家の目線
表座敷に用は無い。必要なものはウラにある。福衛さんの口癖で折々、本誌の取材に応じて特有の経営観、考え方などを述べている。
ー戦後10年余り。細々と建材を販売していたところ、どこの建築現場でもコンクリートのスラブから天井をつるす作業に苦労していることに気付く。これをヒントに埋め込み金具を工夫して独特な丸井式インサートを開発し、1968年に西区に会社設立。作業効率が格段に上がったものの当時の建設業界では新進工法はなかなか受け入れられず、普及のため現場への直販システムを採った。これが飛躍的な発展を遂げる原点になった(74年3月2日号本欄)などの記述がある。
営業の最前線から直接届いてくるユーザーの声に耳を傾け、建設業界の合理化と省力化に貢献したその価値は大きい。「創業の原点は新製品に在り」というシンプルな企業理念を掲げる。数々の特許、実用新案などを取得。「表座敷に用は無い」と語ったその言葉から発明家、経営者としての鋭い目線がうかがえる。業界屈指の開発力、技術力には定評があり、全国に営業拠点を張り巡らす。昨年5月期売り上げは約487億円。
地域に貢献
美術館のロビーからは空と島々と海の織りなす景色が広がり、さざめく海の輝きや春風の匂いさえも届いてきそうだ。日が沈めば観光スポットになったコンビナートの夜景が浮き上がる。大竹の新名所として宮島からフェリーと車で30分、岩国錦帯橋からは車で25分の立地。広島広域都市圏の観光地との連携も視野に入れており、自治体や地元企業も巻き込んで地域を盛り上げていきたいという。