広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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スポーツ応援談― SPORTS TALK―

広島の経営者、注目のビジネスパーソンの「お気に入りのスポーツ」チームを紹介。

  • 2021年7月22日号
    サインティ / 廣森 政宣 社長

    小学生の頃、カープのファンクラブに入るために一人で、自宅のある廿日市市から自転車で市民球場へ。しかし保護者同伴でないと入会できず、そのまま帰ったのは良い思い出です。両親が共働きで球場になかなか連れて行ってもらえず、いつもテレビやラジオ中継で観戦していました。中学生になってからはスコアブックを付けていました。試合中に友達が遊びに来て中断させられ、何度も嫌な思いをした記憶が残っています。
     美容師になってからは唯一休みの月曜に試合がなく、カープが疎遠に。現在は美容室を閉じ、ヘアゴム「アンニュ」の製造に特化しており、再び観戦できるようになりました。今季のカープは低迷していますが、若手が活躍。彼らが数年後に花を咲かせてくれると期待しています。
     2013年にアンニュが広島市のひろしまグッドデザイン賞を受けたのを機に、スペースエイジの吉岡社長から声を掛けてもらい、カープバージョンの2色を発売しました。吉岡社長とは学生時代にバンド活動でつながりがあり、縁を感じます。カープのロゴが入った自社商品は、まるで夢のようでした。球場で知らない人が付けている姿を見るのは感慨深いです。
     カープ選手の頑張りはファンに元気を与え、広島の経済に潤いをもたらします。コロナ禍で球場での観戦客数が制限されましたが、以前のようにファンが集い、真っ赤に染まった球場で選手を応援したいですね。

  • 2021年7月15日号
    ワカバユニフォーム / 南 真一 社長

    「昭和の黄金期」を見て育った私は、幼い頃から家族で市民球場によく足を運んでいました。48歳となった今でも忘れられないエピソードがあります。
     小学低学年のころ、レフトスタンドで試合前の打撃練習を見ていたところ、打球が体に直撃。警備員の付き添いで母親と球場内の医務室へ向かうことに。普段、目にすることのないダッグアウト裏で、緊張しながらも痛みをこらえる私に声を掛けてくださったのが、憧れの投手江夏豊さんでした。警備員に代わり、抱えて運んでくださいました。興奮冷めやらぬまま診察台に寝かされると、様子を見に来られた監督の古葉さんからも声を掛けていただきました。大スター選手や監督の心遣いに子どもながらに感激し、一層カープファンになった瞬間でしたね。
     強いカープに刺激を受けてソフトボールを始め、地元・安芸区の阿戸中学校軟式野球部に入部。小学生の頃からの友人と練習に打ち込み、中学3年時には市の大会で初の3位になりました。けがでしばらく野球から離れましたが、社会人となり、当時の仲間と草野球チームを結成。20〜30代は毎週のように汗を流したのも良い思い出です。
     セ・リーグ3連覇を成し遂げた「平成の黄金期」の反動か、苦しい状況が続いています。こうした時こそ、黒田さんや新井さんなど球界を代表する選手を生み出した育成球団の本領発揮に期待。栗林、森浦、大道投手の3ルーキーを含め、才能のある若ゴイが多くいます。中堅、ベテラン選手との競争をあおり、次なる黄金期に向けて力を蓄える時期だと思います。

  • 2021年7月8日号
    チェリーゴードサービス / 源 良友 社長

    府中石田学院グループで医療・福祉・介護コンサルティングサービスを手掛けています。
     南区出身で修道中・高校時代は野球部に所属し、ショートを守りました。高校2年時には1年間で1回も試合に勝てず、28連敗を経験。運動神経は良い方だと思っていましたが、そのうち4〜5試合は私のファーストへの悪送球が原因だった思います。カープ入団当初に守備が課題だった堂林選手が私自身と重なり、特に応援しています。息子と同じ年齢ということもあり、子どもを見守るような気持ちでいます。昨年は守備でファインプレーをしたり、ライトスタンドにホームランを打ったり、活躍してくれてうれしかった。今年はまだあまり活躍できていないのが残念。彼は真面目過ぎる性格で、いろんな人のアドバイスを全て受け入れてしまい、調子を崩しいやすいのではと心配している。
     昔から野球が好きで、当時応援していた江夏豊さんの〝江夏の21球〟は人生で興奮した瞬間のトップ10に入ります。直球でぐいぐい行くよりも、緩急をつけるタイプが好きで、仕事においても戦略を練るのが好きです。大学卒業後は野球部の監督をしながら教壇に立ちたいと思い、公立中学校の教師になりました。その後、企画会社やスポーツショップを経営し、現場で商売のノウハウを学びながら、1999年に(社福)FIG福祉会チェリーゴードに入り、当社設立の2005年から現職です。会社で年間指定席を6席購入しており、年に何回か球場に足を運びます。以前のように皆で声を出して応援できる日が待ち遠しい。

  • 2021年7月1日号
    新庄みそ / 山本 美香 社長

    当社がある西区の三篠にはかつて選手が住む「三省寮」がありました。学区内には衣笠祥雄さんや野崎泰一コーチも居住し、小さい頃から生活の中にカープの存在がありました。誰かは分からないのですが、近所の公園でキャッチボールしている選手にサインを書いてもらったことも。初優勝は小学校5〜6年の時で、クラスメートと応援歌を歌って盛り上がったのが懐かしい。
     以前はマツダで働いていて家業を継ぐ気はありませんでしたが、家庭の事情もあって40歳目前で入社。最初はパートとして経理学校に通いながら少しずつ経験を積みました。社長就任後は会合などで選手の講演を聴く機会が増え、生き様や組織運営などいろいろなことを学ばせていただいています。その際、衣笠さんに「(当社のある)三篠は僕の原点だったよ」と声をかけてもらったのが印象に残っています。木下富雄さん、達川光男さんとも仕事の中でご縁をいただき、ありがたく思います。
     試合があるだけで「うきうきわくわく」。カープは広島人にとって元気の源だと思います。旧市民球場時代から年間シートを保有し、社員と一緒に観戦することもあります。2014年には「球団公認商品を作りたい」との社員の声からパッケージにカープ坊やをあしらった「みそピーナッツ」を商品化しました。カープは若手の育成に長けているので、森下暢仁選手らに希望を持って頑張ってもらいたい。当社でも一人一人の良いところを上手に伸ばしていきたいですね。カープと同じく、チームワークを大切に、みそ作りにまい進します。

  • 2021年6月24日号
    ミライワーク / 前田 裕生 社長

    メンタル不調者などの復職支援などで昨年に創業しました。リモート訓練なども取り入れながら、コロナによるうつなどで調子を崩している人や外出を控えたい人にも対応しています。
     幼い頃からソフトボールのほか、剣道では全国大会にも出場していましたが、漫画「スラムダンク」に影響されて小学5年生からバスケットボールを始めました。以来30年続けており、前職の損保ジャパンのクラブチームや広島の社会人クラブチームにも所属。毎週土曜の練習に参加し、休日は自宅用に購入したトレーニングマシーンで筋肉・体力づくりにも励んでいます。
     ドラゴンフライズは年に2〜3回観戦に行きます。朝山正悟選手は私と同じ関東出身で年齢も一つ下。中高時代から強豪校の有名な選手でした。当時から雑誌「月刊バスケットボール」にも取り上げられるなど、雲の上の憧れの存在。現役でプレーする姿を広島で応援できるのはうれしい。岡崎修司ゼネラルマネージャーはHBMS(県立広島大学大学院経営管理研究科)の同期。チームの収益拡大を目指すという彼の研究内容が来シーズンの選手獲得に反映されているように思います。スリーポイントシューターの辻直人選手は川崎ブレイブサンダースの主力で長年活躍しており、東京五輪にも選出されるなど日本を代表する選手。2020−21シーズンでB1得点王のニック・メイヨ選手も獲得したほか、ガードも補強して、ヘッドコーチも変わり、より注目が集まると期待しています。
     来季はぜひプレーオフ進出を達成してもらい、後半も熱く盛り上がりたい。

  • 2021年6月17日号
    広島市郷土資料館 / 山縣 紀子 学芸員

    東京五輪に合わせ、「沸き立つ!昭和39年−57年前の広島−」を企画。新型コロナで中断(6月22日再開予定)していますが、7月11日まで開催予定で、7月22日〜9月5日にもパネル展を計画しています。
     市民から写真や資料を募り、①昭和39年当時の広島、②聖火リレーの構成で展示。当時のテレビ、冷蔵庫、洗濯機の3種の神器、広島駅、太田川放水路、マツダ本社工場と宇品工場をつなぐ東洋大橋などの工事写真、丹下健三氏設計の平和の灯の点灯式、福屋の増築工事、当時の八丁堀、紙屋町交差点、旧太田川沿いの原爆スラムの写真のほか、広島エイト倶楽部の聖火リレーの8ミリ映像(14分)、聖火リレー県内第1走者の三浦敬弘氏のランニングシャツ、委嘱状、聖火リレー広島県実施要項、東海道新幹線開業記念特急券、東京五輪記念鉛筆、記念硬貨、記念切手、三波春夫のレコード東京五輪音頭などを紹介しています。当時のレジャーブームを示す楽々園遊園地、元宇品海水浴場などの写真も掲示しました。
     展示している当時の広島市の地図を見ると、西は八幡川、北は祇園大橋など合併前で面積が小さく、人口は50万人を突破。敗戦から19年後の広島の写真や資料で、復興の様子を感じることができます。聖火リレーは見学者が多く、現在との意識の違いも見てとれます。私自身カープファンで、新型コロナが広がる前は年に30試合程度、球場で観戦していました。関連企画として、昭和39年に沖縄からカープに入団した安仁屋宗八さんの講演会も秋に予定しています。

  • 2021年6月10日号
    備北交通 / 山根 英徳 社長

    所属する庄原市カープ応援隊は結成17年目を迎えます。当社のバスを貸し切って球場へ行き、ほぼ全てのホームゲームのライトスタンド指定席40席を庄原のカープファンで埋めています。リーグ3連覇時の年間参加者は3000人を超えました。今季のカープはコロナ禍で試合が9回打ち切りになったり、最近は主力選手のコロナ感染などの影響で苦しい状況が続いています。応援隊も庄原市で感染が広がったことで10試合のツアーを中止。選手を庄原に招く庄原版ファン感謝デーや、日南キャンプへの激励訪問など多くのイベントも断念しました。
     しかし例年通りのイベントができない中で、コロナ禍ならではの取り組みを実施。クリスマスシーズンには森下・宇草・韮澤選手のサインをプレゼントするキャンペーンを行ったほか、沖縄の1軍キャンプと映像をつなぎ、佐々岡監督へのオンライン贈呈式実施など、庄原からカープ選手を応援し続けています。
     2015年から始まった庄原版ファン感謝デーには備後(BINGO=あたり)庄原伝説といわれるうわさがあるんです。過去に出演した鈴木・野間・九里・坂倉・中村奨成・小園選手ら多くの新人選手がブレイクを果たしています。今年は2年ぶりの開催を目指しており、新たな若鯉の飛躍のきっかけになればうれしい。16年には永川・梵選手のイラストが入った旧ラッピングバスに乗り、優勝パレードに参加したことが良い思い出ですね。いつかカープが日本一になったパレードで、選手と一緒にラッピングバスに乗ることを夢見て応援しています。

  • 2021年6月3日号
    大旗連合建築設計 / 伊藤 智宏 取締役

    当社の納涼会は毎年ラグジュアリーフロアでのカープ観戦です。家族も呼んで一緒に大きな声で応援しています。残業中もネットニュースの1球速報を横目に仕事をしながら、カープのチャンスだけはTVを見に行く社員もいるなど、職場に溶け込んでいますね。つい先日も施主や施工会社などお取引先と観戦へ。カープを一緒に応援するだけで、自然と一体感が生まれます。野球などスポーツ観戦は好きなのですが、観戦勝率が低いのが悩み。中村奨成選手が出場した全国高校野球の決勝戦も甲子園に駆け付けましたが、広陵高校の夏の選手権大会初優勝をこの目で見ることはかないませんでした。修道高校から大学に進学し、東京で生活すると、ジャイアンツや野球の話はほとんど耳にしませんでした。カープがある日常を知る身としては信じられなかったですね。進学などで離れると余計に愛着がわくのも広島県民ならではだと思います。
     5月6日付で、本社を大手町3−8−24の6階建てビルに移転。築35年超の物件をフルリノベーションし、1〜3階に吹抜やフロアをつなぐ「アクティブステップ」(オープン階段)を設けました。ノートPCを片手に自分で働く場所を選び、移動の際に目に触れたものや、ふとした出会いから生まれた交流で新たなひらめきを期待しています。本社移転に際して、コチョウランなどたくさんのお祝いの品をいただき、改めて多くの方に支えられて当社が成り立っていると実感しました。感謝してもしきれません。カープも広島県民みんなが支えているので、ここからぜひ巻き返してもらいたいですね。

  • 2021年5月27日号
    大和興産 / 宮越 城児 社長

    安佐北区に本社を構え、賃貸仲介、不動産売買、土地活用に関する事業などを展開。県内での認知度を高めたいと、2019年から元カープ選手の新井貴浩さんをイメージキャラクターに起用しています。
     常にがむしゃらにプレーし、誰よりも努力する姿勢は素晴らしく、多くのファン、元チームメイトから愛されている方だと思います。そんな誠実で真っ直ぐな人間性にほれ込み、断られるのを覚悟でオファーしましたが、快く引き受けてくださいました。
     撮影当日、肩幅が広く胸板の厚い大柄な人で驚きました。テレビで見るままの明るい人柄で気さくに振る舞ってくださったり、NGシーンで思わず笑ってしまったりと、終始和やかな雰囲気で撮影が進みました。私は新井さんと年齢が近く、県立広島工業高校の同窓で、お世話になった先生や校風など、思い出話に花を咲かせたことも印象深い。賃貸編、土地活用編、遮音アパート編の3パターンを撮り、「テレビCMを見たよ」と、さまざまな方面から多くの反響がありました。新井さんのおかげで当社の認知度は格段に向上し、改めて県民に愛されている方だと感じます。
     現役時代から佐々岡監督ファンの妻と一緒に年数回、球場に足を運びます。注目選手は投手キャプテンを務める大瀬良大地選手。けがもあり、苦しいシーズンを過ごしていますが、チームのために本来の力を発揮してほしい。もちろん勝敗も大切ですが、新型コロナ禍の今だからこそ、各選手の躍動やひたむきなプレーで広島を盛り上げてほしい。

  • 2021年5月20日号
    横山セイミツ / 横山 宗治 社長

    当社は約150年前に製針で創業し、針製品やプラスチック成形などOEMが中心の町工場です。33歳のとき、父の他界を機に入社。安佐南区長束の本社からは旧広島市民球場のナイター照明が見え、父親に連れられて球場に行きカープファンになりました。
     後継してからは、次世代のものづくりや働き方を検証する活動の一環で、CADや3Dプリンターを導入。職務発明取扱規程なども整備しました。その過程で2009年に「赤ヘル耳かき」を開発。ホームセンターで購入した樹脂棒を切削して、遊び半分で試作したのがきっかけでした。当時売れないと言われましたが、10年を超えるロングラン商品に。その後も「ペットボトルオープナー」や「応援しゃもじ」を開発。オープナーは、苦心の末に30と32ミリメートルのキャップ全てに対応する形状を開発。しゃもじはプラスチックの特性を生かした遊び方や使い勝手を追求して改良を繰り返し、今では有名アーティストのライブ用に依頼を受けるほか、野球以外のプロスポーツからも注文が来るようになりました。
     21年に新発売の「カップホルダー」は、観戦時に飲み物を片手で2つ持てたら便利だという社員のアイデアから生まれた商品。ファン目線でも喜んでもらいたいという願いが込められています。縁あってカープ商品の企画制作に携わっていますが、球団や選手だけでなく、ファンも応援したいと、ものづくりに思いを込めています。

  • 2021年5月13日号
    はしおか社会保険労務士事務所 / 橋岡 雅典 所長

    息子2人が小学校からリトルリーグ、ボーイズリーグで野球を始めたのをきっかけに、私も審判としてグランドに立ちました。講習を受けて一から学びましたが、奥深く面白い世界ですね。主審と塁審の4人がサインを出し合い、打球やランナーの状況によって連係し動いています。公平性は当然のこと、一つのジャッジが試合を左右することもあり、緊張感があります。少年野球と言えど、選手は真剣に試合に向き合っており、半端なジャッジはできません。瞬間の判断に迷うこともありましたが、それでも正確な判断が求められます。次男が小学6年生の時、最後の春の全国大会予選決勝で2塁審を担当した時は、ひどく緊張しましたね。
     カープの試合でも審判の判断が勝敗を分けたことがあります。2015年の対巨人戦。9回1死満塁で主審が塁審のインフィールドフライの宣言を見落とした結果、カープがサヨナラ勝ちしたことがありました。17年4月にはアウト、セーフの誤審と思われる判定が1試合で2度続き、1塁審に抗議した緒方監督が退場処分になった試合も。審判の責任は重たいですね。実体験からつくづく思います。
     カープで好きな選手と言えば、ひたむきなプレーの新井選手と、メジャーから戻ってきてくれた黒田投手です。2人が優勝で抱き合ったシーンは感動で忘れられません。今は若い選手らが活躍しており、期待は大きい。監督の采配次第ですが、優勝できる可能性はあると信じています。コロナで不透明な時勢ですが、カープが広島の明るい希望になってほしいですね。

  • 2021年4月29日号
    生協ひろしま / 恵木 尚 理事長(恵木尚法律事務所代表)

    太平洋戦争の終戦は4歳の時。おもちゃなどなく、布に糸を巻いて作ったボールとバット代わりの棒きれで野球ごっこをして遊んだ。小学3年だった1950年に球団が設立され、当然のごとく応援するように。地元の音戸町からバスで呉市二河野球場(現鶴岡一人記念球場)の試合に足を運んだ。
     当時のカープは大赤字で、シーズン終わりに監督・選手が県内の映画館を回ってカンパ集めをしていた。私も「カープ存続のために」とラムネを我慢し、たる募金に小遣いを入れたものだ。存続もままならない時代を知っているからこそ、思い入れは人一倍強い。弁護士になって数年目に念願の年間指定席を購入。以来、ここぞという試合は必ず球場に行き、ワインやビールを楽しみながら観戦している。
     弁護士5年目の時にカープが初優勝。仕事を放り出してテレビにかじりつき、戦況を見守った。優勝が決まった時間の1975年10月15日5時18分は今でも暗唱できる。巨人・西本聖のデッドボールに倒れた翌日にグラウンドに戻り、連続出場の記録を作った衣笠が当時のカープの原動力だったように思う。印象に残っているのは2回目の優勝後、選手・監督が球場内を一周した時の一幕。けがをして前線を外れ、後ろの目立たない場所を歩いていた外木場義郎を衣笠が前に連れてきてフラッグを持たせた。間近で見ていた私は「なんと気遣いのできる人だ」と感じ入った。
     今季、優勝するにはベテランの頑張りに若手が食らいついていく必要がある。森下ら若手に期待している。