広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

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コラム― COLUMN ―

広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。

  • 2021年11月18日号
    尾道から世界へ

    業務用洗濯機で国内トップ級の山本製作所(尾道市)は米国を中心に海外展開を加速し、2027年に現在の約2倍の売上高100億円を目指している。目標達成に向けて果敢に設備投資し、もっか世界一の自動車メーカーのトヨタ式現場改善に取り組む。
     山本尚平社長(64)は、
    「社長に就任し、世界市場への挑戦を宣言してからはや20年。従業員は191人まで増え、23年の山波工場完成時には230人体制を見込む。これまで現場オペレーションや工場運営、品質管理などの改善を繰り返してきたが、世界で戦うにはまだ不十分。現場改善に終わりはなく、常に新しい課題にチャレンジしていきたい」
     トヨタ生産方式に関する書籍を読みあさり、昨年の秋頃から同メソッドを採り入れ始めた矢先、トヨタ自動車のインドネシア法人社長を務めた伊原木秀松氏(72)との出会いがあり、8月から月に3日半の現場改善指導を受ける。ここ20年で会社売上高は約3倍の50億円にまで成長。競争力の源泉とされる内製化率は約95%を占め、正直なところ、ある程度の自信があった。さっそく伊原木氏に工場を見てもらい、
    「絞ればまだ改善点が出てきますか」
     と聞いたところ、絞らなくても水が出ると一喝。
     まずは数万点以上ある部品の製造工程のフロー作成から始めた。例えば、洗濯機のドアにゴムを取り付ける作業では、どの指をどの角度で使って何㏄の接着剤を使うのか、何秒間押しつけるのか、誰が接着剤の量を測るのか。それら全てを決める必要があるという。また、前傾姿勢になる作業をした場合は何点と動作ごとに定め、点数が一定以上になると重労働と定義。
    「世界で戦うにはここまでやらないといけないのかと驚いた。トヨタは2兆円を超える利益を稼ぐが、現状維持ではつぶれてしまうという意識が強い。世界最高のオペレーションシステムや考え方にじかに触れるチャンス。全てを吸収したい」
     組織体制で品質管理の部署をつくるのか、迷って相談をすると、一つ一つの部品がしっかりしていればそんなものは必要ないときっぱり。顧客からのクレームは月に1度社内でフィードバックし、会議で原因究明と対策を行ってきたが「生ぬるい」と指摘されて全てやり直すことにした。相対的にクレームの数が減れば良いのではなく、完全にゼロにしないといけない。特にヒューマンエラーは許されないと徹底している。
    「在庫が多いのは会社の欠点を隠す、マネジメント能力が低い証拠。そうしたひと言、ひと言が突き刺さる。トップが決めてやらされている会社も多いが、幸い、山本製作所は全員が目の色を変えて真剣に取り組んでいると評価してくれた。最初からトヨタと同じ事はできないと思いたくはない。生産性が上がって従業員の給与が上がるのが理想。一人一人のモチベーションを上げるため、人事評価システムについても更新中。業績と給与体系をよりリンクさせたいと考えている。外注の品質を高めるのは大変だが、弊社は内製化率が高く、内部で管理できるのが強みだ。尾道から世界へ。ワクワク、ドキドキしている」

  • 2021年11月11日号
    世界市場に挑戦

    業務用洗濯機で国内トップ級の山本製作所(尾道市長者原)は同市山波町に新工場を建設し、生産能力を現在の約2倍に引き上げる。年内に着工し、2022年秋頃に山波第2工場(倉庫と試運転ライン)、23年秋頃に同第1工場(製缶と組立ライン)を完成予定。米国を中心に海外展開を加速しており、27年に現在の約2倍の売上高100億円を目指す。
     創業は1947年。〝真似(まね)るより真似られるようなマシンを創る〟という信念で独自の技術を開発してきた。業務用洗濯機やコインランドリー用機器、リネン業界向けロールアイロナーなどの製造・販売を手掛ける。ほぼ全ての加工部品を自社生産し、競争力の源泉とされる内製化率は約95%。他社に依存しない生産体制を築くことで、滞りのない半永久的な部品供給と価格競争を可能にしている。
    「国内の洗濯機メーカーで世界を相手に勝負しているのは今でも私どもだけです。〝フォー・エバー・マシン〟と呼ばれる、部品を交換すれば一生使える信頼性の高い機械を提供していきたい」
     創業者で父親の山本卓二さんの後を継いだ尚平社長(64)は新たな目標を定めた。02年に社長就任の直後、経営幹部らと視察したドイツ・フランクフルトの展示会で自社製品が世界に通用しないと知り、落胆。しかしこれが一大転機になった。世界で戦えないと会社の将来はないと考え、世界へ挑戦すると宣言した。
    「07年頃から米国市場に挑戦できるようになり、それから私の仕事人生が充実してきたように思う。現在はアジア全域、オーストラリア、ヨーロッパへ販路を広げている。世界市場を念頭に製品を開発する、他社が簡単に真似できないビジネスモデルを構築する、この2点を大本に据えている。製品だけでなく、働き方やデザイン、ブランド力、従業員の目標意識などの全てが良い方向に進んだ」
     20年12月期売上高は就任時から約3倍の43億9900万円。今期は50億円を優に超える見込みだ。地域の製造業で最高額の給与水準にするため、大卒初任給を23万7300円に設定。「人本(じんぽん)経営」を基本とし、世界水準の福利厚生を目指している。
     山波町の新工場は約13億円を投入し、敷地面積約1万1000平方メートルに2棟で延べ床計3010平方メートルを計画。第2工場の倉庫は当面の間、完成品置き場として活用し、将来は生産ラインへの転用を構想に描く。既に本社敷地内で新たな工場が稼働に入り、生産能力強化に向けた設備投資を積極的に進めてきた。
     19年に約20億円を投じ、材料の切断から曲げ加工、廃材の仕分けまでの全行程を自動で行う世界初の板金複合ラインなどを導入した工場約5200平方メートルを稼働させている。21年5月に約3億7000万円をかけ、水洗機組立ラインと各種部品のピッキングを効率化する自動倉庫を備えた工場約800平方メートルを増設した。近年、市場拡大する国内のコインランドリー事業や病院・福祉施設向けなどの需要を取り込むほか、世界最大のマーケットである米国で毎年5割増の成長を見込む経営計画を立てる。
     設備投資は盤石。世界で勝負するためのトヨタ式の現場改善など、次号で。

  • 2021年11月4日号
    ロボットに着眼

    右か、左か。岐路にぶつかって一瞬で決断を迫られるときがある。考えに考え、ようやく決断することもある。いずれにせよ、社長の采配は最終決定。みんなが「よし、やろう」と奮い立つかどうか。
     マツダを主力に、工場メンテナンスなどを手掛けるメンテックワールド(東広島市)が10月で創業60周年を迎えた。新たな事業へ挑戦し、次の時代に立ち向かう構えだ。
     車産業は百年に一度の変革期に直面し、AIなどの技術開発が急ピッチで進む世界の潮流をつぶさに視察した小松節子社長は、
    「労働生産人口が縮小する日本の事情も踏まえ、時代が求めるロボットに着眼した」
     瞬く間に10のプロジェクトチームをスタート。いろんな専門部門から3〜6人を抜てきし「T&B(テクノロジー&ビジネス)カフェ」と命名。カフェにはプロジェクトメンバーが集まり、アイデアを生み出すという意味を込めた。
     各チームで統一テーマを掲げる。例えば、介護用ロボット、クリーンエネルギー、消毒用洗浄機システム、スマートシティ、バーチャル、テレワークナビなど。さっそく成果が出た。細菌やウイルスを除去するデンマーク製の自律走行ロボット「UVDロボット」の第1号を、このほど広島国際空港に納品した。新型コロナウイルスにも効果があるとし、感染予防などに心を砕く空港にとって力強い味方になってくれそうだ。中四国の空港では初めて。
     紫外線UV‒C光を照射して細菌やウイルスを99.99%除去するという。完全自立移動し、センサーで人や障害物を自動回避。タブレットなどで操作できる。昨年末に同ロボットの販売代理店を取得。レンタルなども手掛け、海外で実績のあるオフィス、ホテル、病院、学校などでの需要を見込む。
     2月に本社工場1階の一角に「ロボットセンター」を開いた。UVDロボットほか、単調で危険な仕事から人を解放する協働ロボット「ユニバーサルロボット」、介護など働く現場での負荷軽減や日常の力仕事をサポートする「マッスルスーツエブリィ」、自社開発の粉塵(じん)抑制装置や剥離洗浄機などの製品を展示する。
     本気度が伝わったのか、マツダ常務執行役員を経て、トーヨーエイテック社長や広島空港ビルディング社長執行役員などを歴任し、民営化した広島国際空港取締役を務める山本健一氏が4月からT&Bカフェ本部長に就任。週に1回ペースでプロジェクトを指導する。ぜひうちに、と小松社長が口説いた。次第に戦闘態勢を整える。
     度胸が据わっている。監査役、取締役、副社長を経て2003年に社長就任。1990年のフィリピン合弁会社設立に続き、2013年にメキシコ、16年にマレーシア、19年にアメリカでそれぞれ100%出資の現地法人を設立。コロナ禍や半導体の調達困難などから自動車関連工場の休業もあったが、その間を活用し、プロジェクトの集中度を高めた。19年には企業主導型保育園「インターナショナルキッズコミュニティ」を開園し、ほぼ満杯という。
     経営に合理性を欠くことはできない。むろん理もあるだろうが、そうした中で特有の直感が働くのかもしれない。飛躍を遂げようとしている。

  • 2021年10月28日号
    こだわりを貫く

    学校から帰ると息つく暇もなく牛の世話や牧場清掃に汗を流す。手塩にかけた分はおいしい牛乳で応えてくれる。親子初代で始めた牧場経営。
     2019年7月、ファーマーズホールディングス(府中市)グループに加わった、あせひら乳業(三次市三和町)の創業は農協のパイロット事業が発端。1967年に乳牛5頭でスタートした。今年4月、長女の尚子さんに経営を託した児玉克憲会長は、
    「私が中学生の頃、兄が北海道で酪農を学び、その後に現地にならって県内最大規模の36ヘクタールの牧場を整えた。77年には60頭の飼育牛舎を新設し、それまでの朝星夜星、年中休みのない労働環境から脱し、大型・機械化して作業効率を高めた。ところが、その4年後、生乳の生産調整による酪農危機に見舞われて搾乳を処分する事態に陥り、これを契機にヨーグルトの開発に乗り出した」
     当時、国内のヨーグルトは脱脂粉乳やスキムミルクを使う製法が一般的だったが、全乳で作ることにこだわった。農業雑誌で知った乳製品の専門家の元に4年間通い詰め、チーズづくりを応用したヨーグルトの製法をものにし、乳酸菌数が一般的な市販品の10倍のヨーグルトの開発にこぎ着ける。92年から個人営業で製造を始め、当時は有名百貨店の産直ギフトにも採用されていたという。
     近年、ヨーグルト市場は停滞気味だったが、コロナ禍を受け復調し、拡大傾向にあるものの競争は熾烈。際立った特徴や消費を刺激する訴求力がないと生き残りは厳しい。あせひらのヨーグルトは価格競争に巻き込まれない市場で一定のファン層をつかみ、一方でプリンやチーズケーキ、生キャラメルなどアイテムも増やしてきた。いずれもグループのみよし高原牧場の直送生乳を使う。昨年末からはβカゼインA2遺伝子を持った牛の牛乳販売を本格化。専用の牛乳工場も新設した。いったんは手放した牛乳市場に、牛乳が苦手という人も飲みやすいという「おなかにやさしい牛乳」で乗り込む。
     グループ入りしたファーマーズホールディングスは県内外に5直営農場と、2・3次産業を担うグループ4社で切磋琢磨しながら生産〜販売一貫体制の農畜産業を展開。IoT技術を駆使し、牛の状態管理や環境コントロール、飼育の最適化など新しい酪農業のモデル構築を目指す。県内の牧場農家は現在103場。うち庄原・三次地域が43を占め、三和はかつて35あったが4場に。大規模化によって飼育頭数は増えた。グループ化による経営手法の転換により、あせひらは夢が描ける職場に変貌した。
     尚子社長は、ヨーグルトづくりに情熱を傾けた父親のこだわりを受け継ぐ。
    「実は継ぐことに一抹の不安があり諦めかけていた。しかし人手に渡す気にはなれなかった。グループ入りで不安が解消され、決断できた。親子だからけんかもある。しかし会長の思いを一番理解している私がその志を守る」
     生キャラメルの製造は一人で週1回だったが、今は8人で毎日つくる。M&A(企業の合併・買収)が大きな転機になり、活路を開いた。あせひらの認知度を高め、ブランドを定着させる。尚子社長の新たな挑戦がスタートした。

  • 2021年10月21日号
    正姿勢でいく

    新首相の岸田さんは新しい日本型資本主義の実現へ、一体どんな経済政策を立てるだろうか。富の格差を広げた競争社会に不安を抱える人の声に耳を澄まし、競争をあおる新自由主義からの転換を打ち出した。成長と分配という好循環を促し、中間層を広げたいという。世界との競争をしなやかに乗り切り、豊かで穏やかな日本の姿を示してもらいたい。
     近代日本の設計者の一人で日本資本主義の父とも呼ばれる渋沢栄一。ひたすら利益を追究する欲望の暴走にブレーキをかける、渋沢の考えをあらわした現代語訳「論語と算盤」(ちくま新書)に次の一節がある。
    「国の富をなす根源は何かといえば、社会の基本的な道徳を基盤とした正しい素性の富なのだ」
     お金は大切にすべきものであり、同時に軽蔑すべきものであると言い放つ。その頃いち早く資本主義が抱える利益の暴走を見抜き、その暴走を防ぐ仕掛けとして「論語」を引っ張り出した着眼に驚く。合理主義と道徳という一見、相反するようなタイトルを分かりやすく解き明かし、いまなお新鮮な響きがある。
     広島の街中で、街頭演説に立つ岸田文雄さんの姿を見た人は多い。岸田文雄後援会の伊藤学人会長は、
    「衆院選で初当選後、毎週のように週末は広島に帰り、1時間ほど街頭演説に立った。政界の重鎮で、総理経験者の方がそうした行動を知って『岸田はいいよ』と評価したという。何しろ律儀で誠実。親父が療養中の三年間には帰広の度に幾度も見舞っていただいた。かつて大臣に就任が決まった折は朝一番でお見えになり、仏前に花を供えてもらった。決して偉ぶるところはなく、気さくに人の話をよく聞く。しかし一途なところもあるように思う。総理の立場になるとさまざまな場面で我慢や忍耐などを強いられるかもしれないが、自分の考えをしっかりと押し出すところが段々と増えてくるのではないでしょうか」
     向こう受けを狙ったような言動はあまり無かったように思うが、森内閣に不信任決議案を提出する野党の動きに、派閥会長の加藤紘一が同調する構えを見せた有名な「加藤の乱」では血判状をしたためて駆けつけたという。外相時代には1年前から周到に準備を重ね、オバマ米大統領の広島訪問につなげたことが、世界を驚かせた。政界きっての酒豪。伊藤会長は、
    「コロナ以前は年に1回、後援会の役員ら数十名と懇談の席がありましたが、いくら盃を重ねても酔わない。とことん話を聞く根気がある。さまざまな起伏、波乱を経験したことが大きな財産になっているのではないだろうか。いまの時代が求めるリーダーの使命を果たす、一途な政治家の真価を見せてもらいたい」
     高姿勢や低姿勢ではなく「正姿勢」を信条とし、国会衆議院本会議の代表質問でこの3文字を胸に、首相の安倍さんに思いの一端を述べた。
     公認会計士の石橋三千男(みちお)さん(73)は、
    「10年くらい前に業界も政治と無縁ではおれないと痛感させられる出来事があった。それで日本公認会計士協会中国会で岸田さんを囲む会をつくった。われわれも正姿勢こそ大切な態度だと思う」

  • 2021年10月14日号
    顧問は総理大臣

    いまの時代が求めているリーダーは私だ。岸田文雄後援会の伊藤学人会長(イトー会長)は、総裁選の出陣式であいさつした岸田候補のこの言葉に驚いたと言う。
    「強く自分を押し出すようなタイプではないとずっと思っていた。文雄さんとは30年以上になるが、誰に対しても人当たりがよく、これほど強い調子の言葉を聞いたのは初めて。昨年9月にあった総裁選に敗れ、この1年によほど大きな決心があったのではないか。目つきや身ぶりその姿勢に、国を背負って立つ気迫がひしひしと伝わってきた」
     伊藤学−学人の親子2代にわたり、岸田家とのかかわりは深い。1978年8月19日号の本誌で、
     −前中小企業庁長官の岸田文武氏の衆議院選挙に立候補が本決まりとなるにつれ、いまから後援会づくりが始まるわけだが、それに先立ちこのほど田中、森本、山根、中野といった財界人が集まって後援会長に原幸夫氏(元広島通産局長、現中経連副会長)、副会長に伊藤学氏(イトー社長、商議所副会頭)をそれぞれ内定した−とある。
     副会長を引き受けた伊藤学さんは、
    「西部流通団地では特に岸田長官のお世話になったし、中金会(組合が融資を受けている商工中金の取引先の会)の世話もしているし、それに岸田さんの先代(岸田正記(まさき)代議士=文雄氏の祖父)の時はクルマ(選挙カー)にまで乗った因縁もある」
     その後に原さんを継いで83年から2005年まで後援会長を務めた。その間に次の出来事が起きる。
     1992年8月4日に65歳で亡くなった岸田文武代議士の後継者選びが進展。10月早々には有力候補に見られていた長男の文雄氏が正式に出馬表明を行う段取りに。手続き的には岸田文武後援会が総会を開いて擁立を決議。文雄氏がこれを承諾する形が取られるが、水面下で動きを開始していた伊藤学会長は、
    「後援会の総会を開く前に宮沢総裁と増岡県連会長の了承を取り付けておく必要がありますので、一緒に行っていただく県議会と市議会代表の人選をお願いしているところです。表だった動きは四十九日の喪が明ける9月20日以降になりますが、遅くとも9月末までには上京して宮沢、増岡両先生の了解を取り付けたいと考えています」
     学さんに任せておけば大丈夫と人望を集め、広島総合卸センター初代理事長として機微に通じ、人を包み込む温かさと公正公平に徹する厳しさがあった。05年11月20日に亡くなり、十七回忌を迎える。後任の杉原昭三会長を継いで14年から後援会長を務める学人さんは、
    「自民党総裁になった日、総理大臣に就いた日は仏前で親父に報告。そりゃ喜んでいると思う。03年から卸センターの顧問を受けていただいているが、何しろ総理になられてそのまま受けてもらえるのかどうか、連絡待ち」
     岸田総理は経済政策で新しい日本型資本主義の実現へ、競争を重視した新自由主義からの転換を打ち出す。
    「いまの時代はむろん、新しい時代が求めるリーダーシップを果断に発揮し、長期政権を願っている」
     総選挙は10月19日公示、31日に投開票。次号へ。

  • 2021年10月7日号
    響き合う絵と音楽

    見る絵と、聞く音楽。本質的に相容れないように思えるが、画家のアンリ・マチスは「一枚の絵は統御されたリズムの配置」と語り、晩年、版画集「ジャズ」を発表。ジャズの即興性からインスピレーションを得たという。
     ひろしま美術館は10月24日まで特別展「シダネルとマルタン展」を開く。親しみやすく美しい作品を描いた最後の印象派といわれるアンリ・ル・シダネルと、彼の友人画家で公共建築物の装飾画も多く手掛けたアンリ・マルタンの二人に焦点を当てた特別展は国内初めて。共に19世紀末~20世紀初頭のフランスを中心に活躍した。
     身近な自然や周囲の日常に詩情を見いだし、精霊とおぼしき女性像、農民の働く姿などを、印象派の表現を取り入れた豊かな色彩であらわす。あたたかな日差しやたそがれの薄明かりにつつまれた、穏やかながらも神秘的な感覚を呼び起こす作品群は改めて、日常の大切さを見る人に問い掛けてくる。
     同美術館は2005年から毎月1回、土曜の午後に本館ホールでミュージアム・コンサートを開く。街の喧けんそう騒を離れて、楽器の奏でる響きは心地よい。美術、音楽ファンを魅了するひとときになっているようだ。同特別展に合わせて10月2日、ジャズスタンダードを中心にサックス、ピアノ、ベースによる演奏会を予定していたが、コロナ禍で中止になり、来年以降、改めて開く予定という。
     クラシックを中心に年間プログラムを組む美術館から指名されて、同コンサートに登場するプロサックス奏者の藤井政美さん(54)は、広島を拠点に都内をはじめ全国規模で演奏活動し、CMやレコーデイングなどのほか、ジャズ講座の講師も務める。東京出身で、早稲田大学在学中にジャズ研究会に所属。
    「10代の頃、ラジオから流れてくるジャズのとりこになった。親に頼み込み、サックスを手にして無我夢中。即興で吹くとみんなの心が弾む。世界中どこにもジャズファンがおり、利害関係のないところで仲間が増える。ジャズは世界の共通言語。国境を越えて共感が広がる。仲間と語り、直ぐにでも演奏を始めることができる楽しさ、自由な時間は格別です」
     大学を卒業後、サラリーマン生活を送り、転勤で広島に赴任。これが人生の転機になった。すっぱりと退職。コンパクトにまとまった街の雰囲気や気取らない人情、住み心地の良さが好きになり、東京から広島に拠点を移してジャズ奏者のプロの世界に飛び込んだ。こうして築いた人との関係は時がたっても瞬時に響き合うことができると言う。いまはコロナ禍で演奏活動も制約されているが、収束後、久しく会話が途切れている国内外の友人との再会を楽しみに、広島の街の広報活動も務めたいと意欲をにじます。
     産業、経済、そして歴史を土台にして芸術や文化、スポーツなどが街の個性、香りを放つ。広島市内には同美術館ほか県立美術館、現代美術館の3館があり、今季はさておき、カープがある。サンフレッチェ、バスケットの広島ドラゴンフライズのプロスポーツチームのほか、広島交響楽団もある。こうした広島の日常こそ、何より大切ではなかろうか。

  • 2021年9月30日号
    流通業界の覇権争い

    なぜそこまでやるのかと思うが、流通業界の再編統合の動きは地方も巻き込み、容赦がない。他社を圧倒するためより強く、より大きな力を持って覇権を競う。生存本能そのものなのだろう。
     スーパーのフジ(松山市)は9月1日、流通大手のイオン子会社で南区段原南に本社を置くマックスバリュ西日本(MV西)と2024年3月を目途に合併し、イオン子会社の新会社を設立すると発表した。フジはイオンの傘下に入り、活路を広げる。
     中四国に132店を展開するフジの前2月期売上高は3153億円。同エリアに381店を擁するMV西は同5332億円。両社を足すと8500億円近くになる。イズミ(東区)の6797億円を抜き去り、商業施設やスーパー運営で一躍、地場トップに立つ。イズミはどんな手を打ってくるだろうか。中四国の覇権をめぐり、全面対決の様相を呈してきた。
     ひと足速く、2018年4月にイズミはセブン&アイ・ホールディングスと業務提携した。これに応じるかのように同年10月、フジはイオンと資本業務提携すると発表。このときから両社の合併は既定路線だったのだろう。
     もう一つ動きがあった。百貨店の天満屋(岡山市)は9月3日、広島緑井店をフジに譲渡し、来年6月30日をもって閉店すると発表。フジは隣接地で運営するフジグラン緑井と一体的に運営する構想を描き、取得後に全面改装する予定という。かつて天満屋は中区の八丁堀店、西区のアルパーク店と合わせて市内3店体制だったが、これで3店共に姿を消すことになり、広島県内では福山市の2店だけになる。近年は郊外へ大型商業施設が次々と進出し、一方で閉店と再開発を重ねて広島都市圏の商業地図はめまぐるしく変貌。底流にはとてつもなく大きな力が作用しているのではなかろうか。
     流通業界の再編統合が加速する背景には人口減少、少子高齢化による家計消費の縮小に加え、経営効率を高めるデジタル化投資、カード特典による囲い込み、自社ブランド(PB)商品の開発や仕入れ交渉を有利に運ぶ必要にも迫られているという。
     一方で異業種からの参入や業態間競争が一段と激化。百貨店、スーパーマーケット、コンビニエンスストア、ディスカウントストア、ドラッグストア、家電量販店やホームセンターなどが縮小する市場を奪い合う。コロナ禍が促したのか、最近は広島でもスマホから注文する宅配サービスが次々に登場。生鮮品などを満載した移動販売車が住宅団地を巡回し、消費者の近くまでやってくる。新手の通販やインターネット購買なども業界を揺るがす。
     県内はハローズ(福山市)やエブリイ(同)が出店攻勢をかけ、地元スーパーのフレスタ(西区)、万惣(佐伯区)、藤三(呉市)、スパーク(西区)、西條商事(東広島市)などがそれぞれ隙間を埋め、地域密着の独自路線で生き残りを懸ける。
     安くて良いだけでは太刀打ちできない。便利とか、高くても買いたいと考える消費者の選択肢は格段に広がっており、この要求にどう応えていくのか。大手と地元資本、新旧勢力を交えて生き残り作戦がエスカレートしそうだ。

  • 2021年9月23日号
    人は城、人は堀

    なかなか人が来ない。入ってもすぐ辞めてしまう。警備業のテイケイ西日本(中区東白島町)は長年抱えてきた課題をど真ん中に据え、同時並行して人材確保と営業・教育改革を断行。これが強力なエンジンになり、前5月期決算で過去最高の業績を上げた。
     警備業法で定める雑踏警備はコロナ禍で大型イベントが軒並み中止になり、打撃を受けたものの、売上高は前期比約16%増の27億円超、経常利益は同1.5倍以上の1億7600万円を計上。4期連続の増収増益とした。
     高速道路や夜間規制、鉄道などの収益性の高い特殊警備を強化する営業戦略へ転換を図り、その受注体制を整えるため、大胆に手を打った。海田英昭社長は、
    「機械警備を主力とする全国大手とは異なり、当社は人材で成り立っている。しかし、これまでは定年後の60〜70代や若い単身男性が多く、離職率は高かった。どうすれば定着してくれるかと根っこから考えた。安定した収入がある、将来の生計が立つ、やりがいがある、みんなのための職場にする。明確な目的を掲げ、一連の待遇改善や福利厚生を拡充。次第に30〜50代世帯者の応募が増えてきた。モチベーションが高まり、業績を押し上げる好循環を生み出すようになってきた」 
     4年前から特殊警備を本格化し、人材の確保、育成に必要な投資を積極的に行った。人は石垣、人は城、人は堀。いかに堅牢な城を築こうと、人が去ると滅びる。信玄の言葉だが、現代の企業経営も人の心が離れると潰れる。
     地元の金融機関に勤めていた縁で同社に請われ、2016年に社長に就く。社員一人一人と向き合った。真剣に耳を傾け、語りかけることから始めた。30代後半に大病。その時のつらい経験が寄り添う気持ちを醸成させた。これまでは人の採用や配属先も営業所任せだったが、社長面談を行って本社勤務か、営業部門か、現場向きか、適材適所を徹底。配属が決まったら共にがんばろうと握手。中国地方へ営業網を広げる中、全18拠点に出向いて労をねぎらう。研修やあらゆる場面でみんなから要望を聞く。できることは即決速攻、できないことは猶予をもらう。必ず誠意を尽くす。会社の業績などに無関心だった社員が次第に歩み寄ってくれるようになった。
     これまでは中途採用が当たり前で年中募集、給与は勤務日数によって支給。これらを全て改めた。固定給とし、2年ほど前から総合職を導入。段階的に給与体系を整備し、年2回賞与、休業補償などのほか能力給の制度も設けた。新卒で国公立大生も入るようになり、20代女性も増え、離職率は大幅に改善した。
     原田博男会長が1977年に創業。勤務先の警備会社が倒産したため、同僚と機械警備を始めた。2年後に工事現場の交通警備に乗り出し、創意工夫を重ねて業績を伸ばした。営業先も広がり、2008年のM&A以降、売り上げは20億円強で推移していた。
     いまは交通警備が売り上げの8割だが、特殊警備がその半分を占めるまで伸長。今後は岡山、山口、鳥取県への進出を計画。24年5月期を目途にしていた売上高30億円を前倒しで達成する見込みだ。わが社に誇りがある。何よりも職場が元気と胸を張る。

  • 2021年9月16日号
    「夢」と「五感」

    マツダスタジアムの正式名は広島市民球場。公設民営だが、まさに市民のもの。これほど市民から愛されているスタジアムはほかにない。
     観戦しながら周回できる幅広のコンコースは街中を歩くような開放感がある。天然芝がまぶしく、選手も近い。いまはコロナ禍で少々観客席は静かだが、あのリーグ3連覇の快挙は大方、ファンの大声援が成し遂げたのではないかと思う。混然一体のスタジアムはまさに「夢の器」である。
     新球場を現在地で建て替えるのか、旧国鉄の貨物ヤード跡地に造るのか。ドーム球場なのか、オープン球場で天然芝にするのか。市民を巻き込み議論がふっとう。構想から建設までに困難なハードルを幾度も乗り越え、ようやく2007年11月26日に起工式を迎えた。市の担当者としておよそ7年、新球場建設に携わった日高洋さんは、
    「新球場竣工の時よりも、着工することのうれしさが大きかったように思う。式典で初めて新球場の完成イメージCGを公表した。会場に流れるその動画を見ながら、私は鳥肌が立った。仕事で鳥肌が立ったのは初めて。着工までに3回もコンペを実施し、これでもか、これでもかと何度も挫折を味わっただけに、言い尽くせない喜びがあった」
     カープ存続が危うい。危機感に端を発し、すぐさま市民も経済界も新球場建設を後押しした。経済界は目標を上回る17億円近くを集めた。大勢の人が建設に関わり、その一員に加わることができた日高さんにとって、とてつもない感動があったのだろう。
    「広島駅周辺のまちづくりにも大きな波及効果があった。南口周辺は長らく進んでいなかったBブロックや新たにCブロックの再開発が促進されて商業施設などが建設され、北口周辺は事務所やホテルなどが立地し、周辺の都市機能は格段に充実、強化された」
     そもそも都市計画の分野を志していた。九州大学工学部建築学科を卒業後、大手の建設会社を経て1987年に広島市役所入り。新球場建設部専門員、オリンピック招致検討第二担当課長、経済企画課菓子博覧会支援担当課長、都市機能調整部長などを歴任。2018年に建築の技術職では初めて経済観光局長に就いたが、父親が倒れたのを機に2地域居住しながら実家の農業を継続するため、定年まで一年を残し退職。
    「これまで夢と五感を大事にしてきた。五感で感じると、多少反対されても絶対これでいけると、自分の中に信念を持てる。人生も、仕事も同じだと思う」
     学生時代に米国と日本で自家用操縦士の資格を取得し日米の空を飛ぶ。一級建築士や狩猟免許も持つ。(社)地域価値共創センター理事、星槎道都大学建築学科客員教授、カープ地域貢献アドバイザー、広島ドラゴンフライズ新アリーナ準備室顧問、故郷の島根県邑南町顧問などを務める。
     5月に広島総合卸センター顧問に就任した。MICE施設整備構想のある商工センター地区のまちづくりを担当する。伊藤学人理事長は、
    「実家の農業を継続する責任は重いが、彼の才能を眠らせるのは惜しい。存分に力を発揮してもらいたい」
     日高さんの夢と重なり、まちづくり構想が実現する日を待ちたい。

  • 2021年9月9日号
    ボールパークの話

    どこかの国にならい、見事に日本らしくこなす。米国由来の野球は日本最大のスポーツビジネスに発展した。ベースボールと野球の違いを指摘する声もあるが、何ら問題はない。マツダスタジアムでのカープ観戦は楽しい。いち早く事態が収束し、真っ赤に染まった満員のスタンドから、どこか弱々しげなカープに活を入れなければならない。
     日本初の本格的なボールパーク、マツダスタジアムはカープも変貌させた。2009年春、旧国鉄の貨物ヤード跡地に完成し、旧市民球場から現在地へ移転。観客動員数が急増した。15年から5年連続で200万人を突破し、旧球場時代に100万人内外だったことに比べて圧倒的に応援風景が一変。長らくBクラスに低迷していたカープは見違えるほど強くなり、16年からセ・リーグ3連覇の偉業を成し遂げた。夢のようである。
     臨場感にあふれる別世界のようなマツダスタジアムが完成するまでに幾度か波乱もあった。市役所時代にスタジアム建設に長期間携わり、代々続く実家の農業を継続するため、3月末で退職した前経済観光局長で、(社)地域価値共創センターの理事を務める日高洋さん(59)は、
    「03年の民間事業とん挫後、プロ野球界再編論議に端を発して地域が立ち上がった。04年に県、市や商工会議所、カープなどで新球場建設促進会議を設け、本格的な議論が始まった。既に球団は本場の米国を視察し、いまのボールパークにつながる意見を持っていた。06年に設計・施工コンペを行った結果、条件付き最優秀案を選んだがその条件が満たされていないと判断し、当選案にしなかった。都合3度のコンペを行ったエネルギーは一体どこから出たのかといまも不思議に思う」
     04年にオリックスと近鉄が合併し、1リーグ制10球団とする球界再編が取り沙汰されていた。当時の市民球場は築後約50年と古く、観客席は横・前後の幅が狭く劣悪な観戦環境だった。選手のロッカールームも狭いなどと不評。市民やファンはむろん、行政や周辺の商業施設、商店街、経済界も「真っ先にカープがなくなるのではないか」と危機感を募らせていた。
     球団は米国へ社員を何度も派遣し、あるべき姿として三つの方向を打ち出す。地域の活性化につながる球場、天然芝のオープン球場、野球に興味のある人もない人も世代を超えて気軽に交流できる広場のような球場。まさにボールパークそのもの、米国で主流になりつつあった。
     日高さんは実際に見てみなければ、よい球場を造ることができないと考え、自費で大リーグの球場を視察した。驚きがいっぱいだった。観客は多世代。観戦だけでなく食事や遊具などで楽しんでいる。ゆるやかな勾配のスタンドからもグラウンドがよく見えることを確認し、座席の前後幅や横幅も念入りに測った。
     スタジアムを周回できるコンコースは球団の意見を反映し、本通商店街とほぼ同じ幅にした。観客席は砂かぶり席やパーティーフロア、パフォーマンスシートなど約30種類もある。スタジアムの向きは東北東にし、観客席の多い内野席で直射日光を受けないよう配慮。そのほかファン、選手ファーストの考えがふんだんにある。−次号で。

  • 2021年9月2日号
    楽しいことが一番

    見えないものを見抜き、何より楽しい売り場にする。 
     関東以西に玩具店「ホビーゾーン」を展開する冒険王(安佐北区可部)の前5月期は売上高56億8679万円、経常利益4億358万円と大幅に伸ばし、共に過去最高を更新した。テナント出店する商業施設で休業や時短営業が続き、厳しい営業環境にさらされたが、これまでの小型店を統廃合し、大型化した出店戦略が当たった。店舗効率や生産性が格段に向上し、全65店が全て黒字という。
     来年9月で30周年。20代以上の男性を主力ターゲットにミニ四駆、カード、ガンダムプラモデル、フィギュアなどを扱う。堀岡洋行社長は、
    「これまでに何度も浮き沈みを経験した。既に出回っている情報やデータに頼るのではなく、徹底して現場のリアルに向き合う。本当に求められているものは何か。これをつかむことがいかに大事か、痛いほど身にしみた」
     もともと父親が経営していた家具店で家族連れが品選びの間、子供たちにおとなしく遊んでもらおうと玩具を用意したのが始まり。そのうち販売するようになり、玩具事業部を担当。しかし父親の引退を機に独立し1992年、冒険王を設立した。順調に多店舗展開していたが、大手のトイザらス進出で売り上げは大幅にダウン。そこで品ぞろえを絞り競合他社がまねのできない強みを発揮するコアコンピタンス経営に転換。家族や奥さんとショッピングセンターに同行すると大人の男性の居場所がないことに気付いた。2001年の松江サティ内を皮切りに、新業態ホビーゾーンを商業施設へ出店する戦法に切り替える。
    「玩具業界は、少子化や家電量販店などの利益を求めない玩具の販売手法で苦戦を強いられている。一時は隆盛だった節句人形も衰退。鍵を掛けず近所に出掛けても平気な時代だったにもかかわらず、国内初の警備会社を立ち上げ、業界をけん引した企業の考え方がヒントになった。将来を見据えて本当に求められているニーズに頭をめぐらす。市場の変化を見極め、見落とされているニーズを見抜かなければならない。どの商いもここが勝負だと思う」
     一時、ネット販売にも乗り出した。しかし価格競争に魅力はなく撤退。巣ごもりで好調なジグソーパズルなど独りでも、家族や仲間とでも楽しめる商品をそろえる。プラモデルをつくる時間が増え、道具の一つ、1万円のハサミが売れるという。店舗では1時間ごとの売り上げをチェックし、マーケットの変化に機敏に対応する一方、変えてはならない玩具店の存在価値に磨きをかける。
    「玩具店には何より楽しさがなくてはならない。来て見て触って楽しんでもらい、顧客同士のコミュニティが醸成された店は強い。100人100色の来店客に満足してもらう接客を心掛けている。かじ取りを間違えたら倒産。その責任は全てトップにある」
     今期は群馬や愛知、千葉、埼玉のイオンモールへ新規4店、増床5店、退店3店を計画。店舗売り上げを1億円に引き上げ、売上高63億円を目指す。来年6月には最大規模の店をイオンモール水戸内原店に予定。関東攻勢に備えた準備を進め、全国制覇を視野に置く。