広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。
何と日本一になった。今後頼りになりそうな信用金庫・信用組合はどこか。収益性や地域密着度などを総合的に分析した週刊ダイヤモンドの特集「信金・信組ランキング」(1月22日号)で、「名物理事長の山本明弘理事長が率いる広島市信用組合が139組合の頂点に立った」と。預金残高7446億円、自己資本比率10.6%、不良債権比率1.7%、預貸率87%などを点数化した総合得点で86.2点を獲得し、群を抜く。
コロナ禍は地域金融機関に融資機会をもたらしたが、その目利き力がいや応なく問われる局面でもあった。特集の趣旨に「地方経済の最後の担い手である信用金庫と信用組合がコロナ禍で企業支援に奔走したか否か。財務指標を基に順位付けすることで、今後も勝ち残る信金・信組を浮き彫りにした」とある。
いつから名物になられたのか、NHKをはじめ全国区のマスコミにも度々登場し、真っ直ぐに持論を言い放つ山本理事長。日本一をどう受け止めただろうか。
「日々の積み重ねの結果だ。むろん私の力の及ぶところではない。役職員が一丸になった汗のたまもの。皆が誇りに感じてくれたら何よりうれしい。企業経営にDX(デジタル変革)などと効率化、合理化が叫ばれるが、わが信組は足で稼ぐ。非効率こそ効率的という方程式を発見した。大方の金融機関が廃止した集金をいまもこまめに続けている。外回りが一番大事なエンジン。用はなくとも用をつくって取引先を訪れる。ひょっこりとのぞくと見えなかったものが見えてくる。社長や従業員は元気か、工場の機械の音は活発か、企業が生きていることを肌で感じることができる。取引先が気軽に声を掛けてくれるようになる。頼まれたらチャンス。融資は3日のうちに応える」
システム化投資をはじめ、働く環境改善などに積極的に挑む。だが、いまも変わることなく顔と顔を合わせて耳を傾ける。リスクも取る。金融機関では異例のスピードで融資に応じるから信頼される。2022年3月期決算で19期連続増収、過去最高益を見込む。本業の融資・預金のほかは脇目もくれないシンプル経営を徹底。一朝一夕ではかなわない基本動作を重ねて実績をつくり、年々積み上げて好循環をつかんだ。
現金が底をつき、資金繰りにあえぐ取引先のことを思って一日も早く融資する。当然リスクはあり、不良債権処理などの備えなく、やみくもに決裁することはできないが、さらに足を使って鍛えた目利き力が裏付けにある。
「助けることができなければ金融機関の存在意義はない」
と言い切る山本理事長の考えがどんと構えており、みんなが動きやすい。取引先に喜んでもらえるから、やりがいが生まれてくる。
まず汗を出せ、汗の中から知恵を出せ。それができないものは去れ。松下幸之助の言葉である。1968年同信組に入り、支店長や本店営業部長などを歴任して2005年から理事長。一貫して現場重視で汗を流し、誰もが容易にまねることのできない知恵を見極めたのだろう。
5月で創業70周年。預金は5年以内、融資は7年以内に1兆円達成を目標に、いささかも油断がない。
図書館でゆっくり過ごせる街。好きな本を読みふけり、調べる、学べる。小さな子どもからお年寄りまで包み込んでくれる安心感がある。
2025年春開業へ建設中の新駅ビルをはじめ、JR広島駅周辺の再開発事業が進展し、広島の玄関口が大きく変貌を遂げようとするさなか、福屋を核店舗とするエールエールA館8〜10階に中区基町の広島市立中央図書館や映像文化ライブラリー、こども図書館などを一体的に移転し、再整備する計画が動きだす。
基本計画は25年度オープンを目標に、現在86万冊の収蔵能力を150万冊に引き上げ、A館10階に約15万冊の開架書庫や閲覧、自習スペースのほか、100席の上映ホールを設ける映像ライブラリー、9階には広島の文学資料コーナーや郷土資料館サテライト、8階に児童図書など約9万冊を備える子どもエリアなどの構想を描く。
図書と映像エリアでは商用データベースの拡充などで企業や創業希望者へのビジネス支援強化などのプランも盛り込む。総面積は1.3倍の1万3000平方メートル。カフェ、自習スペース、飲み物を楽しめる閲覧空間、寝転んで本を読めるスペースや読み聞かせの場などを設け、各フロアを行き来し誰もが思い思いに楽しむことができるようにする。A館を管理運営する第3セクターの広島駅南口開発(南区)は、現在10階のジュンク堂に他の階で引き続き営業してもらうよう打診しており、同社から図書館誘致を歓迎するとの意向を受けているようだ。
コロナ禍前の18年度の入館者数は中央図書館39万7000人、こども図書館20万9600人、映像文化ライブラリー3万8000人。再整備計画の概算経費は不動産取得費約60億円、建物整備費約35億円(書架設置費など含む)、引越費約1億円の計約96億円を見込む。
駅周辺〜紙屋町・八丁堀の楕円形都心づくり構想と響き合って「誰もが学び、憩う平和文化の情報拠点」に位置付ける。スケジュールは新年度で基本・実施設計、23年度から床取得・再整備工事などを進め、25年度開館を予定。
計画策定までの経緯は11年10月=旧市民球場跡地活用をめぐり、老朽化が進む中央公園内にある公共施設も含めた全体での検討を開始。12年11月=中央図書館、映像文化ライブラリー、こども図書館を合築して配置計画の見直しを行う空間イメージを公表。21年9月=市が中央図書館などの移転候補地の一つに駅周辺を挙げているとの発表を受けて駅南口開発は「絶好の機会」と捉え、A館を移転先候補として松井市長に要望書を提出。今年2月に市がA館へ移転することとした中央図書館等の再整備基本計画案を公表。市議会で付帯意見はあるものの予算承認され、一歩前へ踏み出した。
近年、全国的に公立図書館が駅前にオープンするケースが増え、図書館利用者が大幅に増加。近隣では三原、周南市の例があり、岩国市も計画しているという。駅南口開発の山本茂樹総務課長は、
「駅周辺のエリアマネジメントの活動と図書館などの事業を官民連携で展開し、多くの市民や国内外からの観光客の誰もが楽しめる街づくり、にぎわい創出に相乗効果を上げていきたい」
2014年に統廃合の危機に直面した大崎上島の県立大崎海星高校が取り組む「島の仕事図鑑」が見事、文部科学省と経済産業省の「キャリア教育連携表彰」の最優秀賞に輝いた。1学年1クラスの小規模校が、全国5000校を超える高校の中の頂点に立つ快挙となった。
島で働く人々に目を向け、さまざまな質問をぶつける。高校生の真っ直ぐなインタビューに答え、仕事のことや島のことを語る、その表情を捉えた写真を添える。図鑑は回を重ねて冊子8冊を制作。
さかのぼること8年前。県教育委員会が「今後の県立高等学校の在り方に係る基本計画」を発表し、同校が統廃合の検討対象となった。このままでは地元から公立高校がなくなるかもしれない。そうした危機感が高校生や地域を動かした。
自治体が県立高校を全面的に支援する「高校魅力化プロジェクト」の一環で、島の仕事図鑑づくりがスタート。地域のパン屋、理容師、電気屋、警察官、漁師などの職場を訪れてインタビューを行った。事前にプロのライターから記事の書き方を、カメラマンから写真撮影を教わり、入念に準備。取材を通じて島での働き方などを学んでいった。
こうした高校生のキャリア教育は産業界を巻き込み、それまで途絶えていた地域と学校をつないだ。大崎上島町商工会の小川裕壮会長は、
「仕事図鑑は生徒たちの目線で仕事の魅力や、やりがいなどを生き生きと伝えている。学校と地域が連携するきっかけとなり、子どもたちのキャリア感とふるさとへの思いを劇的に変えた。地域住民にとっても高校への理解や共感を高め、島での暮らしや仕事に対する新たな誇りを芽生えさせた。そして新たな魅力化企画を生み出す原動力となり、次々と素晴らしい化学反応を起こした。これからも学校と地域が問題や課題に知恵を出し合い、話し合いを重ね、多くの失敗も重ねながら解決に向けて挑戦し続けたい」
教室を飛び出し、島のことや人を知ることから始めた生徒らに思いがけない発見があり、感動があったのではなかろうか。調べる、考える。教育の原点を改めて示唆しているように思える。今回の受賞理由として、
○毎年関係者間で理念を再構築し、新しい動きを生み出すなど、組織的な取り組みで魅力化プロジェクトの持続・発展が支えられている。
○汎用性のある好事例として広がりを見せる。学校と保護者、地域住民が共に知恵を出し合い、「地域と共にある学校づくり」を進めるコミュニティ・スクールとして着実に歩んでいる。地域で育ち、働く人が増えるなど着実に成果が上がっている−など。
仕事図鑑は昨年、島を飛び出し「ひろしまの仕事図鑑」へと発展。県内公立高校5校による学校間連携地域協働学習となった。弊誌を発行する広島経済研究所とも連携し、サイト「ひろしま企業図鑑」へも掲載。北海道や宮崎県の高校にも波及していった。今年1月から海外へ広まり、上海日本語学校で仕事図鑑をトライアルで制作。学校のカリキュラムへの反映を検討するプロジェクトが始まった。
生徒が働く人の個性に触れて、地元のことや生きることを学んだ価値は大きい。
酒蔵で新酒の仕込みが最盛期を迎えている。安芸郡熊野町で唯一の酒蔵、馬上酒造は今季から新体制で再スタートを切った。昨季は明治時代から続く酒造りを休止。存続さえ危ぶまれたが、竹鶴酒造(竹原市)などで経験を積んだ村上和哉さん(36)を杜氏(とうじ)に迎え、息吹を取り戻した。
主力銘柄の「大号令」は、製造量の約9割を熊野町内で消費する、根強い人気に支えられて代を重ねてきた。来年で創業130周年。杜氏と社長業をこなしてきた4代目の馬上日出男さん(72)は、廃業すると酒類製造免許の再取得がほぼ不可能になるため、いったんは休止し、再開の可能性に懸けた。昔ながらの酒造りへの思いは深い。
「大手のように機械化することなく、ほとんど手作業。思った以上に水と米は重く、加えて冬場の蔵は心底冷える。近年は若者の酒離れで販売が伸びず、人を雇うほどの余裕はなく、蔵や設備もあちこち痛んでいた。それでもくじけるわけにはいかない。とにかくこの蔵を守りたいという一心だった。ちょっとした気の緩みで、もろみの発酵が進むなど、気が抜けない仕込み作業が続く。むろん体調不良など言い訳にならない。高熱のときも薬でごまかして乗り切った。よく蔵の中で死ななかったと思う。古希を過ぎ、私だけの手で続けることは難しいと思い始めた矢先、杜氏を志していた若い村上さんが門をたたいてくれた」
村上さんは南区出身で、広島経済大学時代に訪れた竹鶴酒造の神聖な雰囲気に引かれたことが、蔵人の道へ進むきっかけになった。4年生だった2007年11月から竹鶴で酒造りの季節雇用で働き始める。卒業後も冬場は酒蔵、仕込みのシーズンが過ぎると市内酒販店などで働く二重生活を送る。7年後に竹鶴の正社員となり、季節雇用時代を含めて10年の経験を積み、その後に滋賀県の北島酒造へ。異なる酒造りを学び、5年をめどに広島に戻るつもりだったが、コロナ禍の影響を受け、1年前倒しして広島で転職先の蔵元を探していた。
「馬上酒造の存在は知っていた。だが、蔵の銘柄を飲んだことはなく、とりあえず酒蔵見学を申し込んだところ、県内では無くなりつつある伝統的な道具が現役で稼働しており驚いた。ここで酒を造りたいと社長に思いを伝えると、その気持ちはうれしいが、もう辞めようと思っていると断られた。次の春に改めて電話すると、酒造りについていま一度話を聞かせてもらいたいという返事ですぐさま駆けつけた」
今後の酒造りの方針を話し合い、そして昨年11月に蔵入り。12月に初めての酒を送り出した。
「この蔵には代々受け継がれてきた伝統が生きている。これまでの馬上酒造の個性がなくなるのではと心配する声もあったが、この蔵と熊野の気候で真っ直ぐな酒造りを行えば、自然と馬上の酒に仕上がる。昔ながらの製造手法は手間がかかり、さまざまな制限がある一方、ここならではのブランドに育てられる可能性がある」
コロナ禍が酒造業界に深刻な影響を及ぼす。だが、怯(ひる)むことはない。これまでのつながりを生かして販路を広げ、SNSでも発信。生涯を懸ける覚悟だ。
歴史をのぞき、未来図へのシナリオを描くと、いま何をなすべきか、将来のあるべき姿が見えてくると言う。
本誌の懸賞論文「10年後の広島の自動車産業のあるべき姿」で最優秀作品に選ばれた寺田高久さん(67)の提言を抜粋し紹介したい。(要約)
「自動車からモビリティ、そしてMXへ」あらゆる経済活動の根本には移動がある。それが廃れることはない。移動は永遠だ。いま自動車と呼ぶより、多様化したドローンやロボットも含めて、幅広くモビリティと呼ぶ時代が迫っている。そのモビリティに関する革新的な潮流を、ここでは「モビリティ・トランスフォーメーション」(以下MX)と命名しよう。MXに特化した新しい町おこしを行い、広島全体が自動車、ドローン、ロボットを生産する「MX特化都市域」となるよう、産業転換を仕組もう。
のっけから未来図を示す。本論から離れるが、シナリオ法を採用した理由の一つは、未来の社会環境が現在の延長上にあるとは限らない。逆に10年前、リーマンショック後の世界同時不況でデフレ経済に突入。東日本大震災で原発停止が相次ぎ脱原発、脱炭素の流れが世界的に加速。デジタル化の流れも大潮流になった。最近ではパンデミックで人流が停止。一つの契機で関連する事象が連鎖することなど誰も予測できなかった。だから科学的手法では不連続に起こる変化の予測は困難。
二つ目の理由は、ニーズ掘り起こしからマーケットの課題が発見され、新ビジネスが編み出されるメカニズムが必ずしも上手くは機能しない。そんな予測が完璧にできるはずもない。まして「MXやMX特化都市域」などへの道筋は予測不能だ。課題を発見した時、すでに手遅れになっていることが多い。ビッグデータをAIでリアルタイムに解析し、データドリブンな対策を立案するデータサイエンスの時代に変わりつつある。
マツダブランドの国内シェアは4%。4%には4%の矜持(きょうじ)があり、スパイスの利かせ方があると言う。自動車産業のあるべき姿を想像し、その姿を現状と比較して差異を明らかにし、将来の姿を予測できれば道筋は自然と見えてこよう。その意味で本稿は今後の自動車産業のあり方をバックキャストし、コンセンサスを醸成するツールである。
オープンイノベーションにもつながる毛利の三子教訓になぞらえ、「地域の要となる自動車メーカーがまさか愚行を演じるとは思わないが、もしそんなことになれば広島の街が破綻する」とズバリ。
次の四つを提言する。①「策略と変化への即応」戦国時代にも似る競争と提携が繰り広げられ、合従連衡も避けられない。その仕掛けは三子教訓に倣うべきであり、はかりごとは計画的、組織的にされるべきだ。②「イノベーションの重視」自前主義も大事だし過去の成功体験も大事だ。より大事なのは地域にエコシステムを整備し、社外人材や異業種を取り込んでイノベーションを起こす。③「新たな興業」を支援する。④「あらゆるコラボレーションへ」産学官金はもちろん、起業家やスタートアップ企業も含めたM&Aも交え一致協力しよう。
新しい広島の姿を描く提言の全文を専用サイトに収録。ぜひ読んでいただきたい。
明日、広島を支える産業は何か、現在の自動車産業と産学官金は一緒に何ができるのか、熱をもって話し合おう。個人や一社だけの知では到底勝ちきれない時代になった。集中と「オープンイノベーション」でこの難局を乗り越えていこう。誰かがやってくれる、ではなく、俺が、私が広島を変えていくのだ、という一人一人の精神こそが大きなイノベーションにつながることは間違いない。
最後に、過去、広島の人たちは何度も倒れては立ち上がってきた。幾度となく過酷な危機を乗り越えてきた。そのスピリットは確実にわれわれに脈々と受け継がれている。われわれは一人ではない。さまざまな人と話し合ってみよう。対話と行動こそ最初の第一歩−。と締めくくる。
一点集中のトップ技術開発の戦略と、その一点集中によるリスクを回避するためのオープンイノベーション。さらに広島人のチャレンジスピリットを重ね、どんな革新が飛び出してくるだろうか。尾上さんの提言はふるさと広島への思いが底流にあり、別項で東洋工業(現マツダ)の歩みにも触れている。
近代の広島の発展と繁栄の歴史はマツダなしで語ることはできない。幾度も時代の波にさらされ、企業存続を脅かされてきたマツダはそのたびに不死鳥のごとくよみがえり広島を発展させてきた。広島でイノベーションを起こした革新的な企業である。コルク板や機械工具などを生産し、そこから削岩機、工作機械、小型四輪トラックの製造などを経て自動四輪車の製造へと進化している。
また、産学官金とも密接に関わってきた。現在の南区にあるマツダ宇品工場は、県が公共工事として1954年ごろに埋め立てを行い、そのほとんどを東洋工業に払い下げている。そのおかげで広島の湾岸部に大きな生産拠点を立ち上げることができ、広島の発展に大きく寄与。金融機関からの支援が経営を幾度となく救ってきたことや、地元大学との共同研究による技術開発など、産学官金とともに歩んできた深い歴史がある。
秘密工場
やはりマツダの歴史を語りたかったのだろう。少し横道にそれるが、世界で初めてロータリーエンジンの実用化に成功した山本健一氏(後に社長、会長)の話。東京帝国大学から海軍少尉として招集され、終戦後に東洋工業へ。設計部次長時代に軽三輪トラックの秘密工場をつくり、プロトタイプを制作。後に社長の承認を得るという離れ業で、K360の発売につなげたという。一歩踏み外すと、わが身を危険にさらす賭けだったが、敢然と革新に挑み、胸を躍らせていたのだろう。
いま、イノベーションを起こすための取り組みが世界中で行われている。ドイツのベルリンや愛知県では一定の分野に特化した開発施設などを用意し、世界中からスタートアップを集めてオープンイノベーションの仕掛けを作る。
「世界の情勢を読み、他地域の取り組みを参考にし、広島の過去のイノベーションの経験を生かし、いまこそ産学官金が同じテーブルについて、明日のイノベーションを起こすための開かれた話し合いを始めるべきだと思う」
残された時間は多くない。
スマートフォンなどの一つのインターフェイス(境界)から複数のサービスへ接続することが加速している。企業のサービスだけではなく、国や自治体、商取引から医療や介護、農業、工業までありとあらゆる分野が平等につながり始めている。サービスの提供者は受益者目線で自社のサービスを見直し、他のサービスと対等に横でつなぐ発想がなければ、待っているのは自社サービスのガラパゴス化なのだ。さまざまなものに接続できるスマートフォンが、接続できない商品、サービスを駆逐してきたことを目の当たりにしている。
広島の自動車産業のあるべき姿はどうか。自動車やモビリティもまた、ある分野、技術に特化し、さまざまな業界や業種と連携、接続することが可能で、世界と戦える「グローバルニッチトップ技術」を深化させることに尽きる。それは安全品質の高い車体製造技術かもしれないし、美しい自動車のデザイン性かもしれない。または、もう自動車とは関係ない製品の製造技術かもしれない。
その選択は慎重に考え、決断する必要があるが「全てをやる」という戦略から「集中する」という戦略への転換を広島全体の戦略として実行する。そして、その先に特定の技術、領域において世界から求められる自動車産業が広島に存在している。それがあるべき姿ではないだろうか。
一点突破の戦略はとても大きなリスクを抱えている。基本的な企業の生存戦略としてはいかにリスクを分散し、あらゆる環境変化に対応できる体制を広く構築することが正しい。しかしそれでは世界の競争にはとても追いつくことができない。そこでもう一つの提言は、産学官金が協力するオール広島で広島の自動車産業だけでは足りない技術やサービス、資金、アイデアを補うオープンイノベーションを実行する。
地域が総体になり、地域にある資源(人、モノ、金、時間)をどこへ集中的に投下していくのか。地域の永続的な発展をどう促すのか、それを一人一人自分事にして考え、正しく知り、正しく伝え、正しく行動すべきだ。従業員が一人のスタートアップの社員でも、従業員が3万人を超える大企業の社長でも同じ平等の仲間なのだ。
自動車産業をはじめ、広島の産学官金の組織は秩序を乱してしまう他所(よそ)者、若者、馬鹿者と呼ばれるイノベーター(イノベーションを起こすことを志す者)にチャンスと権限を与え、他地域からの知識や経験の導入、若い人の前のめりの挑戦意欲への支援、周りの空気を読まずに独走し、ムーブメントを起こせる者への後押しを行っていただきたい。彼らをリーダーとしてたたえ、しっかりとフォローしていくことで広島にイノベーションの気運を醸成することを始めるべきである。
異質なものが混ざり合うことによって化学反応が起きるのは人間も化合物も一緒である。この混ざり合うチャンスを広島のいたるところに創っていくべきだ。自動車産業関係者だけではなく、あらゆる業界から志を持った人々が集い、明日の広島をどうしていくべきか、いままさにすべきことである。以上が尾上さんの提言の骨子。マツダの歴史にも触れている。−次号へ
100年に一度の大波にさらされており、広島の自動車産業はいかにして、この難局を乗り切ることができるだろうか。
電動化や自動運転に加え、移動するだけの価値を超えて楽しさ、便利さなどの複合的な価値を持つ自動車の技術開発が世界的な規模で加速し、トップレベルの燃費性能を備えたガソリンエンジン、電気とガソリンのハイブリッドエンジンで世界をリードしてきた日本の自動車産業が一夜にして崩壊する可能性が大きくなってきたという。
いつの間にか日本車がさっぱり売れなくなり、生産を止めて廃墟と化した工場群。繁華街や料飲街の灯が消え、住宅街は県外、海外へ移住してしまった空き家が並ぶ。
もし何年か後、広島の街がこんな光景になった時、経済界や行政関係者らはなぜ重大な判断を誤ったか、何をなしたかと厳しく問われることになる。
本誌の創刊70周年企画として昨年7〜10月に「10年後の広島の自動車産業のあるべき姿」をテーマに、ひろしま自動車産学官連携推進会議の協力を得て懸賞論文を募った。大学の研究者や学生、行政、企業関係者らから19件の作品が寄せられた。それぞれに共通して、ここで将来への目測、進むべき方向を見誤ると、戦後から広島経済を支えてきた自動車産業が一気に瓦解してしまうという危機感があり、広島の個性、長所を発掘して難局をチャンスとする具体的な戦略を述べる。こうした提言が埋もれることにならぬよう受賞作を冊子にまとめて県や経済団体、関係方面へ渡すことにしている。
一般の部で2位に選ばれた尾上正幸さん(36)は、2008年に広島大学法学部を卒業後、5年間のマツダ勤務を経て県商工労働局イノベーション推進チームに所属。その経歴に興味を覚え、話を聞いた。一点突破で世界と戦える「グルーバルニッチトップ技術」の深化を図り、オール広島で技術やサービス、資金、アイデアを補完し合う「オープンイノベーション」を骨子とする提言の一部を抜粋し紹介したい。(要約)
広島の自動車産業はどうあるべきか。これまでの移動による便益や、人が運転することで得られる喜びに加え、自動運転などの利便性、地球を汚染しない環境性、さまざまなサービスへの接続、これらをバランスよく向上させた次世代モビリティを世界へ送り届けている、それが目指すべき姿だろうか。
いや、そうではない。一企業、一業界、一地域で全てを補う時代は終わった。なぜなら社会変化のスピードが加速度的に速くなっている。これまでと同じことをしていてはもう後発の企業は追いつかない。資本と技術が特定企業に集中し、その集中が次の集中を加速度的に誘発している。世界規模の情報系産業がさまざまな企業を吸収して急拡大し、自動車産業の領域へ進出してきている。
さらに、カーボンニュートラルをはじめとした劇的な環境変化はこれからもどんどん起きてくる。だから、自社や地元でできないことは思い切って他社や他の地域に頼り、合従連衡してイノベーションを起こしていかなければ産業競争のレールから脱落してしまうだろう。 −次号へ
広島修道大学は今年度後期から「広島の事業承継を学ぶ」と題し、全15回にわたる講義を行った。1月13日の最終回に登壇した広島銀行執行役員国際営業部長の坂井浩司さんは経営者の高齢化、事業承継を取り巻く環境、事業承継の種類や事例、投資ファンドなどを話した。
同講義は、後継者不足が指摘される広島企業の事業承継に焦点を当て、経営者や専門家から直接話を聞くことにより、少しでも学生自身のキャリアや人生を考えるきっかけになればと初開講した。これまでに旭調温工業の粟屋充博社長、合同総研の篠原敦子社長、アイグランホールディングスの重道泰造会長兼社長らが登壇。全学部全学科の2、3、4年生が履修した。
坂井さんは、中小企業の経営者年齢の分布や平均引退年齢の推移(中小企業庁「経営者のための事業承継マニュアル」)などを示し、今後10年間に70歳を超える中小企業・小規模事業者の経営者は全体の約6割になり、そのうち約半数(日本全体の3分の1)の企業は後継者が未定などと解説。2021年の広島県の後継者不在率は64.4%(帝国データバンク調査)で前年の71.3%から改善したものの、全国11位。20年1〜12月に倒産した企業は全国で7773件と前年比7.2%減少した一方で、休廃業・解散した企業は4万9698件と過去最多を更新(東京商工リサーチ調査)した。
同行が支援した第三者承継(M&A)で安佐南区のバロ電機工業の例を紹介した。
「社長は娘や従業員などに経営を引き継ぐ人がいないため廃業も検討。しかし取引先や従業員のことを考えると、会社を守らなければならないと決心し、70歳を目前に広島県事業引継ぎ支援センター(当時)を訪問。1年半で約30社の候補先リストを当たった結果、同じ安佐南区の東洋電装が引き受け、社員の雇用が守られて社名も残りました」
他に「親族内承継」の事例として、社長が還暦を機に息子を後継者に考えたが、30歳と若く若社長誕生に不安の声もあってホールディングス組織とし、複数ある事業を分社化。社長がグループ全体をかじ取りし、常務と息子が事業会社の社長に就いた。後継者の負担を軽減して経営者の経験を積ませることができ、従業員も次期社長になれる可能性が生まれてモチベーションが高まったという。
「従業員承継」では、後継者の息子が父の経営方針に同感できず家出。同行が運営する事業承継ファンドの担当者を通じて説得し、息子に移転していた株式を集約。役員4人で設立した会社に株式を承継した事例がある。
坂井執行役員は1987年同行に入り、店舗、インターネットバンキングなどチャネル部門が長く、神戸支店長、個人ローン部長、営業統括部長、執行役員などを歴任。広島経済同友会事業承継委員会で委員長を務め、親族承継、役員・従業員承継、第三者承継の三つのスキームごとに専門家の知見や体験談などを情報収集し、課題を抽出した。
さまざまな課題を論理的に解決していく、売買条件の交渉も大事だろうが、格別の志を持って創業した人ならなおさら、志ある人に受け継いでもらいたいとの思いが募るのではなかろうか。
宮島の町家通りを散策すると、ひさし下の出桁を支える腕木や持ち送りの意匠など、そこここに往時の職人の仕事が見つかる。出格子の町家が建ち並び、歴史的な風情が漂う。土産店が軒を連ねる宮島表参道商店街の東側に弓状に並行し、歩みを向けると趣を変え、島民の生活がある。
昨年8月、厳島神社を要とし東西に扇のように広がる市街地のうち16.8ヘクタールが戦国時代由来の門前町として重要伝統的建造物群保存(重伝建)地区に選定された。県内で4カ所目。東町の町家通り、西町は神社の南西側に大聖院や大願寺の門前の町場が広がり奥深い景観をつくる。
日本を代表する景勝地として文化財保護法や自然公園法など多くの法の下、土地利用や建物形態意匠、色彩に至るまで制限があり、島に暮らす人たちもその規制に応じてきた。古来、弥山を神体山として居住はご法度だったが、推古天皇元年(593)創建とされる厳島神社が平清盛の庇護の下、大きく発展。海上交通の要衝として栄え、大内や陶、毛利ら群雄割拠に明け暮れた戦国期に、いまの門前町が現れ始めたという。島で生まれ育った宮島地域コミュニティ推進協議会の正木文雄会長(正木屋代表)は、
「歴史的な町並みを文化財として保存する重伝建の選定は当時にタイムスリップする町並みづくりのスタートと捉えており、観光や産業振興にもつながる。しかし、これからが大変。昨年7月、伝統技術を継承すべく伝建宮島工務店の会が設立した。島全体が国立公園。厳島神社や原始林など島の約14%が世界遺産で、自然美を維持保存する風致地区という特殊な土地柄。住んでみないと宮島のことは分からないと思う。一方で空き家が増えている。島全体の調和を大切にしながら関係者ら多くの力を借りて貴重な価値を未来へ残していきたい」
ピーク時に5200人を数えた島民は市と合併した2005年には約2000人に半減し、今年1月1日付で1452人。高齢化率は48%。過疎地域でもある。重伝建地区内に住宅が約560棟あり約750人が暮らす。島外に住む所有者も少なくなく空き家が増えている。
合併前から今後の宮島のあり方を模索。重伝建地区の先進地視察などを重ね、町並みを生かす島づくり計画を01年に策定。04年に町家調査をし、外観は変わっても内部は当時のままという建物が数多く判明。有識者らから保存の価値が指摘された。20年9月に宮島エコツーリズム推進全体構想が中国地区で初めて環境、国交など4大臣認定。自然や文化歴史の価値を守りながら生かす工夫やシステムづくりが決め手になった。
町家通りにある宿の厳妹屋(いつもや)は県外から移住した若者が切り盛りして13年目。100年前のしつらえに欧米客の人気も高いという。10年に宮島土曜講座を始めた広島工業大学は学生らが町家の活性化に向けて活動中。少人数やファミリーで訪れるケースも増えており、重伝建選定によって多様に楽しめる観光の可能性が広がりそうだ。
市は宮島の空き家管理や総合相談窓口を担う島づくり組織の準備会を22年中に立ち上げる予定。歴史から未来を見通し、次代へつなぐ責務は重く、多くの楽しみがある。
金属加工品製造の内海機械(府中市)は昨年12月、キャッチコピー「ぶっちぎりの短納期」を商標申請した。新規開発の工作機械の試作品や部品の破損、損失など少量の発注に原則、3日以内に納品する目標を掲げており、業界の〝駆け込み寺〟と呼ばれている。内海和浩社長は、
「知りうる限り、短納期で負けたことはない。さらに同業他社を圧倒するスピードをもって〝ぶっちぎり〟1番の心意気と決意を込めた」
短納期の秘訣は何か。父滋之さんの後継として3代目社長に就いた2007年ごろはどこにでもある町工場。不良品が発生し、納期も遅かった。現状のままでは生き残れないと考え、改革に着手。さっそく事業計画を策定し、整理・整頓などの5S活動に加え、3定(定品、定位置、定量配置)の徹底に乗り出した。
50本以上ある切削工具は、太さ別に壁掛けで定位置を用意。ガムテープ、メジャー一つにいたるまで置き場所を決めている。移動のムダが発生していたマシニング作業では、市販品の大きなツールボックスを廃止し、専用棚を増設。工具を取りに行く手間を少なくし、3定の徹底で整然とした見た目に加え、扉や引き出しを〝開けて取る〟などのひと手間を省いた。工具や部品が入った引き出し棚は極力撤去し、工具はすぐに使えるように壁掛けとした。原則1週間以内に使うものだけを周辺に置き、当面使う予定のないものは倉庫へ。3カ月以上使わないものは廃棄し、その総重量は9トンに及んだ。
「環境整備によって、品質に対する責任や納期に対する意識が高まってきたことを実感している。毎工程の1歩、1秒のムダでさえ、年間に換算すると相当になる。こうした追求を積み重ねた結果、生産効率は30%アップした」
人材の採用、育成にも力を入れる。従業員数14人だが、ここ数年は大卒者を採用。今春は広島修道大学商学部の学生が入社する。エンジニアは旋盤やフライス、溶接、研磨など各種工程を一人で担う「多能工」を推進。入社1年で玉掛け、クレーン、ガス溶接、フォークリフトなど10の資格取得を支援する。人材育成では日常業務を通じて会社の姿勢や考え方を伝え、社員研修やOJT、社外講習なども充実。仕事がしやすいよう常に考える人材を育てる。
「大手も採用に苦戦する中、どうやって募集しているのかと驚かれることが多い。中小企業の魅力を徹底的に訴求していくことに尽きる。福利厚生では大手にかなわない。しかし仕事のやりがいや幅広く経験できるなど、明確な目標を持って成長意欲にあふれた人にはうってつけの職場だと自負している。いまでは社員が率先垂範で採用に動いてくれるようになった」
2020年に経済産業省の「はばたく中小企業・小規模事業者300社」に選定された。いまはDX(デジタル変革)に取り組み、スマートファクトリーを掲げる。2年前から府中市の産学官連携推進事業で生産工程をIoTで可視化し、AI分析。ビッグデータからボトルネックを見つけ出し、段取りロスなど普段気付かない非効率にもメスを入れる。日本のものづくり現場力が高まればと見学者を常時受け入れる。「ぶっちぎりの短納期」の道は果てしない。
宮島の海にたたずむ嚴島神社の大鳥居は美しい。修復工事のため、大鳥居を囲う足場が組まれて2年余り。当初計画では既に修復を完了しているはずだったが、柱の内部に想定外の損傷があり工期を見通せないという。古来の建築技術を駆使した世界でも稀な海上の社殿を次世代へ継ぐ、専門業者による工事が慎重に続く。
元請けとして工事全体の管理を担う増岡組広島本店(中区)は、本殿や能舞台などに多大な被害をもたらした1991年の台風19号による復旧工事をはじめ、長く嚴島神社の保存修復に携わる。10年前から現場を統括する舛本貴幸所長は、
「長さを表す尺や寸、部材名など、一般建築ではあまり使われなくなった用語がいまだに残る。着任当時は一級建築士として10年以上の経験があったが、現場で交わされる会話を理解できなかった。同じ建築でも異世界だったが、当社が蓄積した過去の実績と神社仏閣の復元法を習得することで理解を深めた」
大鳥居の工事は、設計監理を行う嚴島神社の原島誠技師と、耐震診断と構造補強設計を担う(公財)文化財建造物保存技術協会(東京)の下で、塗装・檜皮(ひわだ)屋根・瓦・大工など専門業者と連携して進める。複数の木材を組み合わせる仕口継手が多用され、今も伝統的な工法が生きている。内部構造は表面を開けて初めて分かることが多く、大工や神社技師と相談しながら工法を決めるため、どうしても時間を費やすという。
緊急時も気が抜けない。台風前は被害を想定し、できる限りの対策で備える。台風災害の際は、
「破損して海に流された木材などもできる限り回収し、乾燥させて再び利用する。部材の一つ一つが文化財であり、扱いには細心の注意が必要。くぎの痕跡からその時代や工法などを解明できることもあり、その価値は計り知れない。伝統建築は一般建築と比べて難しさもあるが、そこが奥深さであり、やりがいでもある。世界遺産の維持修理に携わらせていただけることは、われわれの誇りだ」
中区鶴見町の同社広島本店には、各地で請け負った伝統建築修復の概要を記したファイルが並ぶ部屋がある。嚴島神社をはじめ、呉市豊町の御手洗町並み保存地区や下蒲刈町、鞆の浦(福山市)の古民家修復など200件以上の実績が集められている。山﨑正雄上席執行役員が各事務所の倉庫などに散在していた施工資料を集め、整理してきた。
「神社や仏閣、古民家はそれぞれの建物に独特の建築工法が採用されており、過去の実績が将来の重要な技術向上につながる。しかし案件ごとの特徴を理解し、どのような施工をすべきかを判断できなければ意味はない。伝統建築は一般建築よりも手間がかかり、工期が長くなる。しかし地域の文化財を守るという使命感がある。建築屋の誇りにかけ、伝統技術の習得に全力を注ぐ」
活動中の中期計画には神社・仏閣・古民家などの施工能力向上を目指すプロジェクトがある。山﨑役員や舛本所長ら5人が毎月集まり、資料の活用法などの勉強会を続ける。文化財と共に、それを守り維持するノウハウを伝承するための体制整備を急ぐ。