広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

広島経済レポート|広島の経営者・企業向けビジネス週刊誌|発行:広島経済研究所

コラム― COLUMN ―

広島経済レポートの記者が注目する旬の話題をコラムで紹介。

  • 2020年2月13日号
    新連携パートナーシップ

    中国5県のプロスポーツクラブや企業、関係団体などが地域や競技の枠を越え、ビジネス連携を図るプラットフォーム「ちゅうごく5県プロスポーツネットワーク(通称スポコラファイブ)」の取り組みが注目されている。
     中国経済産業局が2017年に立ち上げた全国初のプロジェクトで、新しいビジネス創出などにつながる仕組みづくりを目指す。その一環として1月30日、企業約50社を含め関係者約100人が集まり、「スポコラファイブ中国地域スポーツ関連ビジネス成果報告会」があった。
     当日、スポーツの成長産業化と基盤形成に向け「スポーツ新連携パートナーシップ制度」を創設。企業が広告などによってプロスポーツクラブの運営を支え、その広告効果などに期待する従来型のスポンサーシップとは異なり、新設のパートナーシップ制度はスポーツという経営資源(リソース)を活用し、地域や社会の課題などを解決する新たな関係構築を目指す。
     第1号で野村乳業(府中町)と自転車ロードレースのヴィクトワール広島が合意書を交わした。広島大学と共同開発した植物乳酸菌発酵エキスを選手に摂取してもらい、競技への影響などを分析し効果を検証。商品開発や販売拡大に役立てる。野村和弘専務は、
    「パートナーシップ制度を通じて、これまで接点のなかったプロチームの協力を受けることになり、研究開発の輪も広がる。自社だけでは限界のある事業展開に、新たな道筋を見いだせるチャンスを頂いた。植物発酵乳酸菌エキスの摂取によって選手のパフォーマンスがどう高まるのか、大いに期待している」
     スマホを利用してコインを貯めると観戦チケット交換や店舗の優待などが受けられる〝サンフレッチェコイン〟事業を昨年11月4日〜12月7日、紙屋町シャレオで実証した結果、狙い通り観戦客と店側の集客が図れたという。スポーツとの連携でビジネスの視界が広がり、新たな発想に弾みがついているようだ。
     国は日本再興戦略でスポーツを成長産業に位置付け、2025年までに15兆円の市場規模を構想に描く。これを受け、プロジェクトに取り組む中国経産局の担当者は、
    「スポコラは県域を越え、新たな切り口で横断的にスポーツとビジネスの連携を展開する仕組みで、地域に新しい価値と元気をもたらす可能性を秘めている。スポーツの魅力と機能を掘り起こしながらパートナーシップ制度を後押ししたい。これまでにないビジネスが生まれる可能性も十分に期待できる。いま2号、3号を仕掛けている」
     その日は広島市や県、商工会議所の3者トップ会議が開かれ、中区の中央公園広場へ3万人収容のサッカースタジアム基本計画の素案をまとめた。都市再生緊急整備指定地域という立地を生かし、24年開業を目指す。さらにサンフレコインの機能強化、発展にも期待がかけられる。
     広島には多くのプロスポーツがあり、ファンを楽しませる。一方で、総務省の19年の人口移動統計報告によると広島県の「転出超過」は8018人に上り、全国最多。スポーツの力で地域や企業が大いに元気になり、新たに人を呼び込むことになれば、その相乗効果は計り知れない。

  • 2020年2月6日号
    その時々にやり遂げる

    その時々にやるべきことをやり遂げる。東京大学法学部を卒業後、通産官僚、実業家などを経て2007年に広島県知事選に出馬し初当選。現在3期目の湯崎英彦知事の信念である。広島テレビの番組を本にした「Dearボス〜トップの秘密のぞき見バラエティ〜」(南々社発行)のイントロで、この言葉について湯崎知事が一文を寄せている。そして本に登場する11社のトップに共通して創業期や転機などの時々に「やり遂げた」という逸話が、興味深い。一部を紹介したい。
     現在、「すし辰」などの回転寿司8店舗のほか、焼き肉店2店舗、和食店「鄙(ひな)の料亭地御前(じごぜん)」や、母体となった鮮魚店を県内で展開する鮮コーポレーションの西田昌史代表取締役。庄原市で古くから営む家業の鮮魚店に入り24、25歳の頃。小さな店を守り、田舎の商店街で生きていく、これが自分の人生かと思うと、たまらない寂しさと絶望感を感じた。しかし転機が訪れた。27歳の時。地元にできたショッピングセンターに出した店を任される。初めは散々だったが、知人の助けやアイデアを生かした売り方で驚くほど繁盛。商売の面白さを知り、全てが変わったという。
     31歳。挫折を味わった。ファミリーレストランをつくろうと思いつき、建設に着手。しかし肝心の人がいない、レストラン運営の知識もない。突然耳が聞こえなくなったり涙が出たり。中止を決断。2000万円の借金を負った。この時、自分に経営の知識が何もないことを痛感し、勉強しなければと思った。うまく切り抜けようと悪あがきをしないこと。苦しいときこそ明るく振り舞うこと。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」という格言が、それ以降の人生の道標(しるべ)になった。 
     それからも失敗はあった。ただ成長するにしたがってスタッフも成長し、会社の体力もついてくるから失敗しても何とか切り抜けることができてきたというのが実感です。
     日本一の木材会社で、2500人の従業員を擁する中国木材の堀川智子社長。戸建て住宅用構造材の国内シェア30%以上を占め、3期連続で1000億円以上を売り上げる。2代目で父親の保幸会長が基盤をつくり、2015年に3代目に就く。父はすごい倹約家で、5人きょうだいの長女である私もよく似ています。使い捨てが嫌いなタイプなんです。メーカーとして1円1円コストダウンして利益を積み上げないといけないというのが今も父の口癖。どうやってムダをなくすかというのが常に頭にありますね。
     一方で、業界の常識を破る大胆な投資を次々に断行してきた。物流コストの削減に直結する「一港積み一港降ろし」を実現するため、21億円で工場に専用ふ頭を建設。業界でいち早く乾燥材を商品化。製材の過程で排出される樹皮やオガ粉を燃料に使う「バイオマス発電事業」に乗り出し、森林経営も手掛ける。原材料→製材→乾燥→加工→流通までの一貫体制を全国14カ所の拠点で行い、全国へ製品を供給する。まさに大胆で細心。その時々で革新を重ね、業界をリードする腕力がすごい。
     苦境の時はむろん、その時訪れたチャンスをいかにしてつかむか。やるべきことをやり遂げたから知恵も生まれ、運も味方したのだろう。

  • 2020年1月30日号
    誰もようせんことをやる

    幾多の修羅場を乗り越えてきた経験が経営者に自信と勇気を与え、揺るぎない経営観となったのだろう。
     広島の企業経営者らを取り上げた2冊の本が相前後して発刊された。「ひろしまのすごい社長たち」(南々社発行)は、個性豊かな14人のトップが登場する。こんなことを語っている。要約。
     エスエスジャパンの佐々木世紀男(せきお)代表取締役。日々を疎かにしない。ごまかさない。誠心誠意、仕事をする。ただそれだけ。小さなかすり傷から事故による大破まで、同じ傷は一つもない。事故車を扱う板金、塗装は1台1台が全て異なる作業。それができるところにステータスがある。当然、高い技術が必要で、自分自身が試される仕事だ。開業以来37年、事故車修理のクレームは1件もない。
     他人と同じ仕事をしとったら、値段で天秤にかけられて自分の能力と関係ないところで競わんといけなくなる。だから、誰もようせんことをやろう、と決めた。それができる板金の妙技に惚れ込み、技術を武器に無理難題に挑み、特許や意匠登録も取得。戦略的に事業化してきた。
     オオアサ電子の長田克司代表取締役。一人のヒーローはいらない。それぞれが得意分野を生かし役割を果たすことで会社は成長する。窮地に陥って苦しんだときこそ、今ある仕事を究める。そこを掘り下げていけば必ずチャンスは生まれてくるものです。
     面白そうだ。とにかくやってみよう。鈴虫の鳴き声のように、どこから聞こえてくるか分からないけど音が聞こえてくる。そんなスピーカーを作ろうというのが共通のコンセプト。音を拡散させる独自の仕組みを開発しました。
     バルコムの山坂哲郎代表取締役。人を育てることほど難しいことはありません。若い子たちは楽をしたがる。そうした変化を受け止めながら社員に愛を持って接することが大切。社員とは家族のようなもの。人に愛を持ち続けることは経営者にとって最も大切な感性、資質だと思う。
     青果物卸売販売の古昌の古本由美代表取締役。元々、商売なんて大嫌い。企業社会は男社会、男に負けてはならないと猛勉強をしました。意地だけで頑張っていたのかもしれません。強硬に自分の意見を主張し、社員に急激な変化を求めました。決意もないままに事業を継承したものの、世の中は大きく変化しており何とかしなくてはならないとあせりました。女であることが仕事の上で邪魔な気がして虚勢を張っていたのかもしれません。
     起こることはすべて必然。そこには必ず原因がある。不都合なことが生じても、それを人のせいにしてはいけません。むしろ自分の方にあることも心得ておくべき。自分自身、これまで人との出会いはラッキーの連続でした。
     各社の理念、社員からのメッセージも載せる。経営危機や社員の反発、病苦などの苦境に立ち向かい、渾身(こんしん)の力でくぐり抜けた経験から吐露された言葉は、ずしりと重い。
     もうひとつ。広島テレビの番組「Dearボス〜トップの秘密のぞき見バラエティ〜」が本(南々社発行)になった。放送内容に追加取材して構成。日本一の木材会社、中国木材の堀川智子社長ら12人が登場する。−次号へ。

  • 2020年1月23日号
    創業家系図の巻物

    文華堂(中区国泰寺町)の伊東由美子社長は2018年6月、三男の剛副社長と共に伊東家の戸籍謄本に記載されている熊本、長崎、佐賀3市と香川県丸亀市を訪ね、現地の図書館などで古地図や文献をひもといた。明治30年(1897年)に長崎で創業と伝わる家業の歴史をたどり、今後の事業継承に道筋をつけるという大きな目的があった。伊東家に嫁ぎ、7代目の伊東社長は、
    「現地で確かめる創業の歩みは非常に興味深く、面白いものでした。実際に資料を調べると長崎ではなく、今から150年以上前にさかのぼり熊本県高橋町で伊東寅之助が内与力として細川藩の奉行所で蔵書印や藩設置機関印、検閲印などを製作。廃藩置県後、明治20年に長崎に出るまで、当地で印版の仕事に当たっていたことが推定できました」
     新鮮な驚きだった。創業は明治新政府が発足した1868年であることが判明。近代社会へ向かう黎明(れいめい)期、長男で2代目の寅三郎と共に技術と信用で印版の存在価値を高め、家業を営んだようだ。長崎へ移転後は、終戦まで韓国大邱で福岡や佐賀県の仕事も受けるなど手広く展開。今も大邱と釜山に文華堂の看板で事業が引き継がれているという。
    「家族と共にその地を訪れ、何度も現地の文華堂を行き来した先代、先々代の足跡がありました。4代目秀次を師、恩人とあがめ『私たちの原点がこの硯(すずり)にある』と祭壇に供えられてあった。当社が大事にしてきた理念〝企業は人なり〟を改めて確認することができた。歴代経営者の事業にかける思いもかみしめた」
     本格的な雇用に乗り出した1987年、1年をかけ全員参加で経営理念を策定した。
    「小さな会社にはなかなか優れた人材が来てくれない。あの手この手を打ったものの人手確保で一番、苦労した」
     経営のあり方を根本から見直し、今は全社員も参画して経営計画書を作成している。この十数年、定年や結婚以外による退職者はいない。
     文華堂は今年1月から創業50年以上のオーナー企業を主対象に、創業家と事業変遷の歴史を時代の主要な出来事と合わせて巻物にまとめる「創業家系図」の制作サービスを本格化した。主に次期後継者に引き継ぐタイミングで提案する。2年前に戸籍謄本や過去帳、古地図などを頼りに完成にこぎ着けた自社家系図がヒントになった。時代のうねりや変革を乗り越えた歴代トップの信条や人柄などを掘り起こし、創業の精神を検証できたという。
    「最初は生きていくため。時代背景もあるが結局、良し悪しは別にして自分が信じた方向に動いていくのが人だと思います。松下幸之助は松下理念を継承する人をトップ候補としていたという。地域の雇用を守り、必要とされる、風土づくりの一端も担う老舗企業の灯を途絶えさせてはならない。求心力となる創業の魂を社員皆で理解、共有し、事業に落とし込んでこそ永続的な発展につながるのではないでしょうか」
     技術革新などでパラダイムシフトが進み、後継者不足などを背景にM&Aが増加。時代の変化を読み取り、改革の手を緩めてはならないが、併せて人と人がつながる〝縁繋(えんけい)支援事業〟を掲げ、時を越えた縁繋で未来を創る構えだ。

  • 2020年1月16日号
    エージラウンド達成

    池田晃治会頭が初参戦し、昨年12月14日、広島カンツリー倶楽部八本松コースで広島商議所の第1回議員ゴルフ大会があった。結果は、
    優 勝 高橋正光(88−71)
    準優勝 橋本 満(89−71)
    3 位 中村成朗(101−75)
     萬国製針会長の高橋さん(82)が見事、深山会頭時代の会頭杯取り切り選と、池田会頭になって初の会頭杯の2つを掌中にした。併せてベストグロスは立派というほかない。なお池田会頭はブービー賞。大会を盛り上げた。
     さて、3位と健闘した中村角の中村会長(80)の話。昨年1〜12月に年齢を大きく上回る89回のラウンドをこなし、一昨年に続いてエージラウンド回数を達成した。かつては自分の年齢以下のスコアで18ホールを回るエージシュートを念願していたが、近年はスコアより、年齢以上をこなすエージラウンド回数に目標を変更。
    「こうしてゴルフを堪能できる健康にこそ感謝しようと考え方を改めたのです」
     暑さ、寒さなどはものともせず黙々と歩き、特有のスイングを貫く。40代から始めた毎日の縄跳びは今も欠かさない。エージラウンドは若いときに楽々達成できるが、やがてはそれが並大抵ではなく、同世代の誰からも尊敬されるようになる。日頃の健康管理の証といえよう。
    「大学を出て、わが社に入るやいなや、おやじ(創業者の角太郎氏)の運転手役としてゴルフ場へ送り迎えするうちに、お前もやったらどうかと命令が下り、引きずり込まれたのがきっかけ。それで伝説のアマチュアゴルファー、中部銀次郎さんにお会いする機会に恵まれた。当時、大洋漁業(現マルハニチロ)の中部利三郎副社長と、三男坊の銀次郎さんら子息3人を合わせた4人のハンディを足してもシングルの腕前。何しろ中部家ではゴルフ道なのです。ハーフタイムにビールなんてもってのほか。ゴルフ場にゴミが落ちていれば黙って拾う。ボールはあるがままとし、ノータッチ。そうしたマナー、姿勢は威厳にあふれ、感銘を受けた。とても足元にも及ばないが、ときに銀次郎さんの後姿を思い浮かべ、襟を正している。私にとって生涯の大きな出会いでした」
     1984年に45歳で社長に就任。社是に「継続は力なり」と掲げた。食品卸の利幅は薄い。業界動向や自社営業を徹底的に分析し、業務用を主力に冷凍・冷蔵商品の扱いを増やすなど、生き残りを懸けた改革を断行。一方で、取引先に役立つ地道な営業に徹し、2019年3月期決算で売り上げ270億円を計上。総合食品卸では県内トップクラスの地歩を築く。
     ゴルフもとことん。30代でハンディキャップはシングルに到達。ホールインワンも2回達成している。
    「素晴らしいゴルフ仲間に恵まれた。エージシュート達成の浜脇整形外科病院会長の浜脇純一さん(80)、石崎本店元社長の白井隆康さん(82)、高橋正光さんらとよくラウンドしている。みなさん若々しく負けてはおられません」
     万事徹底。中村会長に何事もおろそかにするところがない。社業はむろんのこと、愛してやまないゴルフを通して生き方を磨いてこられたのだろう。今年は81回以上のラウンドを目指す。

  • 2020年1月9日号
    穏やかな成長が続く

    2020年の注目ポイントの一番に東京五輪、そして米国大統領選挙、第5世代移動通信システム(5G)を挙げた。国内や県経済の見通しについて、ひろぎん経済研究所の水谷泰之(ひろゆき)理事長は、
    「何と言っても東京五輪が最大のイベント。大きなインバウンド効果や国内消費の底上げが期待される。五輪後の景気を懸念する声もあるが、首都圏を中心に大型プロジェクトが続いている。さらに5G関連投資の本格化による半導体市場の回復や、世界景気持ち直しの動きも徐々に強まるとみられており、大幅な落ち込みにはならないと考えている。広島県では、当面、輸出や生産が全国同様に弱含む可能性がある。しかし、広島市など都心部でのホテル、オフィスビルなどの建設や、災害からの復旧復興工事による下支えが見込まれるほか、東京五輪や昨年11月のローマ教皇来広を契機とした外国人観光客の増加も予想される。年間を通してみれば、緩やかな成長が続くと期待」
     過去7大会の五輪開催国の平均成長率をみると、開催前の3〜1年前は競技場やインフラ整備などの大型プロジェクトが相次ぐことから伸びる一方、開催年と1年後は反動で伸び悩む傾向がある。しかし東京では、
    ▷品川新駅(仮称)全面開業=総事業費約5000億円
    ▷虎ノ門・麻布台プロジェクト=約5800億円
    ▷東京駅日本橋口前の常磐橋街区再開発=約1兆円
    ▷東京〜大阪間の中央リニア新幹線開業=約9兆円
    ▷羽田空港アクセス線整備事業=約3400億円
    ▷渋谷エリア再開発=4つのエリアで進行中
     などの大型再開発案件がずらり。さらに五輪開催国のインバウンド需要は長期間にわたって喚起される傾向があるという。わが国では昨年のラグビーワールドカップやローマ教皇来日なども追い風となり、今後、さらにインバウンドが増加する可能性が高い。
     トランプ大統領は選挙中の景気後退を避けるため、自国の景気にもマイナス影響が及ぶ対中貿易摩擦の激化を避けたいのが本音ではないか。しかし中国の産業政策など米中間の根本的な対立点の解消は容易でない。香港情勢などと合わせ、予断を許さない展開が続く。さて、どうなるか。
     5G。その主要性能は超高速、超低遅延、多数同時接続という。例えば、超低遅延は自動運転の実用化などに、多数接続は大量のセンサーから集まったデータを活用するスマート工場やスマートシティーの実現に役立つと期待されている。幅広い産業分野に影響が及び、総務省資料によると経済効果は46.8兆円。このうちバスやタクシーの自動運転、トラックの隊列走行などが計画されている交通・移動・物流分野では21兆円と試算している。果たしてどんな時代が訪れるだろうか。
     水谷理事長は1984年に京都大学法学部卒業後、広島銀行に入行。総合企画部ALM・リスク統括課長、東京支店副支店長、コンプライアンス統括部理事、常任監査役などを経て昨年6月から現職。気取ったところがなく、ざっくばらんである。自ら銀行員に向かなかったと言うが、本質へ向かう切り口は鋭い。
    「ボーッと生きてんじゃねえよと自分を叱らなきゃね」

  • 2019年12月19日号
    春風のように

    今年もあとわずか。どれほど感動の出会いがあったか、悔いはなかったか。新しい年へ心身の備えは大丈夫かなどと思いをめぐらす。何かと気もせくが、さっぱりと気分が晴れるような話を聞いた。
     12月10日に市内ホテルであった広島経営同友会(三村邦雄会長)月例会で「新たな十二支の子年」と題し、書家で刻字作家の安達春汀(しゅんてい)さんが講演した。文墨の世界に西暦はなく、甲乙丙などの十干と十二支を組み合わせた「干支」で表記する。組み合わせは最小公倍数で60種類。年に当てはめると61年目にもとの干支にかえり「還暦」という。ざっと干支の神秘を語り、さて、子年はどんな年かというくだりに「占いはやらない」とさらりとかわした。
     続いて世界一貪欲という日本民族の文字に話が及んだ。紀元600年ごろ、中国から漢字が入り、以来、風俗や習慣、言語などの違いが混じり合って日本人の心や気持ちに合うよう、いろいろと変遷し長い間に淘汰(とうた)されて、やっとひらがなやカタカナができたという世界でも珍しい、不思議な日本の文字について事例を交え、話してくれた。
     続いてサインを上手に書けるポイントについて。自分の字は自分しか書けない。それぞれに知性、教養、環境に応じた書風がある。されど下手だから教養がないということは決してない。しかし、丁寧に心を込めた字は必ずといってよいほど好感をもたれる。美形でなくとも、せめて自分らしい筆跡であればよい。ほっとするような、油断できないようなポイントである。
     続いて春汀さんがアトリエで創作するシーンなどを撮った民放テレビ局制作のビデオを上映。にこやかに周りを和ます、春風のように泰然とした表情から一変し緊張感がみなぎる。軟な刃など跳ね返すほど硬く、身の丈を上回るイチョウの分厚い一枚板に向かって決心したようにのみを打ち込む姿は気迫にあふれる。一年以上をかけ、自身の書いた文字を浮き上がらせた。
     映像と重なり、春汀さんが好きだという武者小路実篤の詩がテロップで流れた。
      進め、進め すんだことは仕方がない
      後悔は先に立たない なるべく後悔するようなことはするな
      しかし、したらしたで仕方がないから くよくよ思わずに進め 進め
      したいことは多すぎる 何でもいいからしたいと思うことを片っぱしからしろ
      そしていやになったらやめて天と同化したような気持になって 仰向けにねながら空でも見るがいい
      そしてつかれが休まったらまた起き上がって進め進め
     春汀さんらしい自然体の気分が伝わってくる。そうしなければ思いのすべてを込め、厳しい創作活動に没頭できないのかもしれない。
     12歳で書家の香川紫峰に師事し書道芸術院に籍を置く。22歳で刻字の制作を始める。毎日書道展や書道芸術院で入賞。作品は西条「酒まつり」ポスター題字、宮島の厳島神社表額など。表彰は広島市政功労者、広島文化賞、文化庁の地域文化功労者など。
     ▷本年もご愛読を頂き、誠に有り難うございました。引き続きご愛顧のほど宜しくお願い申し上げます。

  • 2019年12月12日号
    融資の裏打ち

    新幹線がでっかい希望を運んできた。広島県内で唯一、新幹線車両に使われるアルミ部品を加工、納入する景山産業(南区、景山善美社長)は受注増に対応し、西区に新工場の用地約1800平方メートルと平屋の既存工場を購入した。同社の年商は約6億円で、買収額はほぼ同額の6億円弱。これを広島市信用組合が単独で資金需要に応えた。
     典型的な町工場にとって大きな額になり、さらにレーザー加工機全自動ラインの最新鋭設備導入などに投資額も膨らむ。大きな決断だった。同信組の山本明弘理事長は、
    「創業来60年近くをかけ、こつこつと信用、加工技術を重ね、今、大きなチャンスをつかみ取ろうとされている。ひたむきな経営陣の取り組みは何事にも代え難い。大いに成長性があると判断した」
     両経営者の呼吸がぴたり。これにはむろん、大きな裏打ちがあった。
     同社は1963年、創業者の景山昭二会長(92)が精密板金製造を創業。当時の国鉄(現JR)から取り付け金物の製造をやってみないかという誘いが発端だった。やがて信号保安設備関連の機器類も製造し、業容を伸ばす。そうして90年代半ばに大きな転機が訪れた。高速道路に設置するアルミ加工のシート式情報板を製作しないかと取引先の小糸工業(現コイト電工)から依頼があり、ためらうことなく手を上げた。創業者の次男、拓(ひろむ)専務(56)は「このときの経験がその後の大きな糧になった」と振り返る。
     まずは金型メーカーを探すことからスタート。西日本を走り回った。必死だった。発注者が求める厳格な品質、コスト、納期に加え、出来栄えの美しさなどの要求は厳しさを極めた。撤退しようかという思いもよぎったが、一層チャレンジ精神を鼓舞。火の玉になった。
    「ものづくりの魂、技術を徹底的に鍛えられた。試練を乗り超えたことが自信になり、現場で製品を手にしたときの感動があるから続けることができた。従業員みんなに喜びが広がり共感が生まれた」
     これが原動力になったのだろう。13年前に新幹線向けの受注が飛び込んできた。日立製作所笠戸事業所に納入する車体の内装部材、ドアや床周り、先頭のライト周辺などのアルミ部品の総数は1万種類に及ぶ。次々に最新鋭設備を導入したことも品質向上、生産性を飛躍的に高め、加工改善の提案やコスト削減などに競争力を磨いた。従業員採用にも特有の考え方がある。異分野で働いていた固定概念の少ない人の方が、素直に技術を身に付けてくれるという。
     今後、新型の新幹線が量産体制に入り、海外からの受注も見込まれている。台風で浸水した北陸新幹線車両を新たに造る方針もある。さらに同社のアルミ加工技術が評価されて医療器具関連ほか、予想外の分野からも引き合いが入る。来年6月の新工場稼働に備え、従業員を10人増員し総勢40人に引き上げる。数年後には売り上げ10億円を見込む。これまでに資金調達で苦労したときも同信組に支えてもらった記憶がある。しかしそれだけでは融資の裏打ちにはならない。融資する方と受ける方に、ぶれることなく地道に一本道を歩いてきたという、数字に表れない気脈が通じているのだろう。

  • 2019年12月5日号
    「池田丸」進発

    マツダ、中国電力、広島銀行の3社はいつしか、広島財界の「御三家」と呼ばれるようになった。広島商工会議所の正副会頭人事でも御三家の出身者が目立つ。
     11月1日で広島銀行の池田晃治会長(66)が会頭に就任。副会頭に選任されたマツダの小飼雅道会長は工業振興、広島電鉄の椋田昌夫社長は商議所移転を協議する同所の特別委員会のメンバーほか、交通体系の整備やまちづくり推進、フレスタの宗兼邦生社長は小売業や観光振興、広島魚市場の佐々木猛社長は中小企業振興、再任された中電の重藤隆文取締役常務執行役員は中区の中央公園自由・芝生広場を予定地とするサッカースタジアム建設と、市営基町駐車場・駐輪場を候補地とする商議所ビルの建て替え・移転などを受け持つ。評判は上々、なかなか強力な布陣である。
     戦後からの歴代会頭20人のうちマツダから河村鄕四、山崎芳樹の2人。中電グループから鈴川貫一、村田可朗、中野重美、池内浩一の4人。広島銀行からは伊藤豊、山田克彦、橋口収、宇田誠、池田(現)の5人を合わせて11人に上る。(敬称略)
     やはり、そのときの企業業績やトップ人事、まちづくりの課題などによって正副会頭選びも少なからず影響を受けてきた。景気の不透明感などから負担の大きい会頭就任に御三家そろって難色を示し、なかなか会頭人事が決まらなかったときもあった。一方でカープの本拠地となる新球場建設の課題を抱え、2004年就任した宇田会頭の以降、正副会頭に御三家の出身者がそろうようになった。
     06年、中電のトップ人事で福田督副会頭が副社長から会長に就任し、中国経済連合会の会長に就いた。2つの経済団体の役職を兼務するのは困難として副会頭を辞任。同じく渡辺一秀副会頭もマツダの役員人事で会長を退いたことから副会頭を辞任。新球場建設に伴う寄付活動が念頭にあったのか、宇田会頭は、
    「中電とマツダ両社に後任の推薦をお願いしたところ、中電の福田昌則副社長(当時)、マツダ協力メーカーの広島アルミニウム工業の田島文治社長に引き受けていただいた」
     と、安堵の表情を見せた。
     以降、副会頭はマツダから山木勝治副社長、金井誠太副会長、稲本信秀専務、小飼会長(現)、中電から小畑博文常務、信末一之常務、渡辺伸夫副社長、重藤常務(現)、広島銀行から蔵田和樹常務、廣田亨専務と続く。肩書きは就任時。広島育ちだが、すでに県外や海外へ大きく翼を広げた企業と広島をつなぐパイプ役を商議所が果たしているかのようだ。広島ならではの特色か、流通業が集積する西区商工センター地区から伊藤学−尾山悦造−中野彦三郎−中村成朗−桜井親−細田信行−伊藤学人−佐々木尉文−木村祭氏−佐々木猛(現)と、地区内にある広島総合卸センター理事長や有力企業トップらが多く選ばれている。
     今、広島に課題は山積している。池田会頭は「スピード感をもって懸案のまちづくり推進や、商議所本来の使命である中小企業、小規模事業者に役立つよう全力でぶつかる」と決意を示す。広島経済同友会代表幹事を4年務めたほか、銀行業務を通じて地元経済に精通し、人脈も広い。元気を振りまいてほしい。

  • 2019年11月28日号
    老舗の底力

    世界に比べて日本は長寿企業が多いという。それでも創業100年を超える老舗企業の割合はたったの2%で、中国地方に2528社、広島県に860社ある(帝国データバンク2019年調査)。
     一方で、企業30年説が広く流布されているが、国税庁調査で企業生存率は5年後に15%、10年後に6.3%という厳しいデータがあり、30年後にはほとんどの企業が姿を消すという説を裏付ける。なぜ老舗企業が100年以上にわたり生存できたのか。そこに経営のヒントが隠されているのではなかろうか。
     印刷業界の老舗で、12月に創業100年を迎える中本本店(中区東白島町)の100年史「創業期」に、
    『創業者の中本勝三には借金ゼロを貫くという信念があった。そのためには品質は絶対に落とせない。一度品質を落としてしまうと信用を失う。何としても品質の良さを守り抜く高い技術力と、人々の思いを正しく伝えたいという誠実さが欠かせない』
     とある。4代目の中本俊之社長(57)は、
    「今も創業時のシンプルな考え方が底流に流れている。近年、印刷業界はITなどによる技術革新の大波にもまれているが、唯一、品質を守るという基本は不変。今日まで愚直なまでに信念を押し通してきた。今後も貫く覚悟です」
     その遺伝子のせいか、誠実そのものである。
     勝三さんは出身地尾道から広島に出て、中国新聞社に印刷工として勤める。ここで技術を習得し独立。1919年に上柳町(現・橋本町)に中本印刷所を創業した。38年から現社名。鉄道省の監督指定工場になるなど順調に業績を伸ばす。人望を集め、広島活版印刷工業組合理事長をはじめ、日本印刷文化協会県支部(後に広島県印刷産業統制組合)の初代支部長を務めるなど長年、業界を引っ張った。
     しかし、被爆で全工場を焼失。当時の中本本店と爆心地の距離は約550メートル。午前8時の始業時間に合わせて出社していた全社員の命を失う。勝三さんは奇跡的に命をつないでいた。近所に野菜を配っていたため、いつもより遅く通勤電車に乗り、車内でうっかりメガネを落とす。拾おうと腰をかがめた瞬間、原爆がさく裂し、車内の人たちは皆命を落としたという。
     そのとき勝三さんは52歳で、人生最大の苦難に直面。あきらめもよぎったが、やがて再建の意欲を取り戻し翌年11月には現在地に木造工場を建設。再び歩きだした。
     近年、技術革新で飛躍的に印刷技術は発展したが、技術革新によって市場も失った。元来、得意先であったそれぞれの事務所で容易にプリントアウト。簡単な印刷物の発注が激減した。中本社長が理事長を務める県印刷工業組合の組合員企業数は1997年の184社をピークに、現在は128社。多くの印刷会社が姿を消した。
     中本本店は、2014年に機密印刷サービス事業がものづくり革新事業に採択されたほか、ひろしま食べる通信の創刊、クリエイティブ部門ライツ・ラボを立ち上げるなどプロならではの技術力、提案力を武器に市場開拓に挑戦中。むろん簡単ではないが、老舗にはぶれない信念と、すさまじい生存本能があり、そして運も必要なのだろう。

  • 2019年11月21日号
    木のまち復権へ

    廿日市市は古くから木のまち、木工のまちとして発展してきた。市域の約86%を森林が占める。東証1部上場企業で、連結売上高約630億円のウッドワンが本拠を構え、廿日市木材港・木材工業団地には製材業など木材関係企業が多く集積している。
     豊富な森林資源を活用した木工品やけん玉などの木製製品、宮島細工は県から地域産業資源の指定を受け、2016年から〝木のたびネットワーク〟の取り組みが本格化。思わず手で触れたくなる木肌、見ているだけで和む木工製品を集めた展示販売会「LIVING/CRAFT(リビングクラフト)暮らしをつくる職人たちの木工展」が10月から約1カ月間、同市地御前のインテリアショップloopであった。木工製品の職人らでつくる「はつかいち木工研究会」主催。各工房の腕利きが、新たなチャレンジに踏み出そうとしている。
     メンバーは、一枚板や無垢(むく)材のテーブルを手掛ける常藤家具きくらの鈴木徳俊さん、中国山地の木材で小物や注文家具を作る木工房三浦の三浦孝治さん、カントリー家具WOODY(ウッディ)の廣瀬啓行さん、1925年創業の益田畳店の益田健一郎さん、ろくろ技術を生かした木工玩具や階段手すり棒を製造する、しみず木工所の鍋谷一也さん、注文家具全般の岩井家具工房の岩井浩二さん、創業80年の倉本杓子工場の倉本充明さん、椅子やオブジェ製作の河野令二さん、一級建築士事務所Treeの博多努さんの9人。
     市や商工会議所が企画し、2017年に活動を始めた。商品開発の輪を広げようと、それぞれが試作する一方で、共同してマルシェ出店や成人式のノベルティ試作、地元の料亭やカーディーラー向けにヒノキ、ケヤキ、クリ、キハダ、トチノキなどの市産材を使った製品を納めたほか、骨壺の試作やデザイナーとコラボした〝現代こけし〟や〝絵付けびわ杓子(しゃくし)〟を手掛けた。会長を務める鈴木さんは、
    「木工の魅力を知ってもらうには、まず手に触れてもらうことが先決。木工展では売れ筋を再確認する必要を痛感した。試作段階だが市産材を活用し、市役所ホールに置く椅子を製作中。木材加工の技が伝わるデザインにし、強度などを検証していく予定」
     常藤家具はたんす、ベッドが作れば売れた時代を経て、ベッドメーカー向けにフレームを納めていたが、輸入品と価格競争する設備投資はリスクが大きく、「このまま続けても先行き危うい」と事業転換を決断。20年前にショールーム兼店舗を構えた。現在は無垢材の一点ものを求めて遠方から訪れる客も少なくないという。チャレンジ精神が新たな客層を生んだ。
     森林の育成〜生産・流通・加工・販売〜消費を促す目的を掲げ、木のたびネットワークは山林経営や素材生産、建材メーカー、家具製造、工務店が関わり合いながら新たな木材需要の創出を目論む。木工・クラフト関連事業者もネットワーク形成の一員に位置付ける。市の担当者は、
    「昔は地元の木を切り出して家を建て、数十年後の使用を想定して植林する森林資源の循環ができていた。しかし木材需要が減少傾向の中、このまま手をこまねいているわけにはいかない。ピンチをチャンスに、木のまちを復権する絶好のステップにしたい」

  • 2019年11月14日号
    明るく面白く

    「悲観主義は気分により、楽観主義は意思による」(哲学者アランの幸福論より)。むろんうかうかなどはできないが、朗らかな方が健康にいいし、運も呼び込む。そう信じて逆境を砕き、わが人生を突き進んだ半生がつづられている。どこかユーモラスで、読み終えて爽やかだ。
     医療法人社団八千代会(安芸高田市)理事長の姜仁秀(かんいんす)さんが75歳を迎え、回顧録「波爛万笑(はらんばんしょう)」をまとめた。目に鮮やかなイエローの装丁にA5判37ページ。生い立ちから、西日本有数の医療〜介護施設を擁するまでの体験談を軸に本音も交え、幼少期の父の教え、けんか、進学できなかった差別、豪遊、1年4カ月の獄中生活、再起などの4章に、どうしても記しておきたかったのだろう、思わず吹き出す外伝「おもしろかったエピソード」も明かしている。
     戦中生まれ。戦後の物のない時代に幼少期を過ごした。
    「置かれた環境につらいと感じる暇もなく、生きていくために食べることで必死。だがみんなと何か楽しいこと、面白いことはないかと企てるのが元来、好きな性分。遊ぶための軍資金づくりに役割分担しながら山鳥やウナギを獲り料亭に売っていた。折角、この世に生を受けたからには夢を描き、明るく面白く人生を歩く気構えが大切ではないだろうか。いろんな方の回顧録を手にすることも多いが、私はありのままに恥もさらけ出すつもりで、したためた」
     成績は優秀。医師を志していたが、高校の担任から「君の成績なら医学部に合格すると思うが、韓国籍では卒業しても仕事はない」と諭される。卒業後、山口県下関市の信用組合に就職。トップの営業成績を残し、その後金融業で独立。存分に才覚を発揮し、徳山(現周南市)の夜の街を豪遊。周囲からあらぬ誤解を受けたこともあったという。
     そんな日々から心の奥底にあった病院経営へ向かうきっかけは、友人の母の通夜に参列したときに「(母が逝ってくれて)ホッとした」という一言だった。初めはわが耳を疑ったが、在宅介護の大変さを知り、「人の役に立つ」仕事と確信した。金融業に嫌気が差してもいた。銀行の支店長から打診されていた、廃業したホテルを買い取り、リフォームした老人病院は順調だったが、職員に仕事を任せ切りにしていたせいで、知らないところで法を犯し、1年4カ月の獄中生活。この逆境が奮起の原動力となった。
     1992年に開院した511床の八千代病院をはじめ、グループで介護付き有料老人ホームのメリィハウス西風新都、病院と高齢者住宅が上下階のメリィホスピタル・メリィデイズ、サービス付き高齢者住宅など計11施設、1869床(医療211、介護1658)を経営。行き詰まったとき、突破口となる信念があるか、自分を奮い立たせるよりどころがあるかないか。
    「私も生身の人間。追い込まれて極限の状況に苦しんだこともあったが、自分自身を助けるのは自分でしかない。誰でも能力があり、それはどんぐりの背比べ。大差はない。それに気付くかどうか。さらに挫折しても自分を信じて努力を怠らない。若い人に自分を信じる大切さを託したい」
     世の中や人の役に立つかどうか。ひるむことなく針路を示す姜さんの羅針盤だ。